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出会いは心の背丈なり

左:僕(通称ヤング)、真ん中:大社武(通称ボス)、右:熊野清仁(通称クマ)

「ヤング、給料振り込んだよ!」

TORIHADA設立から丸2ヶ月が経ち、今日は初めての僕達の給料日だった。

「年内はまずサバイバル、自分の給料は自分で稼ごう。」

登記前の9月に、自分達三人で給料を決めた。

なんとか最低限の目標をクリアでき、ボス(社長の大社の通称)から振込の報告をもらった時、なんとも言えない喜びがあった。

僕が起業した理由

僕は、「ITの力で音楽のシーンに貢献したい、世界を変えたい」と言って会社を辞め、タイミング良く大社と良く話すようになり、TORIHADAの共同創業者になった。

今日は起業した理由と二ヶ月やってきて嬉しかったことをブログにしたいと思います。

反骨精神の塊

Clubとの出会い

僕が大学生の時、大半の時間をつぎ込んだのがDJだった。

大学に入学して、小学生の時からトランスという音楽が大好きだった僕は、ハッピーアワーの時間(クラブの入場が安くなる12時前)に1,000円だけ握り締めて、トランスの聖地だったナイトクラブATOMに毎週自転車で通った。

そこで、あるDJのパフォーマンスとその人気に衝撃を受け、それこそ鳥肌が立った。

その後すぐに、「僕もDJになりたいから、買うべき機材を教えて下さい」と声を掛けた。

それから僕は、憧れのクラブでイベントスタッフとして通うことになった。

給料は無かったけど、DJになるという夢に向かって無心で走っていった。

DJとしての生活

約半年でDJになり、お給料も頂けるようになったし、最高に楽しかった。

  • 練習すればする程スキルが上がる、努力すればする程お客様を呼べる
  • 一日のタイムテーブルを考えたチームプレイ
  • 毎日1,000人以上の熱狂したオーディエンス

"個"と"チーム"と"お客様"という環境は僕が小中高熱中して来たサッカーと一緒だった。

下手するとフロアから人がいなくなってしまう。

それが怖くて、必死に練習したし、お客様の気持ちが分かるように誰よりもフロアで踊った。

そこからお客様にも先輩方にも少しずつ評価してもらえるようになって、「DJは本当に最高な職業だ」と毎日幸せを噛み締めていた。

風営法に抵触

でも、風営法という法律に抵触していたことが発覚し、僕がDJをしていたクラブが営業停止になった。

1年間の大学休学を決め、DJとして生きていくことを決めた最中の出来事だった。

それから、色んなクラブが営業停止になり、「日本のクラブ業界は終わるんじゃないか」そんな雰囲気も感じていた。

大好きな"DJ"という職業と"クラブ"というカルチャーが法律によって否定された気がした。

まさかこんなに色んな人に喜んでもらえて素晴らしいと思っていた職業が、否定されるとは思わなかった。

勘違い

それから長い間(忘れたけど1年くらいだったと思う)、限られた時間と空間でDJをした。

風営法改善の署名活動の動きも有る中、僕はクラブの仲間達と渋谷の街のゴミ拾いをしながら、クラブカルチャーがクリーンであることを訴え、クラブの縮小営業(深夜になる前までの営業)を1年間続けた。

それでも、風営法は変わらなかった。

僕はDJの傍ら、慶應義塾大学に通い、日々素晴らしい経営者が世界を変えた話を聞いていた。

そこで盛大に勘違いして、

「日本の風営法を変えたい。変える方法は分からないけど、ビジネスとして思いっきり成立させられたら、俺でも法律も変えられるんじゃないか」

そう思うようになり、DJは辞めて就職することにした。

DJって「よーちぇけらっちょ」って言うんでしょ?やってみてよ!笑

それから、社会人になって、挨拶や自己紹介の場で、

「DJをやってました。ITやビジネスを学んで将来風営法を変えたいです。」

と言うと、DJというだけでも小馬鹿にされることが多かった。

自意識過剰かもしれないけど。

人によっては、「お前何言ってるの?法律が出来た背景とかちゃんと考えてる?」って怒られることもあった。

「よーちぇけらっちょなんて言わねーよ、ムカつくな」

そんな事を感じながら、与えられた仕事に向き合いビジネスマンとしてもがく日々だった。

風営法の改定

社会人4年目に風営法が改定になった。

クラブは申請を出せば営業してOKになった。

お祝いも込めてクラブに行くと、当時のDJの同期や後輩がクラブで輝いていた。

風営法も変わったし、あいつらすげーかっこいいから、俺ももう一回クラブカルチャー・ダンスミュージックのシーンでチャレンジしたい。」

そう思った。

DJという職業を子供の夢にしたい

DJに戻ろうとは思わなかった。

サイバーエージェントに学ばせてもらったITやビジネスをシーンに応用して、自分一人がDJに戻るよりも大きなインパクトを与えたかった。

それは、DJへの偏見への挑戦でもある。

海外では、サッカー選手くらい稼げる職業の一つだし、最高に良い職業だって信じているのに、日本では「DJになることが夢」という子供が一人もいない。

ましてや、まともな職業として認知されていない。

そんな日本の空気を変えたいと思った。

サイバーエージェントでは、0から月商数億の事業を創る経験をさせてもらった。

その場を体験させてもらったことで、

人生頑張れば夢は叶うんじゃないか

そんな気持ちになっていたことも僕を後押しして、退職を決意した。

夢に向かって再度動き出した人生

それから、大社武、熊野清仁という素晴らしい仲間と出会い、完全にビジョンや考えがシンクロした。

(本当に素晴らしい尊敬できる先輩方なので、いつかブログで紹介したいと思っている。)

僕は社長になりたいと思っていたわけではなかったし、大社から

「音楽って絶対鳥肌の要素だよね。お前がやりたいことに賛同してるし、それを俺は実現させたい。TORIHADAを俺たちの自己実現の場にしよう。」

と言われた時、この人と一緒にやろうと思った。

三人で初めて飲んだ日(8月半ば?)から、更に急速に話が進み、10月2日に株式会社TORIHADAを設立した。

まず、音楽・ライブエンターテイメント業界に身を置きたい

みんなで決めた"自分の給料は自分で稼ぐ"というのは前提として、僕はまず音楽業界で働いてみたかった。

だから、世界最大規模のフェス事業やDJの先輩方がやっているダンスミュージックの音楽レーベルとお仕事をさせてもらいたいと頼み込んだ。

僕の業界への想いを信じてもらい、なんと創業1ヶ月目からお仕事を頂けることになった。

なんの実績も無い、想いだけの僕を信じてくれた方々には一生感謝し続けるし、絶対に恩返ししたいと思っている。

思想家集団

TORIHADAは、みんな馬鹿げたドリーマー。

  • 鳥肌が立つ程の感動体験を生み出すことによって世界を良くすると信じ、NO BORDERな王国を作りたいボス
  • 単に金を稼ぐための映像ではなく、本気で鳥肌の立つ映像を創り、カンヌを取りたいクマさん
  • 感動体験を創ることに人間の仕事が収束されていくと思っていて、DJが子供達の夢になるくらい日本の音楽シーンを変えたいヤング

だから、夢を堂々と語るのが少し怖くなっていた僕が、TORIHADAを創って三人で語り合えば語り合う程、

「昨日も熱かったねー!熱すぎて火傷するかと思ったわ!」

なんてパートナーの方に言われるくらい、自信をもって夢を語れるようになった。

熱くなれて本当に嬉しい。

出会いは心の背丈なり

すると、ありがたいことに、かっこいい方々と繋がってきた。

ライブエンターテイメントや音楽シーンの世界最高峰のプレイヤーや仕掛け人とお会いさせて頂くことも増えてきた。

起業の大先輩方からも経験談やマインド、ビジネスの情勢や流れを教えて頂ける機会も多くなった。

ビジョンしかなかった状態から、出会った方々と一緒に商品を創ったり、アーティストのチャレンジを提案するようになった。

また、新たにTORIHADAに入る最高にドリーマーで熱い仲間達も増えてきた。

本当にありがたい日々でこんなに幸せなことはないと思う。

大社のお母様の言葉で、

出会いは心の背丈なり

という言葉がある。

「一人一人の人生そのままがクリエイティブなんだ。その出会いは最高の宝物であり、心の背丈を反映させるもの。だからこそ、心を育て続けなきゃいけないよ。」

そんなメッセージだったと思う。

もっともっと心を育てて、今後の出会いを更に素晴らしいものにして、最高の仲間達と一緒に、自分も含めてみんなの夢を実現できる最高の組織を作っていけるように頑張りたい。

冒険のDNA

TORIHADA MAKES THE WORLD BETTERという、大きなロマンを掲げているから、これから沢山の仲間が必要だし、弾かなきゃいけないそろばんは莫大だと思う。

だからプレッシャーも凄いし、本当に実直に頑張らなきゃいけない。

大変だけど、今は本当にエキサイティングで最高に楽しいから、頑張る。

ボスやクマさん、周りの仲間、いつもご一緒させて頂いているパートナーの皆様への感謝を忘れず、常に奮い立たせて、この冒険を最高に楽しんで行きたいと思います。

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