こんにちは、aciassの畠です。
関東も梅雨入りとなりましたが、あまり雨もなく、過ごしやすい日が続いていますね。
もっと天気が崩れるものかと思っていたので、梅雨入り前の週末に、湖へと出かけてきました。
個人的に印象的だった出来事がありましたので、今日はそのお話をさせていただきます。
出鼻、いや出耳をくじかれる
目的地まで片道4時間ほどのドライブになりました。
標高が上がるにつれて気温は下がり、窓を開けると涼しい風が車内に入ってきます。
街中ではすっかり暑さを感じる季節になっていましたが、その場所だけは別世界のような心地よさでした。
そして、目当ての湖に到着。
対岸まで見渡せる小さな湖、ほど良い日差しと、優しい風に揺れる木々。
人もさほどおらず、これはリラックスできそうだ、と穏やかな気持ちになりました。
そう、ドアを開けるまでは。
???「ジィージィー!!!ジィージィー!!!」
ドアの隙間から、けたたましい鳴き声が流れ込み、右耳から左耳へ貫通しました。
カエル?虫?鳥?
しかも一匹や二匹ではありません。
山全体が鳴いているのではないかと思うほどの大合唱です。
なんだこれ、うるさすぎるだろ……
風情も何もありません。
高原の爽やかな風も、綺麗な景色も、全部この声に持っていかれています。
体が知覚する情報の99%が謎の鳴き声です。
もう脳内の音声ミキサーが完全に壊れています。
もう1段階くじかれる
あまりのうるささに、現地のスタッフに聞いてみました。
「この鳴き声みたいなの、何ですか?」
すると返ってきたのは予想外の言葉でした。
「どれのことですか?」
…どれ?
どれとは?
私には一種類しか聞こえていません。
むしろこれ以外の音が存在することが信じられない状況です。
しかし、その方は本気で言っている様子でした。
私は思いました。
もしかして、この人には私とは違う世界が聞こえているのではないか、と。
声の主は蝉
詳しくお話を聞いてみると、鳴き声の正体は「ハルゼミ」と呼ばれる蝉でした。
4〜6月ころに鳴く、まさに春の蝉だそうです。
その土地で暮らしている人にとって、ハルゼミの鳴き声は毎年当たり前に聞いている音でしょう。
おそらく特別なものではなく、風の音や鳥の声と同じような「そこにあって当然のもの」なのだと思います。
ただ、馴染みのない私にとっては、あまりにも存在感が大きすぎて、それ以外の音はほとんど認識できていませんでした。
考えてみれば私たちも同じようなことを日常的に経験しているのかもしれません。
例えば、自宅やオフィスのエアコンの音です。
普段はほとんど気になりませんが、ふと他の生活音が止んだ時「こんなに音がしていたのか」と驚くことがあります。
聞こえなくなっていたのではなく、脳が重要ではない音として処理していただけなんでしょうね。
そして、この現象は仕事においても覚えがあるなと思いました。
新しい環境とノイズ
新しい職場に入ったばかりの頃を思い返してみると、何もかもが騒がしく感じた気がします。
聞いたことない通知音、知らない人の声、聞き慣れない社内用語…
音だけでなく、すべての情報が過多といった状況で、いちいち脳が反応して疲弊したのを覚えています。
周囲の人たちは普通に会話しているのに、自分だけが騒がしい環境にいるような、そんな気分でした。
ところが数か月もすると、不思議なくらい自然に過ごせるようになりました。
音の発生源が減ったわけではありません。
最初からそこにあった膨大な情報の中で、重要なものとそうでないものを区別できるようになったからだと思うんです。
そして、余裕が生まれると、それまで気づかなかったものが見えるようになります。
誰が困っているのか。
どの仕事が滞っているのか。
その組織にどんな価値観が根付いているのか。
最初はノイズの中に埋もれていた、大切な情報にも気づけるようになった気がします。
「慣れる」という言葉には、どこか感覚が鈍くなるような印象があります。
けれど、本当は逆なのかもしれません。
見えなくなることではなく、より細かく見えるようになること。
聞こえなくなることではなく、聞き分けられるようになること。
むしろ鋭くなることなのかもしれません。
帰り道、車を運転しながらそんなことを考えました。
おわりに
湖で出会った方はきっと、蝉の声が当たり前だったからこそ、その向こうにある鳥の鳴き声、カエルの鳴き声、木々の音に気づけるようになっていたのかもしれません。
もっとも、その境地に達するには、私はまだまだ修行が足りなかったようです。
帰路に着くまでの間、私に聞こえていたのは蝉の声だけでした。
現地の人が聞いていたであろう豊かな自然の音は、また次に訪れたときのお楽しみにしておこうと思います。