校正者になる前、印刷会社にいたころの話です。
土産物のパッケージの版を、パソコン上で点検していたときのことです。「日本書記」という表記が目に入りました。正しくは「日本書紀」です。
不思議だったのは、前の版も同じ表記で印刷されていたことでした。今回の印刷でも、そこに修正指示は入っていませんでした。念のため、修正をとりまとめる部署に確認しました。すると、誰にも発見されていなかった誤植で、気づかれないまま印刷が繰り返されていたことがわかりました。改めて修正作業がなされ、正しい版で印刷されることになりました。
このとき、他部署の人にたいへん驚かれ、褒められたのを覚えています。ただ、自分としては誤植を見つけてやろうと思っていたわけではありません。印刷前の版を点検するという、定められた手順を踏んだだけでした。
こういう経験が何度か重なるうちに、自分はもしかしたら校正に向いているのかもしれないと思い始めました。とくに労力をかけたわけでもないのに、周りが認めてくれたからです。
前の版を信用しない
刷り直しになったわけではありません。印刷される前に止まりました。それでも忘れられないのは、前の版がそうだったからという理由で、誤りがそのまま前例になっていたことです。
パッケージの製版には9年携わりました。一度刷れば修正は利きません。前の版を信用しない、誰かがすでに確認したはずだ、という前提を置かない。この2つを、この現場で身につけました。
製版の一工程として校正をしていましたが、校正だけを専門にやりたいという思いが日に日に強くなりました。2016年に独立し、専業10年目になります。
気づける人を、増やす側へ
チーフになってから、あの誤植のことを何度か思い出しました。自分が手順を踏んだだけで気づけたのは、踏むべき手順が定められていたからでもあります。
2017年9月から2026年3月まで、大手ポータルサイトの編集部で記事の校正を担当しました。1日平均10本、約25,000字。2019年からは10名のチームのチーフを7年務めました。
直面したのは、指摘の質や書式が人によってばらつくという課題です。原因は個人の能力ではないと考えました。判断の拠りどころがないことでした。
編集部と相談し、指摘の出し方に線を引きました。読みやすさに関する指摘は出さない。表現の調整は編集部の領分とする。校正チームの仕事を、誤り、事実、表記の確認に集中させました。校正結果を送るメールで宛名の貼り間違いに気づいたときは、自動で差し込まれる仕組みを提案し、編集部の実装で実現しました。
人を責めるのではなく、迷いを仕組みで減らす。気づく力を個人の勘に預けないこと。これが10名を預かってからの仕事でした。
いま考えていること
現在は出版社の依頼で、ライトノベル2作品の初校を並行して担当しています。
AI校正ツールも日常的に使います。表記の誤りや同音異義語は、人より速く正確に拾うこともあります。ただ、いま読んでいるライトノベルでは、前の場面で書かれた人物の位置と矛盾する所作を指摘することがあります。前に読んだ場面を頭に置いたまま、いま読んでいる行と突き合わせる。この判断はまだ預けられません。そこを見るのが校正者の仕事だと思っています。
校正歴19年。誤植を探しに行くのではなく、気づける状態を保つこと。その状態を、自分ひとりではなくチームで再現できる形にすること。いまも、この2つを仕事にしています。