書籍【歴史戦と思想戦~歴史問題の読み解き方】読了
2025年は戦後80年だった。(そして昭和100年でもあったという)
一つの時代の区切りも感じつつ、いつまで「戦後」という言葉を使うのか、不思議にも感じつつ。
私も含めてほとんどの日本人が戦後生まれとなり、戦争を知らない人が多くなって久しい。
私は55歳で、父が89歳で健在なのだが、最近よく父が子供だった頃の話をしてくる。
父の父(私の祖父)は、田舎の農家暮らしだったが、徴兵されて戦争に行き、戦地で亡くなった。
そのために私は、父方の祖父とは会ったこともなく、今実家には祖父が若い頃の古びた白黒写真が1枚あるだけだ。
父の記憶も曖昧で、「戦死した地はラバウルだったと思う」と言っていたが、いずれにしても激戦地に送られたのだと思う。
田舎農家から戦地に駆り出された訳なので、過酷な前線地に捨て駒的に送り込まれたのかもしれない。
戦死したからと子供の頃の父に連絡が入り、然るべき場所に来いというので行ってみたら、白い布に包まれ、祖父の氏名が書かれた木箱を渡されたのだという。
遺骨が入っているのだろうと思って中を見たら、全くの空っぽ。
祖父はどこで死んだかも分からず、遺ったものが何もなかったそうで、空の木箱を渡されたのだそうだ。
現地から回収できたものが何もなく、返せるものも何もないのだから、木の箱もまるで無意味であるが、そういう出来事があったらしい。
わずか8〜9歳だった父は、相当にショックだったらしく、トボトボと家に帰ったのだそうだ。
その時の父はすでに病気で母(私の祖母)を亡くしており、父の祖母(私の曽祖母)と二人暮らしだったそうだ。
一家の大黒柱も亡くし、生活は相当に厳しかったらしく、かなり貧乏な暮らしをしていたらしい。
終戦を迎え、数年そういう生活を送っていたようだが、やがて父が中学生だった時に、その祖母も亡くなってしまう。
遠い親戚はいたらしいが身寄りもなく、世話する人もいなかったらしい。
それでも誰かの紹介で、住み込みで働ける場所を見つけてもらい、父は中学校卒業を待たずに、社会に出たのだという。
働く場所の紹介のために、田舎の実家も農地もいつの間にか精算され、何も持たされないままにその新しい職場に追い出された。
戦災孤児となった父は、そこからも苦労の連続だったらしいが、住み込みをしながら仕事も転々として、結局その時の大工の棟梁に拾われてから大工になり、結婚して私が生まれたという。
父から聞いた話を書き出すと、更に長くなってしまうのでこれぐらいにするのだが、私にとって戦争とは、案外他所事とも言い切れない感覚があるのだ。
父が若い頃も、家で酒を呑んで酔っていると、幼い私に戦時戦後の貧乏苦労話をよく喋っていた。
今89歳の父も、相変わらず何回も聞かされた同じ話を喋っているのであるが、こんな時間も後どれだけ残っているかと考えると、心がしみじみとしてしまう。
こんなエピソードを記載すると、不幸な人のような感じがするが、父はどちらかというとポワンとした天然系のキャラである。
子供ながらに「もっと考えろよ親父!」と思ったことも多く、人が好いのでよく他人から謎なお裾分けをもらってくる。
反面、お人好し故に頼まれごとを断れずにいるため、「なんでそんな約束しちゃうの?」ということが絶えずあり、詐欺には合わないまでも、訪問販売の口車に乗せられて無駄なものを買わされたりしている。
そんなことで、父と母の喧嘩も絶えないのだが、日々ポツリと「戦争がなかったら、オレの人生どうなっていたかなぁ」なんて呟く時がある。
戦争が無ければ確実に母との結婚もない訳で、私も生まれるはずがない。
「そんなこと、息子に向かって言うか?」と突っ込みたくなるが、そういう所も天然なので、気遣いできずについ口に出てしまう。
心の棘として、父の気持ちの奥底に残っているから出てしまうのだろうと思う。
「今まで色んな人と出会って嫌な奴もいたけど、誰も恨むつもりはない。ただ、戦争だけは今でも恨むなぁ」というのも父の口癖である。
戦争が無ければ、父の人生は大きく変わっていた。
そうなっていたら、私も含めた今までの生活はない訳で、それが結果的に幸せだったのか、不幸になったかは誰にも分からない。
こんなベースがありつつも、個人的な興味としても、太平洋戦争のことはついつい調べてしまう。
あの戦争は何だったのか?
戦争の解釈は様々だし、それに対して「歴史戦」が繰り広げられるのも良く分かる。
私自身は、どちらの派にも属するつもりはないのだが、実際にどんな戦争が繰り広げられたのかは非常に気になってしまう。
政治では何が考えられて、大本営ではどう考えられていたのか。
そして、戦地では何が行われていたのか。
祖父がどうやって死んだのかは探りようもないのだが、どうしても興味を持ってしまう。
戦争では誰が悪人で、誰が正しいと裁くことは、今となってはあまり意味がない。
過去に過ちがあるとすれば、戦争を止められなかったことだと思う。
もちろん、時代の大きな流れの中で、止められなかった理由があったのも事実だろう。
それでも、本当に何か他の回避する手段はなかったのだろうか。
本書にある通り、「自虐史観」という意味ではなく、過去を真摯に振り返り、より良い未来を創るために、知的で誠実な反省をすることは、今からでもできるはずだ。
歴史問題はとにかく複雑で、安易に結論を出せるものでもない。
特に今はSNSなどを通じて、断片的で偏った情報に流されてしまう。
ほとんどが戦争を知らない国民になった今、過去を論ずるのは益々難しくなっている。
何かの考えに縛られることなく、歴史に対して誠実な態度を持って接するしかないと思っている。
本書「歴史戦と思想戦」は、決して読みやすい、明るい本ではないかもしれない。
まずは様々な意見があることを知ることで、自分自身の中でも咀嚼して、糧として取り込んでいきたい。
父の同じ話を聞けるのも、後何年なのか。
今は元気であるが、そんなに長い時間が残っている訳ではないはずだ。
戦争を語る人が減っていく中で、我々は何を残して、何を未来に繋いでいくのか。
そんなことをつらつらと考えることも、意味のある事だと思っている。
(2025/9/27土)