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日本酒を世界に広めたい!!

日本酒やワインに興味を持ったキッカケと経緯

ワインに目覚めた経緯

大学1年生の時に、六本木のイタリアンレストランでバイトをしていて

そこで、カリフォルニアやイタリアのワインを覚え、そこからだんだんと

ワインに嵌りました。

バイトの先輩方と飲みに行ったりして、とても楽しかったです。

そうしているうちに、大学へは週1日しか行かなくなり、

バイトと稼いだ給料でワインを買って飲んでいました。

でも、「このままでいいのか・・・?」と思い

「自分は何になりたいんだ?」と、急に不安になりじっくりと

自問自答し、

「そんなにお酒が好きならば、お酒の勉強すれば?」と自分の声がしました。

そこで新宿の紀伊国屋へ行き、有り金で何十冊のワイン、日本酒、

ウィスキーなどの本を片っ端から買いあさり、読みまくりました。

ワインの産地、ナパバレーへの武者修行

大学四年の時に貯金したお金プラス親に借金して当時通っていた

英会話教室のカリフォルニア出身の先生の勧めで

カリフォルニアのナパバレーに1ヶ月滞在していました。

そこで、ワイン造りを体験したかったので、ワイナリーに頼み込んで、

「ここでで働かせてください。給料は要りません!」と、何箇所か頼んで見ました。

しかし、答はNOでした。

労災保険に加入しなければいけないし、観光ビザでは、就労はできない、というのが理由です。

当時、メルシャンに内定していたので(その後、留年して、内定は破談になる)、

ナパに「マーカム」というワイナリーがあると聞いていたので、

もしかしたら、と思い、直行しました。

マーカムに着き、日本から出向していた社員の方に働かせてもらえるよう頼みました。

その方が親身になってくださる方だったので、すぐ国際部の部長さんに話を繋いでくださり、

特例中の特例で、働かさせてもらえることになりました。

なんと、メルシャン始まって以来、社長の親族以外では、

初の例外だったそうです。

宿泊先は、マーカムの従業員の中にメキシコ人の9人兄弟がいて、面倒見のいい次男の方が

「お金はいいから、ビールでも持って行ってあげて」という条件で

ドミトリー(共同宿泊施設)にしばらく泊めさせていただきました。

休日は、レンタルした自転車で、周辺のワイナリーへ訪問をし続けていました。

二週間ほど働かさせていただき、その後、隣のソノマ郡にもたくさんのワイナリーがあったので、

訪問しようとしましたが、ソノマのワイナリーは、ナパのようにワイナリーが密集していないので、

自転車では、訪問を続けるのは、難しいと聞いていたので、

レンタカーを借り、訪問しました。

夜になってから、道に迷ってりして怖い思いもしましたが、

ナパ、ソノマ合わせて80箇所のワイナリーを訪問(テイスティング)しました。

なんとか無事、日本に帰国し、「今度は、お金を貯めて、イタリア・フランスの

ワイナリーへ行くぞ!」と心に決めました。

ブッラクレストラン

しかし、その後は、間違えると殴る蹴る、罵声を浴びせられる・・・

毎日15時間労働で、休みは、3ヶ月に1日あるかないか、そんな都内某所にあるブラックな

レストランで働くこととなりました。

給料は、月に14,15万円くらいで、家賃・食費・水道光熱費を払うと

ほとんど残らず、給料前になると、お腹が空いても菓子パンすら買うのをためらうほど

お金にも困り、自信もなくなっていき

すっかり、夢や希望を失ってしまいました。

辞めたかったのですが、イタリア製の超高級なランプの

ガラス細工を掃除中に誤って割ってしまい、

「辞めるなら、弁償してからにしろ!」

と脅かされ、辞めるに辞められず、足抜けできずにズルズルと5年近く

勤務し続けていました。

結局、堪りかねて街金で借金して、弁償した上で、辞めることを承諾してもらいました。

それでもしばらくは、人手がいないとのことで

半年こき使われましたが。

催事販売編

群馬に帰り、仕事探しを始めました。

今度は、会社のいいなりにならない、生き方をしたい

そう思い、仕事の条件を考えました。

①やったらやっただけ稼げる

②お酒、お茶、コーヒーなど飲み物を扱う仕事

③給料が決められたいわゆる会社員にならない

この条件で探しました。

そこで始めたのが、日本茶の催事販売の仕事です。

催事というのは、ワゴン車に屋台の機材を運び、

全国のスーパーや百貨店などに出店料を払い、

場所を間借りして商売する仕事です。

その会社の社長さんに教わりながら、実践していき、

そこそこ売れるようになりました。

今まで20万円もらうのがやっとでしたが、

その何倍も給料が増えました。

この仕事を10年近く続けました。

売れない現場もたくさんあったり

夏は売り上げが大幅に減るので、収入は、どうしても

不安定になりがちでしたが、この仕事には感謝しています。

若気(馬鹿げ)の至りでちょっと売れてくらいで

夜の街に繰り出したりしたこともありました。

時効なので告白しちゃいますが、飲酒運転で3年間免許取り消しになる経験もしました。

車がないと仕事にならないので、大変困りました。

そこで、赤帽を雇い、隣に乗せてもらいながら、遠くは三重県四日市市などにも行ってきました。

(原則、客を助手席に同乗させるのは、禁止ですが大体承知してもらえました。)

催事を続け、世間のこともよく勉強せず、ただただ仕事に明け暮れている

生活が嫌になったこともあったのですが、どうにか実家の養鶏場(3年前に廃業しています。)

を盛り上げることができないか

と思い、養鶏場で働くことにしました。

ネットビジネスとの出会い

給料としては、生活費を賄う程度しかもらえないので、

少し貯金はありましたが、どうにかお金を稼ぐにはどうしたらいいか、

探しまくりました。

勉強もしたかったので、セミナー、勉強会などに都内にしょっちゅう足を運びました。

そんな中、ネットワークビジネスをやったり、様々手を出しましたが、

パッとせず、そこで、インターネットビジネスに出会いました。

その当時(2011年ごろ)は、まだ、ネットビジネスは怪しいものも多く

私自身もビジネスのこと自体をよくわかっていなかったので、

散々いろんな商材を買いあさり、立派にノウハウコレクターになりました。

それでも懲りず、30万円以上するネットビジネスの塾にも参加しました。

メルマガ・ブログアフィリエイトを教えている塾です。

どうしても稼ぎたくて、頑張りました。

毎朝4時に起きて、メルマガ、ブログの記事を書き、

読者集めのための無料レポート作成し、

養鶏場から帰ったら、塾側に報告や塾生同士の情報交換をしました。

たまに都内で懇親会があり、養鶏場の卵を持って行って仲間に食べてもらい

喜んでいただいたこともありました。

一年半続け、稼げたのは、500円くらいでした。

心折れました。

貯金も尽き、養鶏場も相変わらずで、

父からも「もう給料は払えない。どこかへ就職してくれ」と言われ

アクサ生命の営業となりました。

しかし、会社が指定したお客様の元へ行き、訪問を続けましたが、

全く売れず、外資系なので、査定の数字に届かなかったので、半年で

解雇されてしましました。

その後、職を転々し、今は、地元の工場の派遣作業員として働いています。

先月、とある有名な先生の公開カウンセリングセミナーで、自分が本当にやりたい

日本酒・日本食を世界に広めたい!

ということに気づき、今まで抑えていた自分の願望に

嘘をつくのはやめようということで、御社に興味を持ちました。

どうぞ、よろしくお願いします。