仕組みはわからないが結果は出ちゃう装置
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AIを使うようになってからこのことをぐるぐる考えるようになりました。
仕組みがわからないけど結果が出るのは、結果オーライでいいのか?
AIはいわば、仕組みがわからなくても結果が出るツールです。
いや、もちろん、一人の人があらゆる仕組みを知っているわけではありません。
リーダーが部下に専門的な仕事を任せるのと同じと言えば同じです。仕事じゃなくても日々の暮らしはそうやって成り立っているはず。
仕組みがわからなくても出る結果を受け入れる、と言うのは別に特別なことではないはず。ですが、いざ自分のワークフローにそれを組み込むとなると、何かしらが抵抗してきます。
プライド?
矜持?
執着?
いや、そういう気分的な事ではなく、ひとつは、ゆだんすると品質の低下を招く点があります。ただし、それは従来のワークフローに当てはめているから、従来なら自分で工程を進める間に、ちょいちょい微調整していたのが出来なくなっているだけだと思われます。
これをAIに代替させる方法をみつけられていないだけで、ワークフローをうまく組み替えて、自分が価値判断するタイミング、修正する方法を変えていけばよいのだと思っています。
そこは、それでいいんです。
別にそれを納得していないとか、それに抗おうなどとは思っていません。
いいのですが、でも、これを繰り返してくとやがて、僕のメインの仕事でさえ仕組みがわらかないけど結果が出る、という事になってしまうのでは?
それでいいのか?
とぐるぐる考えてしまうわけです。
仕組みのわからないものなんて昔からいくらでもありますよね。
地上波の昔のテレビ、あんなアナログ技術なのになんで映像が送れるのかいまだにわからないですし、レコードの仕組み溝一つでなんてオーケストラの演奏が再現できるのかもさっぱりわからない。
わからないですが、結果はほぼ確定している。
予測の範囲を大きく超えない。
多分、AIのこまったところはそこですね。
ときどきのアップデートで、予想をはるかに超えてくる。
もし今のChatGPTがあと20年アップデートしないなら、今の性能に合わせてワークフローを考えることもすっきりするのでしょうけど、やつらはまさに日進月歩、ちょいちょいびっくりするアップデートをしてくる。
気が付けば、僕が今やっている業務を丸ごと自動化出来てしまった、なんてことになるのではないだろうか?
と思ってしまいます。
もちろんそれにも模範的な答えは知っています。
そうやってできた時間で、今まで出来なかった事が出来るようになるので、新たサービスが生まれるんです。
それは歴史が証明していますし、今まで何度もそうやって産業は進化してきました。今度もまず、おなじことが起きると思います。AIで自動化がすすんでも、人類が晴れて全員ニートになれるわけではないと思います。
労働時間は若干減るかもしれませんが、きっとみんな仕事創造していくはず。
それもそれでいいんです。
きっと未来はそうなる可能性が一番高いと思います。
でもなー・・・
でもなー、なんですよね。
なんか、ここで何かしらのアクションを起こさないといけない気がすごくしているんです。
流れるに任せていてはいけないと。
価値判断自体の再定義とか、社会的な意味ですかね。
変数を増やす、もしくはばらつきを増やすような、そういう方向の何かが必要なんだろうと。と、僕もすごく抽象的なイメージでしかないので、もうちょっと考えてみよう。
このアイデア自体は僕のオリジナルでもなく、ずっと前から専門家たちが研究しているテーマのようで、社会的な合理性と、単体としての人個体の価値判断とのベストなあり方は、特段明快な解があるわけじゃないと思うんです。社会も変わりますし、価値観も変わっていっていますし。
その再編を積極的にしていかないと、AIによる価値判断の均質化によって、ちょっと息苦しい社会が進んでしまうのではないかという危惧があります。単に均質化ならいいのですが、平均すると品質は上がると思うんです。僕はこれが問題で、結果的に遊びであったり余白が減ってしまう可能性があるのではと思っています。
なぜなら、上流の人たちにとって、品質が上がることはとても歓迎すべき事だからです。これには推進する圧がかかります。
結果的に、クリアしないといけない基準が高くなるし、そのクリアのためにはAIが必要になる。それにより、納得よりも結果という事が求められやすくなる。
ありえない話じゃないと思うので、ちょっと、価値観の変化は必要かなと思う次第です。