#2 なぜ教育者の私はVTuberを選ぶのか
──「寄り添い」と「拡張」を実装するための設計
前回のストーリー(#1)では、
私が考える「演者論」──役割を着替えることで、表現と仕事を両立するという考え方──について整理しました。
今回はその思想を、
教育とデジタル制作の現場で、どのように“実装”しているのかを具体的に書いてみます。
教育現場に存在する「距離」という課題
教育や技術の現場には、常にいくつかの距離があります。
- 教える側と学ぶ側
- 経験者と初心者
- 大人と子ども
特に、Unityや3D制作、プログラミングといった分野では、
「自分には無理そうだ」という心理的ハードルが、学びの入り口を塞いでしまうことが少なくありません。
私はこれまで、
デジタル教材開発やワークショップを通じて、
この“距離”そのものをどう設計し直すかを考えてきました。
VTuberは「寄り添うためのUI」である
VTuberという形式を選んだ理由の一つは、
アバターが関係性をフラットにするインターフェースになると考えたからです。
アバターを介することで、
- 「先生/生徒」という固定的な立場がやわらぐ
- 「一緒に試してみる人」という関係性が生まれる
- 失敗や試行錯誤を、前向きに共有しやすくなる
VTuberは、
何かを隠すための仮面ではなく、
相手の隣に立つためのUIだと捉えています。
「拡張」としてのVTuberという選択
もう一つの理由は、
VTuberという形式が、私の専門性と自然に噛み合っている点です。
私は、
- Unityや3D制作
- デジタル教材の設計
- 制作プロセスそのものを学びに変換すること
を専門領域として活動してきました。
自らが3Dの身体をまとい、
制作や検証のプロセスを発信することは、
技術の有効性を言葉ではなく実践で示す行為でもあります。
VTuberは「別の活動」ではなく、
講師・クリエイターとしての仕事を、デジタル空間に拡張する手段です。
役割を混線させないためのルール
「役割を着替える」という考え方を成立させるために、
私は意識的にルールを分けています。
- 教育現場・制作現場:
→ 実務と責任を担う主体としての自分 - 発信・表現の場:
→ 役割を引き受ける演者としての「うのっち」
これは責任から逃げるためではなく、
責任の所在を明確にするための分離です。
立場を曖昧にしないからこそ、
表現としての自由度と、仕事としての信頼性を両立できると考えています。
プラットフォームを横断しても、やっていることは一つ
noteでは思考や背景を言語化し、
Wantedlyでは専門性と実務を整理し、
TikTokでは制作や学びのプロセスを短い形で共有する。
形式は違っても、
私が一貫して取り組んでいるのは、
- 教育とデジタル制作の実践
- 技術を使って「わかりやすさ」を設計すること
- 役割を着替えながら、同じ価値を届けること
です。
VTuberはゴールではない
VTuberであること自体が目的ではありません。
それは、学びや制作を前に進めるための手段の一つです。
私はこれからも、
演者として役割を引き受け続けながら、
教育とデジタル制作の交差点で、
新しい学びの形を実装し続けていきたいと考えています。