自分の知らない可能性
Photo by Anna Kolosyuk on Unsplash
動画編集スクールに入って1ヶ月ほど。
「ドキュメンタリー案件の仕事を受けてみませんか?」
ドキュメンタリー?たしかに興味はある分野ではある。
でもどうやって作るのか皆目検討がつかない。
ショートカットキーの使い方はおろか、演出もわからない。
今まで、テレビで観てきたドキュメンタリーの画像を、頭に浮かべる。
「え、あれムズっ!」
というか、「ドキュメンタリー制作の携わる」という選択肢が、今までの人生でなかった。
引き出しがない。
挑戦してみよう、と思った。
できないじゃない。やるのだ。やってみて、どうやってゴールできるかを模索ればいい。
「出る前の負けることを考えるバカがいるか」
私の中で猪木さんが声高に叫んだ。
プロマネをもらえるという話だったが、都合が合わずないまま編集をスタートした。
今まで上がったYoutubeを見て、テロップや演出、BGMを選定する。
時間はあっという間に溶けていった。
そして、私の中に絶望が生まれた。
「このペースじゃ、稼げない」
焦りと、不安。
この仕事を本当にずっとやっていけるのか。
しかし、なんとか完成した。
もともと質問も気軽に出来る環境で、ディレクターさんの腕が良いこともあり、
私でもなんとか着地ができたのだ。
「ああ、ドキュメンタリーっておもしろいな」
素直にそう感じたのは、これは「人による人が作る人の心を動かすもの」だと感じたからだ。
生成AIでもきっとできるだろう。もっと簡単に。
私のスキルなら、そっちの方が早いかもしれない。
ただ、「この人ってすごいな」「この表現の方がもっと引き出せる」「この演出だと、きっと見ていて飽きない」。
これを、動画にできること。
作業ではなく、感情で動画を作る、これは人にしかできないことだ。
感じ方は千差萬別。私にしかできない動画も、作れるはずだ。
ドキュメンタリーに携わって見たいと思う自分が生まれるなんて、1ヶ月前は予想もしていなかった。
自分の可能性は、まだまだ潜んでいる実感した。