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働かずに生活できる世の中を作る

関心のあるテーマについて、Mediumで投稿した内容をこちらにしれっと転載しておこうかなと、、。ほとんど妄想ですが、ここ数年興味のあるテーマと、そのテーマについて僕がやってみたいことを書いています。大半は妄想ですが、前半は真面目に書いています。働くということについて考えたあと、そもそもなんで働くんだろう、働かなくて良いでしょという話にまとまり、そのためにこんなことしたいなあ、ということを書いているつもりです。

最近の働くということ

働くという言葉は2つの意味を内包しています。「活動(work)」と「労働( labor)」です。この言葉を聞いてどのような想像をしますか?「活動」という言葉は、自主的・積極的な行動を指すことが多いのに対し、「労働」は基本的に労使関係に基づく消極的な行動であったり、苦役に近い行動を連想しやすいのではないでしょうか。自分の会社のことを、「自社での活動は‥」とは紹介しても「自社での労働は‥」とは中々言わないように思います。

ロボットが仕事を奪う、という話を最近よくみかけます。仕事と一口に言っても、「活動」がなくなるとは僕は思いません。しかし、「労働」がなくなっている未来は簡単に想像できます。誇り高い「活動」としての農園を営む人はいても、お金が無く仕方なく、労使関係の都合で工場や牛丼屋で「労働」する人は、まずいなくなる(ロボットに仕事を奪われる)はずです。

では、「労働」しなくなった人たちはどうなるのでしょうか?簡単な話だと思います。「活動」する人と、しない人のどちらかになるのでしょう。本当はデザインに興味があった人はデザインを学び、優秀なデザイナーになるかもしれないし、自分の興味やモチベーションも特段ない人は、何者にも束縛されない時間をゆっくりとむやみに消費するだけかもしれない。

活動と労働

なぜ”働く”という同じ行動に対して「活動」と「労働」という、印象の異なる概念が生まれたのか。どちらが先に生まれたのか。同じタイミングで生まれたのか。極端な話、原始時代にこの2つの概念は存在したのか(※1)。

原始時代は狩猟や採集が生きていくための唯一の仕事だったといいます。彼らは槍を作り、罠を作り、時には狩場を変え、変えた先の狩場では全く食べ物がなく、飢えに苦しんだかもしれないし、食料が豊富な土地で満足の行く生活をしていたかもしれない。この状況で働いていた人たちは「労働」していたのでしょうか。創意工夫を重ね、自主的積極的に「活動」をしていたんじゃないかと思います。つまり、そもそも働くという行動の中には「活動」という概念しか存在しなかったのではないかというのが僕の考えです。

しかし、原始時代を超え、農業や工業が発達してくると、より「活動」の効率化が進み、”この行動を誰かがやれば、100人が3年食っていける”というような想像ができるようになります。行動に”パターン”が現れ始めます。そうした流れで、積極的に「活動」していく人と、誰かが考えた行動パターンに基いて「労働」する人が現れたのではないかと思います。「活動」の副次的な産物が「労働」だとも言えるでしょう。

これからの労働

「労働」する人が登場したおかげで、農業は発展したし産業革命が起きたという話は誰もが納得がいく話ではないでしょうか。そのおかげで起きてきた問題もたくさんあることも知っているはずです(※2)。ただ、それは、「労働」していたのが「人」だったからだと言うのが僕の考えです。これからの時代の「労働」を「ロボット(AI)」が代替していく流れは疑いようがありません。

※1:最近「サピエンス全史」を読んでいたので、こんな極端な想像にたどり着いたのかも。笑

※2:”そのおかげで起きてきた問題”について、知識も浅いので言及は最低限にとどめます。笑

生きていく上での働くということ

「活動」しか存在しなかった原始時代から、「活動」と「労働」が働くという言葉に含有される現代まで変わらなかったことは、基本的な働くということの根底の目的の中に”衣食住のために働く”という重要なテーマがあったことだと思います。「活動」が自主的・積極的行動であるのに対し、「労働」は消極的な行動であることが多い。消極的な行動であるにも関わらず、なぜ「労働」を選択する人がいるのでしょうか。必ずしもその選択をした人が消極的な、後ろ向きな性格をしているからといったわけではないように思います。

原始時代での働くということは、「活動」が衣食住に直結していたため、比較的単純でした。働き、「活動」することが生きていく、生活に直結にしていたのです。しかし現代の働くということが、そんな単純な構造ではないことは誰もが知っています。その構造を複雑にし、現代に徹底的な効率と利便性をもたらしたのが”お金”です。現代では、いくら「活動」をしていても、”お金”がもらえなければ衣食住が保証できず生きていけません。そのため、「活動」をする人は、誰かに必要とされる、”お金”と交換できる価値を生み出す必要があるため、原始時代に比べて創意工夫の必要性が格段に増します。この状況は、原始時代に比べて「活動」する人が生活に最低限の衣食住を確保するためのリスクが高まっている状況だと言えます。

その状況に対し、「労働」する人はどうでしょうか。労働とはたいていの場合、労使関係によって規定されます。一定の「労働」を提供することで一定の”お金”がほぼ確実に手に入ります(もちろん100%でないことは確かですが、一定の保証がされています)。そのため、生活に最低限の衣食住を確保するためのリスクが、「活動」する人に比べて少ないと言えます。

結果として、生活に最低限の衣食住を確保するためのリスクについて心配する人(資産のある人)が比較的「活動」的な行動を選択し、心配する必要のある人は「労働」的行動を選択せざるをえない状況にあります。

これからの生きていくということ

生活に最低限の衣食住を確保するためのリスクがない状況を想像してみてください。あなたは何をしていますか?今の仕事を続けますか?仕事を辞めて、永久に続く休日を謳歌しますか(旅行に行くにはお金が足りませんが)?それとも、もっと関心のある「活動」を始めますか?

生活に最低限の衣食住を確保するためのリスクがない状況についての議論は、実は既に世界各地で始まっています(※3)。そして、「ロボット(AI)」が「人」の「労働」を代替することで、その状況は実現すると、僕は考えています。つまり、最低限の衣食住は「ロボット」の「労働」によって生み出され、多くの人たちは衣食住の心配をして働くことを考えずに済むのです。

この状況は、ある意味原始時代への回帰かもしれません。働くということのうち、人の「労働」が必要なくなり、「活動」をする人と、しない人のみの世界になるのです(※4)。

※3:興味がある方は、「ベーシックインカム 社会保障」と検索してみてください。

※4:「労働」がなくなった結果の話には諸説ありますが、個人的には「活動」をする人が大多数を占め、しない人が少数派になるのではないかと考えています。

これからの働くということ

「労働」は確実になくなります。「ロボット(AI)」が現在BtoB向けに浸透していくのと同じように、toCにも普及し、自然と「労働」の必要性はなくなります。「労働」の必要がなくなった結果働き口がなくなり、”お金”が稼げなくなる人がたくさん現れますが、社会が正しい手順を踏んでその状況に達すれば、大きな問題にはならないでしょう。なぜなら「ロボット」が衣食住の生産を行っているため、生活に必要最低限の衣食住はほとんど無料に近い形で提供されているでしょう。衣食住に関するサービスがフリーミアムモデルに近いモデルを採用していくのではないかと考えています。

衣食住に困らないのであれば、人は働かなくなる(「活動」すらしなくなる)のではないか?と考えられる方もいらっしゃるでしょうが、果たしてそうでしょうか。少なくとも、今現在、積極的に「活動」している人たちは、既に衣食住のためには働いていません。

もちろん働かなくなる人はたくさん増えると思います。働いている人口のうち「活動」する人の割合よりも「労働」する人の割合が多いことは容易に想像がつきます。「労働」が必要なくなった結果、現在の「労働」する人のうち何割が「活動」する人に変わるのかもはっきりいって全く不明です(参考になる前例がないので)。衣食住のリスクから解放された結果、活動する人が何割か残るものの、生涯を働かずに過ごす人も現れるかもしれません。

ここで考えてほしいことがあります。

そもそもあなたは何故働くのか?

僕の考えはこうです(※5)。

働くために生まれてきたわけではないことははっきり言える。生きていくために働くことが必須でない世の中になったのなら、本当のやるべきことを考えることができる。議論できる。それは大きな進歩だ。

つまり、働かずに生活できる世の中を実現することは、とても重要なテーマだと考えてます。

※5:最後にポエムぶっこんですいません。

全体に補足

この文章の中で「活動」と「労働」という言葉に対して、フリーランサーや著名人などが行っていることを「活動」、会社と雇用関係にあり特定の労使関係によって行動することを「労働」と理解された方がいらっしゃられたとしたら誤解があるので訂正させてください。ここでは、自主的・積極的に創意工夫をしながら自分自身で判断し行っている行動を「活動」と呼び、誰かが決めた効率の良いやり方、行動パターンをそのまま実践したりするような、自身の判断の介在する余地がかぎりなく少ない行動を「労働」と呼んでいます。例えば牛丼屋でも、とにかくマニュアルに書いてあることを粛々と実践している人は「労働」する人ですし、店舗に多くの人に来てもらおう、たくさんの人に笑顔になってもらおうと挨拶運動を行い始める人は、「活動」する人だと言えます。また、その両者どちらかを評価し、どちらかを批判する意図もありません。時代の必然の上で必要とされてきた役割の変化について言及しています。

僕がやりたいこと

(上記の内容で、一般論的な自分の意見や考えはある程度出し切りました。ここからは個人的な、こうなったらいいなというだけの話です。)

やりたいこと

働かずに生活できる世の中を作りたいです。近い将来できあがることは確かだと思いますが、早くできあげたいし、せっかくなら自分が良いと思う方向に作り上げたい。

既にこの話の中で言った「活動」をする人を支援する構造はかなり準備できてきている気がします。働き方について語られることが多くなったのはとても良いことだと思います。

一方で、「活動」をしない人、つまり「労働」をロボットとかに代替されちゃう人たちに対する支援や仕組み、考え方ってのはまだまだ足りてないと思います。社会保障という視点からベーシックインカムがよく語られるようになりましたが、十分に理解を得て実現するのはかなり先だと思います。また、今のところ失業した人に対する”生活支援”的な意味合いで語られていることが多いですが、個人的には憲法に定められているような”必要最低限の生活をおくることができる権利”を保障できるような制度でなければ意味がないと思っているので、その点も認識から、まだまだ不足していると考えています。

どうやるのか

衣食住のうち、食住を無料で提供することを目指したサービスを作ります(※1)。そのために

  • 定額で3食提供。
  • 定額で住居(スペース)を提供(特定の住居とは限らない)。
  • 管理するスペースすべてのコワーキングスペースとしての提供
  • 上記3つのコストの徹底的な削減・ロボットの導入・オプション施策
  • 最終的にコストをロボットの運用費と材料費のみにする
  • ロボット・材料の生産工程のロボット化を進める(投資する)
  • コストがなくなる
  • サービスをフリーミアムモデルに移行する
  • オプションの売上のみで活動(社員は自社サービスで衣食住を確保)

あたりをやっていきたいとか思っています。

※1:衣食住の中で、”衣”だけは最低限な生活の必要性からかけ離れたサービスが既に提供されているので

(ここからはまた随時更新かなあ)

一旦は以上です。お話し最後まで読んでいただいてありがとうございました。感想とかフィードバックいただけると泣くほど嬉しいです。


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