救われた命が、イノチを吹き込む側へ
Clinicalだけじゃない、Engineerへ
30代の三十路には記憶の遠く彼方にある小学校に上がるかどうかの頃から、パソコンが好きでした。
父や叔父の会社で使わなくなったお古の動かないPCをもらっては、パーツを入れ替えたりOSを入れ替えて遊んでいた。
そのパソコンにCentOSを入れてメールサーバーを作ってみたりもしました。
試しにメールを送ってみたら”deamon”という人から英文で返信が来て、
「初めてのメールが海外の人から来た!」と喜んだのは今では笑い話です。
読めもしないのにC言語の本を買ってもらっていじってみたり、電子工作を始めたのもこの頃でした。
このまま理系・IT方面に進むんだろうな、と思っていました。
人生が変わった、中学生の夏。
ある時期気だるさがしばらく続き、学校に行くのが億劫になった時期がありました。
バーキットリンパ腫、小児慢性腫瘍です。
大人になってから知ったのですが、ステージ3Bで結構重症だったようです。
治療が始まり、初期の抗がん剤投与の際に腫瘍崩壊症候群による急性腎不全を発症してしまいました。
(つまり、抗がん剤が効きすぎて腎臓が疲れてしまったということです)
そのまま1ヶ月ICUに入ることに。
その間、自分の血液はCHDF(持続的血液濾過透析)という疲れた腎臓に変わって機械に血液をきれいにしてもらうため体外を循環し続けていました。
医療スタッフのケアや家族の支えもあり、幸い完治しましたが、あの1ヶ月は今も鮮明に覚えています。
余談ですが、厳しい飲水制限があって常に喉が渇いていたので、血液をきれいにする機械から出てくる透明な水が飲みたくて飲みたくて仕方がなかったのを今でも覚えています笑(知らない人のために補足すると、これは俗にいう「おしっこ」です笑)
ベッドの上で眺めていた機械が、自分の命を繋いでいました。
その機械を操作していたのが、「臨床工学技士」でした。
「医療を趣味にはできない。」
高校の進路決定の時、最後の最後まで迷いました。
ITか、医療か。
本当はどちらもやりたかったんですが、両立は難しい。そう思っていました。
でも気づいたんです。
『医療を趣味にすることはできないけど、ITは趣味にできる』
と。
だから医療を仕事にして、ITを趣味にしようと決めました。
臨床工学技士を目指したのは、あのICUでの経験があったからです。自分の命を繋いでくれた機械と、それを操る人たちへの憧れがありました。
それでも、ITへの思いは消えなかった。
就職と同時に副業を始め、プログラミングの勉強も並行して続けました。
本業が忙しくてなかなか進まなかったけど、充実していました。
鈍足ながら段々と技術が身につき、2024年にはホームページ制作の副業を立ち上げて3件受注しました。
この時も色々な経験がありましたが、そのことは別のストーリーで取り上げています。
その後、本業の業務改善のためにWebアプリ「MEIS」を開発したことで、課題をITで解決することの面白さを改めて実感しました。
この経験が、背中を押してくれました。
何度も悩んで、それでも決めた。
ITエンジニアへの転職は、決して突発的な決断じゃありません。
結婚しているし、子供もいる、仕事つながりの人だって大勢います。
転職しようと決めては、やっぱりやめようと思って。また決めては、また悩んで。何度もそれを繰り返しました。
業務改善、新規業務立ち上げもした、研究発表もした、学会の役員にもなった、専門学校で教員にもなった。
それでも今、全部決めてここに立っています。もう後戻りはしません。
医療とITの両方を、仕事にする。
子供の頃の自分が聞いたら、きっと驚くと思います。
Clinical "Engineer"からIT "Engineer"へ、今まさに挑戦しています。