書籍【科博と科学~地球の宝を守る】読了
国立科学博物館が資金難に陥り、クラウドファンディングで応募をしたら、目標金額の1億円を大きく上回る9億円超の支援が集まったという。
研究者だけでなく、一般の人々にとっても大切な場所であることが証明されたのだと思う。
私たちが生きている現代社会は、効率や生産性に支配されてしまっている。
ビジネスの世界に身を置いていれば、それは当たり前のことだ。
「それは今すぐ役に立つのか」
「どれぐらい儲けが出るのか」
我々は日々、短期的な成果ばかりを追い求めている。
一方で、博物館のような「文化」を担っているものの使命は、その真逆を行くものだと言える。
科博の役割は、決して、展示を行うことだけではない。
日本、そして地球の歴史を物語る「標本」を収集し、未来へ向けて保管し続けることだ。
その数は、なんと500万点を超えるという。
中には、今すぐ何の役に立つのか、誰にも分からないような標本も大量に含まれている。
ただの石ころのように見えるもの。
見たこともない虫の死骸。
古びた骨の破片。
それらを、莫大なコストと労力をかけて、ひたすら集め、整理し、守り続ける。
著者は、これらを「地球の歴史のアーカイブ」と呼ぶ。
「今すぐ役に立つかどうか」という短い時間軸で、その価値を測ってはいけないのだ。
この指摘に、私は考えさせられた。
我々は日常の中で、全く同じ罠に陥っている。
目先の利益や、今期の数字にばかり目を奪われてしまう。
すぐに成果の出ない基礎的なデータの蓄積や、目に見えない組織文化の醸成を、お座なりにしていないだろうか。
そういう「見えざる資産」を、無駄なものとして削ぎ落としていけば、短期的には効率が良く見えるかもしれない。
しかし、長い目で見れば、それは組織の未来の可能性を自ら摘み取っているのと同じことだ。
効率化の美名のもとに、本当に大切な「富」を破壊してはいけない。
科学が持つ、この終わりのない地道な蓄積の姿勢から、私たちは学ぶべきことが山ほどあると感じた。
本書の中で、私が面白いと感じたのが「最新のテクノロジーが、過去の標本の価値を一変させる」という話だ。
100年前に採集された、古い標本があるとする。
当時の科学者たちは、その外見を観察し、大きさを測り、分類することしかできなかった。
情報量としては、それが限界だったのだ。
しかし現代になって技術が進化し、状況は劇的に変化した。
一例として、DNA解析技術が飛躍的に進歩したことで、かつては「ただの骨の破片」でしかなかった標本から、現代の技術を使えば、目に見えないゲノム情報を抽出することができたりする。
そこから、その生物がどこからやってきて、どのような環境で生きてきたのか、詳細な歴史(ナラティブ)を読み解くことが可能になった。
過去の科学者たちが、未来のテクノロジーを予想して標本を残したわけではない。
「とにかく、今ある事実を正確に残しておく」
その純粋な思想があったからこそ、現代の我々がその遺産を使い、新しい真実を発見できている。
過去の遺産が、最新技術によって新しい意味を持って蘇るというのは、なんと壮大でロマンのある話だろうか。
この構造は、現在のビジネスにおけるDX(デジタルトランスフォーメーション)の本質とも深く繋がっているような気がする。
組織のあちこちに散らばっている、過去の業務記録や古いデータ。
それら単体を見れば、無味乾燥で、使い道のないゴミのように見えるかもしれない。
だが、現代には生成AIや高度なデータ分析ツールが多数存在する。
バラバラだった過去のデータを一元管理し、横串で解析を試みた瞬間、それは企業の強力な武器へと生まれ変わる可能性がある。
思いもよらない顧客のニーズや、業務改善のセンターピンが、そこからあぶり出されることがあり得るのだ。
だからこそ、私たちは今この瞬間から、データを正しく集めて残さなければいけない。
未来の誰かが、より優れた技術でそれを活かしてくれると信じて、バトンを繋いでいく。
地道な日々のルーティンワークであっても、それが未来のイノベーションの土壌になると思えば、仕事に対する熱量も変わってくると思う。
科博の収蔵庫には、同じ種類の生物の標本が、何百、何千と並んでいるという。
普通の感覚からすれば、「同じものをそんなにたくさん集めてどうするのか」と疑問に思ってしまう。
代表的なものを一つか二つ、きれいに残しておけば十分ではないか、と。
しかし、著者は「それでは意味がない」と断言している。
重要なのは、個体ごとの「違い」であり、バラつきなのだ。
生物の進化の歴史において、最も神秘的に思うのは、生命の持つ「不完全さ」だ。
細胞が分裂し、DNAを複製するとき、ごく稀にコピーミスが起きる。
これを突然変異と呼んでいる。
もし、この複製システムが完璧で、寸分の狂いもなく100%同じデータをコピーし続けるものだったとしたら、地球上には最初の一細胞生物しか存在しなかったはずだ。
エラーという「不完全さ」があったからこそ、多様な個体が生まれている。
そして、その多様性があるからこそ、地球の環境が激変したときに、たまたまその環境に適合する個体が生き残っていく。
均一であることは、一見すると効率的で美しく見えるが、生物学の視点に立てば、最もリスクが高い危険な状態と言えるのだ。
一つの環境変化や感染症の流行で、集団全体が一瞬で全滅しかねない。
この多様性の理論は、現代の組織運営やキャリア論にも、そのまま鋭く突き刺さると思う。
企業組織の中にいると、私たちはついつい均一であることを良しとしがちだ。
前例を踏襲し、ミスを極端に恐れ、同じような考え方、同じようなスキルの人ばかりを揃えようとしてしまう。
同質性の高い環境は、居心地が良いかもしれない。
指示も通りやすく、短期的な効率は上がるだろう。
しかしながら、現代のような変化の激しく、未来の予測が困難な時代において、均一な組織は極めて脆弱だと言わざるをえない。
一度、大きな市場の変化やテクノロジーの荒波に直面したとき、一気に崩壊してしまう危険を孕んでいる。
今こそ、私たちは「違いを楽しむ」姿勢を持つべきだ。
組織の中に、異なる背景や価値観を持った「異能」の人材を集める。
そして、その異能の掛け算によって、新しい価値を模索していく。
完璧を求めず、エラーや失敗を良しとして、突然変異を許容する。
違っていること、不完全であること。
それこそが、不確実な世界を生き抜くための最強の生存戦略だと言える。
私自身、会社員としてのキャリアも後半戦を迎えている。
今さら自分自身が変化することは難しいのかもしれない。
しかしながら、若い人の突然変異については、ドンドン応援していきたい。
我々の使命は、次の世代のために何を残せるか、という一点に尽きると思う。
時代は大きく動いている。
新しい技術や価値観を、まずは素直に受け入れてみること。
何歳になっても、好奇心を失わず、謙虚に学び続けること。
若い人たちがのびのびと挑戦し、失敗から学べるような、豊かな土壌を耕すこと。
科博の先人たちが、未来の科学者のために標本を残し続けたように、私もまた、未来の組織や社会のために、誠実なバトンタッチをしていかなければと思っている。
(2026/1/2金)