株式会社ウェブライダー誕生秘話 エピソード0
私たち株式会社ウェブライダーに関心をもっていただき、ありがとうございます。
私はウェブライダーの代表取締役、松尾茂起です。
このページでは、私がなぜウェブライダーという名前の会社を立ち上げたのか、そしてなぜ「すべての人をヒーローに」という理念に辿り着いたのか、そのエピソードについてお話しします。
1.人生を変えた書籍『ウェブ進化論』との出会い
私は関西学院大学の経済学部を卒業後、以前から夢だった音楽の仕事に就きたいと考え、京都にある音楽系の制作会社に就職しました。
その制作会社は、数々の有名な舞台の音楽を制作していた会社で、私は当時、制作助手として勤務していました。
その会社で得られた知見はとても大きなものでした。
一流の俳優さん、そして一流のスタッフが集う華やかな舞台の世界で、私は舞台音楽の制作という仕事の奥深さを学びました。
その制作会社のスタイルは、舞台の稽古場でリアルタイムに曲を作っていくというもの。
当時の私は、京都の会社から東京の稽古場まで、重さ20Kg近いキーボードを新幹線で持ち運ぶ日々を送っていました。
稽古場では、そのキーボードを平机の上に置き、俳優さんたちの白熱する演技を見ながら、台詞のトーン、リズム、熱量に合わせて曲を作っていきました。
一瞬たりとも気を許せない現場で、私はそれ以降体験することのないような多くの刺激を受けました。
それと同時に、一流の世界で仕事を続ける厳しさも知りました。
制作会社に勤めてから3年後の2004年9月。
私は深夜残業から帰宅した自宅マンションで倒れ、救急車で運ばれます。
倒れた原因は、長年にわたる極度の緊張状態が続いていたことによる自律神経系の病。
その病により、私は以後2年間にわたり、原因不明の目眩や不眠、強迫観念に苦しめ続けられることとなります。
すべては自分の能力の無さと精神的な弱さが原因。
そう思い詰めるたびに、その症状はますます私を苦しめました。
そんな折、私はある本と出会います。
その本の名は『ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる』 。
2006年にベストセラーとなっていた新書でした。
その本は、私が偶然通りかかった書店の店頭に平積みされていました。
当時の私はほとんど本を読むことはありませんでしたが、たまたまの気まぐれで、その本を買って読んでみようと思ったのです。
本を買い、何気なく読み始めた私。
気が付けば、時間が経つのも忘れてページを読み進めていました。
この本には今の自分に必要な何かが書かれている、そんな予感がしてなりませんでした。
そして、その予感の通り、その本の中に書かれていた「検索エンジン」と「ロングテール」という言葉が、私の人生を大きく変えるきっかけをつくります。
2.人生の価値を教えてくれたSEO
その本には、次のようなことが書かれていました。
「検索エンジン上で見つけてもらうための努力をすれば、どんなにマニアックな商品でも、それを求める人がいるかぎり見つけてもらえる」
そういった世界が実際に訪れていることを知った私は、気分が高揚していました。
ウェブ進化論を読み終えたとき、時刻は深夜1時を指していました。
私は、その本を読み終えた勢いのまま、ヘッドホンを付けて電子ピアノに向かいました。
そして、Digital PerformerというDAWソフトを用いて、自分のピアノ演奏を次から次へと録音していったのです。
気が付けば、夜は明けていました。
録音したピアノ演奏の総時間は74分。
74分という時間は、当時のオーディオCD1枚分の限界収録時間です。
実は私はあるアイデアをひらめいていました。
それは、「ピアノが弾きたくても弾けない作曲家・編曲家さんのために、自分のピアノ伴奏を使ってもらえるフレーズ素材集をつくろう」というものでした。
そうして私は『超!ピアノMIDI素材集』という名前のフレーズ素材集を完成させます。
その素材集は74分のオーディオCD1枚と、編集可能なMIDIデータをまとめたCD-ROM1枚から構成される、合計2枚のCDで構成された商品でした。
私はその素材集を1セット3,000円という値段設定にし、ネットを使って販売することにしました。
HTMLとCSSを独学で学び、つたない販売サイトを立ち上げました。
そして、独学で学んだSEO(検索エンジン最適化)の知識を用いて、「ピアノ素材」「ピアノ伴奏」「ピアノmidi」などのキーワードでの上位表示を狙ったのです。
SEOといっても、当時のSEOはとてもシンプルなものでした。
HTMLソース構造の最適化や、外部リンクを人工的に増やすことで、順位が比較的容易に上がったのです。
いわゆる検索エンジンの“ハック”をおこなう人たちが、たくさんいました。
そんな時代において、私がおこなったSEOはとてもアナログなものでした。
全国にいる作曲家・編曲家さんたちのサイトを見つけては、 メールで一人ひとりコンタクトをとり、「超!ピアノMIDI素材集」のデモを聞いてもらいました。
そして、よければ自分のサイトからリンクさせてほしいと伝えたのです。
多くの作曲家・編曲家さんからリンク掲載の許可を得た私は、サイト内からリンクを張り、1サイト1サイト大切に紹介しました。
すると、リンクをした作曲家・編曲家さんたちから逆にリンクを張ってもらえたのです。
昔で言う「相互リンク」です。
その相互リンクからはたくさんのトラフィックが発生し、 「超!ピアノMIDI素材集」を購入してくださる方が次第に増えていきました。
やがて、 サイトも上位表示し、 素材集は多い月で月に100本ほど売れるようになりました。
私の収入は安定しました。
しかし、そのときには私の関心は収入とは別のところへ移っていました。
それは、京都の住む名もなき作曲家・ピアニストがつくったつたない商品が、全国の作曲家・編曲家さんに受け入れてもらっている。
しかも、クレームが1件もないどころか、多くの購入者さんからは「こんな商品が欲しかったんです」「次作も期待しています!」という喜びの声が次々と寄せられることに。
こんなに幸せなことがあっていいのだろうか・・・。
自分は価値の無い人間ではなかったんだ・・・。
私は自分の人生を取り戻した感覚でした。
それと同時に、検索エンジンとの出会いこそが、自分の人生を救ってくれたことにあらためて気付いたのです。
3.SEOテンプレートセット『賢威(けんい)』の誕生
「超!ピアノMIDI素材集」の成功で、私はビジネスに対して自信をもてるようになりました。
自分の商品を購入してくださっている人たちは皆、世の中にこんな商品があれば良いのにと必死で探し求めてくれた人たち。
私は自分から商品を売り込んだわけではありません。
商品を見つけてもらう努力をしただけです。
その努力の背景には、検索エンジンで上位表示するためのノウハウ、すなわち「SEO(検索エンジン最適化)」のノウハウがありました。
そこで私は次なる事業のアイデアを考えます。
私が次に考えたのは、自分と同じように何らかのビジネスアイデアを眠らせている人たちに、自身のSEOノウハウを提供するというものでした。
人生をあきらめかけていた自分が救われたノウハウ。
このノウハウを多くの人に伝えれば、きっと自分と同じように救われる人がいるはず、そう考えたのです。
そうして生まれたのが、『賢威(けんい)』というSEO向けテンプレートのセットです。
『賢威(けんい)』は、Googleのクローラーがクローリングしやすい構造のホームページテンプレートと、SEOを進めるためのステップをまとめたマニュアル、そしてSEOでわからないことがあれば質問を受け付けるというサポートデスクの利用権という3点がセットになったものでした。
さらには、一度「賢威」を購入すれば、今後ずっと無料でバージョンアップができるという、バージョンアップ権も付けていました。
実はこの「賢威」は、販売から13年経った今も販売し続けています。
よって、13年前に「賢威」を買ってくださった方々には、今も無料でバージョンアップ版を差し上げています。(現行バージョンは8.0)
そんな話をすると、このサブスクリプション全盛の時代においてあり得ない、とはよく言われます。
しかし、自分で課したルールですし、お客さまとの約束です。
今後、特別な事情がない限り、この「賢威」を守り続けていきたいと思っています。
実は正直なところ、私自身も、こんなに長い間「賢威」を支持してくださる方がいるとは思ってもいませんでした。
しかし、今も「賢威」は多くの方に支持され、多くのお客さまのサイトのSEOをサポートし続けています。
「賢威があって良かった」その言葉を聞くたびに、うれしい気持ちになります。
4.発売から2ヶ月で『賢威』を販売停止した理由
「賢威」を開発した当時の話に戻ります。
私は「超!ピアノMIDI素材集」の成功のあと、「賢威」の開発に着手します。
開発した期間は、2006年11月から約2ヶ月間。
2007年1月4日に満を持して販売された賢威は、 「超!ピアノMIDI素材集」の成功というクチコミ効果により、2ヶ月で1,000本近くが購入されるという結果をもたらします。
自分が想像していた以上の売れ行きに喜んだ私。
しかし、そこからが大変でした。
なぜなら、1,000名近くの購入者さんをたったひとりでサポートしなければならなかったからです。
しかも、当時はSEO向けテンプレートのセットという商品はとても珍しく、お客さまの多くはHTMLもCSSの知識もない方ばかり。
SEOのノウハウのサポート以上に、HTMLやCSSの知識のサポートに時間を遣いました。
そこで私は「賢威」を2ヶ月で販売を停止することにします。
そうして私は、しばらくの間、メールサポートに専念することにしました。
そのサポートの中で、私は人生であんなにもたくさんのメールを返信した記憶は無いというほど、たくさんのメールを返信しました。
その過程で、一人ひとりの悩みと向き合う大切さを知ったのです。
また、当時の私はビジネスにおける礼儀作法がまるで成っていませんでした。
なぜなら、私が以前勤めていた会社では制作の仕事が主だったため、稽古場での仕事はさておき、誰かと対面でやりとりすることが少なかったからです。
そんな自分に、賢威を買ってくださったお客さまは温かくご指導してくださいました。
今思えば、なんて恵まれていた販売者なんだろうと思います。
その後、良質なサポート体制を維持するためには、メールでのサポートよりも、掲示板を通じた自助的な形がよいと考え始めます。
そうして、賢威のサポートフォーラムがスタートしました。
フォーラムの運営はとても大変でしたが、多くの方が利用するコミュニティとなり、私のサポートもフォーラムを通じておこなうことが増えていきました。
5.株式会社ウェブライダーの誕生
そんな中、複数のお客さまから「SEOのコンサルティングを頼めないか?」「サイト制作をお願いできないか?」というようなご依頼をいただくようになりました。
お客さま一社一社のビジネスにフォーカスし、商品やサービスの価値を検索ユーザーにどのように伝えるべきかを考える日々。
その仕事はとても新鮮で、たくさんの発見がありました。
やがて、賢威も販売を再開。
私の仕事の軸は、賢威の販売・サポート、SEOコンサルティング、Webサイト制作という3本柱になります。
そしてその頃、私はあることを考え始めました。
それは「これ以上、フリーランスという立場で事業を続ける理由はあるのだろうか。お客さまの規模が大きくなっていく中、法人化したほうが良いのではないか」と。
フリーランスという立場だと、先方の稟議が通らず、ビジネスをご一緒できないケースも増えていました。
そうして私は、会社設立に詳しい知人の税理士のアドバイスのもと、『ウェブライダー』という会社を立ち上げることを決めます。
会社名はすぐに決まりました。
不思議なもので、当時仕事を依頼していたWebデザイナーとの会話の中で、ふと『ウェブライダー』という社名が降ってきたのです。
ウェブライダーという名前に決めた理由は2つありました。
1.検索集客に困った人たちが最後に頼りたいと思えるような、頼りがいのある「人」でありたい
2.目まぐるしく変化するWebの変化の波についてゆけるような、波を乗りこなせる「人」でありたい
そして、会社設立と同時に私が考えた経営理念は「すべての人をヒーローに」。
誰もがきっと誰かのヒーローとなれる時代。
私が「超!ピアノMIDI素材集」の成功によって誰かのヒーローになれたように、この世の中の人たちが誰かにとってのヒーローとなるきっかけをつくっていきたい。
この経営理念は10年間、一度も変わっていません。
そうしてウェブライダーの大冒険は始まったのです。