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新しい時代の「作家のあり方」について

時代は変わった。
いや。我々は相変わらず、パラダイムシフトの中にいる。
ネットによって、物理的距離の制約が無くなり、
時間の概念は、完全に変化した。

ビジネスの在り方、
資本金の調達の方法、
広告・PRのやり方も完全に変わった。
本の読まれ方、出版のあり方、本の流通のあり方も変わった。

もちろん、作家の在りようも変わった。
声高に、叫ぶつもりも無いが、そのことを記録しておこうと思った。

■「人気情報」と「コミュニケーション情報」
ニュースも、エンタメも、SNSも「情報」ですが
しかし、どれも「別もの」です。
「エンタメ情報」は「人気情報」とも言えます。
多くの人は「人気情報」は無料で求めています。
テレビ局や、マスコミの「情報・加工製造」は
基本的に「1対n」を基本構造としていていて、
わかりやすさ、公平性や信頼性を担保しようとしてきた歴史があります。


「コミュニケーション情報」は、1対1を前提としている情報です。
スマホのおかげで、全世界的に「口コミ」が、低コストでスピーディに出来るようになったので、井戸端情報がいつも手元にある。
体験に基づいているので面白い。
しかもSNSで、1対1をn回数、24時間、365日、非同期(録画的)、リアルタイム(ライブ中継的)で出来るようになりました。


体験は、個人と個人の一定の信頼関係で伝播する。
「コミュニケーション情報」は、「こいつホラ吹いてるな」とか「盛ってるな」という評価も含んで、伝わる。場合によっては炎上するので、なお面白い。


どちらの「情報」も、毎日の生活の判断材料になっていますが、生活を振り返ると、買いたいものは一通り揃っている。
(自分は、登山用品、キャンプ用品、自転車・ウエア・グッズなど全部持っている)
ですから、持っているモノは断舎利して、メルカリで売ったりして減らしています。欲しいのは、モノよりも「体験の共有」「胸が熱くなる感動」という「想い出」に変わっています。

「想い出」=「生きている幸せの実感」なのではないでしょうか。

そう考えると、「死ぬまでに見たい世界の絶景」がSNSの興隆と共にヒットしたわけがわかります。



■作家のキーワード:「信頼」・「嘘」・「人気」・「建付け力」

作家は、小説を「書籍」(紙の本・電子書籍)を、読者に「n冊」購入してもらう仕事です。
みんなの生活が変化しているのに、従来の延長の思想や、作法のままで、
「書籍」が買ってもらえるとは思えないのです。
多くの人が求めているのは、「想像できる範囲+知らない世界」です。
(読者が想像・不可能範囲になると、少数が好む「奇才」の領域に入る)
その中に、「胸熱・疑似体験」も含まれています。
「書籍」は、「人気」(評価と話題性)によっても売れ行きが変わります。


まず「書籍」を売る時に考えること。
多くの人に「読みたい」と思ってもらえるのは「話題性」が一番です。
この部分で「人気」が必要になります。
「人気」は、言い換えると、SNS・フォロワー数。(乱暴ですけど)
それは、「ある一定の関係」の反映数字です。
フォロワーへは、「書籍」告知を、行うことが出来るし、予約販売も可能です。
こういう努力は、作家は、作品が出来る前から「準備」が出来ます。
人気が既にある「著名人」は「書籍の売れる部数が見える」→「リスクが低い」となります。だから出版社にはリスクが低く見える。→「初版●部で行こう」そういう構造になっていると思います。


■そもそも論「良い作品」とは何か?
変化が激しい時代だからこそ、変化するべき部分と、変化してはいけない部分が出てきます。だから作家は、基本に戻って「読者の感動」(購入の納得について)整理する必要があると思うのです。
「読者の感動」とは「お話しの盛り上がり」と、そのあとの「想定外の結末」によって「カタルシス」に導かれること。


カタルシスが訪れると、読者の満足度は上がるので書籍購入の納得度があがります。
「お金を払っても良かったかな」
「書籍」はやっと「口コミ」環境が整います。つまり人に推奨してもらえるようになる。そうやって広まらないと、着実な部数は伸びません。人気だけで部数・爆発はしますが、人気は移ろいやすいものです。確実に継続する、部数の底固めは出来ません。書籍・部数とは、細かい積み重ねだからです。


■作家の核心的重要部分とは何か?
書籍とは、ある意味で情報をアウトプットする加工方法といえるでしょう。
作家の視点・視座・問題提起。
建付けが建築の成否を決めるように
これは、作家の「建付け力」にかかっています。
作家が、ゼロから1を産み出す瞬間だと思います。            
ゼロから1を産み出す「建付け力」。                  
この部分こそ、作家のコアコンピタンスではないでしょうか。


■書籍が出来るまでを分解してみる。                  
では「書籍」とは情報のアウトプットですが、肝心の「情報のインプット」はどうするのか?
作家にとって、実体験を上回るインプットはありません。
でも実体験には「膨大な時間」が必要です。
インプットの第二の手段が、「取材」です。
取材には、信用・信頼が大事。
取材する作家を評価するには、見かけや、人柄から入るかもしれませんが
まずは、タイトルで判断するのではないでしょうか?           
その為に、「文芸賞」は必要だと思います。
売れるためではなく、作家が、書き続けるためにも。


■小説は、海苔やお茶に似ている。
中味の「品定め」が難しい。
「飲むまで」「食べるまで」「読むまで」中味の良しあしが分からない。
だから、読んでもらい、評価してもらい、誉めてもらい、広めてもらう。必要があります。


良い作品を書くことは大事な「起点」ですが
それが「終点」ではありません。


作家は「農業の人」と似ている部分があります。 
「作り手」という意味です。
お米を作って、農協に収めて、スーパーに並べるだけ。
それでは、安いお米との違いは伝えられません。
他と、何が違うのか?中味の質や信頼はどの程度あるのか?
口に入れたら、どんな感じがするのか?
なにが、素晴らしいのか?


作家も同じです。
出版社に原稿を入れて、取次を通して、書店に並ぶだけ。
それでは、毎日数百アイテム届く他の書籍との違いは伝えられません。
だから書いただけ(良いものを作っただけ)では、片落ちです。文字は、口には入りませんが、アタマに入る大事な物質です。


伝わるまでのデザイン、「プロセス」や「構造」は大事だと思います。
具体的には、口コミが促進される
1:『動機づけ』
2:『クチコミ機会』
3:『正しい理解・知識』
の提供は、作家の努力として欠かせないと思うのです。


■誰でも「セルフ・プロデュース」できる時代。
その状況を例えて言うならば、登山するハードルは下がりました。
誰でも、頂上の一歩手前に行けます。
しかし頂点に辿り着くには「ハードルの高い」時代だと思います。
頂点は、尖っていて狭く、沢山の人が座れる場所ではありません。


執筆は、才能と、能力と、運を試される。
だから、面白いと感じます。
当たるも八卦。ハズれるも八卦。
今も昔も、水商売的ギャンブル要素が強い。
「恋」は、相手に見栄を張るための「嘘」から燃え上がる。
小説も、読者への「特殊な嘘」からはじまるのかもしれません。

■執筆は、旅である。                         
株屋・相場師の家系・血筋を引く我が身にとっては、
こんなに、おあつらえ向きな仕事、「人生の演ずる役割」はありません。
そういうわけで、文芸・新人賞を狙って書いています。
これも体験。「旅」そのものなのです。


※「カタルシス」とは
非日常(主に悲劇)を見ることによって、ひきおこされる情緒の経験が、日ごろ心の中に鬱積している同種の情緒(ストレス)を解放し、それにより快感を得ること。魂の浄化



【池松潤 Jun Ikematsu 略歴】
作家 Author
1966年生まれ。出身・東京。慶応義塾大学卒業後、大手広告会社・会社員時代にビジネス書を執筆。出版社と本屋を廻って店長に挨拶したのはいい経験でした。ベンチャーリタイヤ後、作家となる。
◇関連リンク  https://www.facebook.com/Jun.Ikematsu.Author/
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