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アートリー創業ストーリー(前編)時代の最先端を行く社長が起業に至るまでの原体験とは

今回は、アートリーの代表にインタビューしました。

起業までの道のりについて、また会社への想いと未来への展望について語っていただきました。当初1本の予定だった記事が急遽2本立てになるほどの濃い半生とビジネス観、ぜひ最後までご覧ください!

前編 

バンド活動もラジオパーソナリティも、アルバイトも…すべてに意味があった。アートリーが生まれるまで

ー本日は何卒よろしくお願いします。まず、自己紹介をお願いします!

よろしくお願いいたします。

2歳から15歳まで名古屋インターナショナルスクールに通い、そのあと公立中学校に転校しました。中学校で出会った仲間たちとバンドを結成し、音楽活動も行っていました。

中学卒業後は高校・大学と進学したのですが、大学は1年で中退し、いくつかのベンチャー企業での勤務やフリーランスの時期を経て起業に至りました。


ーものすごく濃い人生ですよね!少しずつ掘り下げていきたいと思います。幼少期の学びや経験について、具体的に教えていただきたいです!

はい。僕は早生まれだったので、9月から学年が始まるインターナショナルスクールに3歳になる前から通っていました。授業は、コンピューターとアート、あとは数学が得意でした。コンピューターは4、5歳ごろから触っていたと思います。

8年生まで通ったあと公立中学校に転校するまで、学年の始まりがずれている関係で半年間ほど学校には通わずに、家にいた時期がありました。この時に初めて自分用のPCとしてiMacを買ってもらい、ホームページ作りのためにHTMLを勉強しました。


ー幼いころからコンピューターに触れて育ったのですね。独学でHTMLを勉強されたとのことなのですが、なにか実際にページを作ってみたりしたのでしょうか?

当時好きだったHUNTER×HUNTERという漫画のファンサイトを作っていました。

色々なWebアプリケーションを開発して、サイトをカスタマイズしたりもしました。チャット機能や掲示板機能、あと今で言うソシャゲのようなゲームも入れたりして…かなり盛り上がっていて、アクセス数もありましたね。


ーその当時の経験が、今のお仕事にも活きているのかもしれませんね。企画と制作が両方できて、実際に現場で手を動かすこともできる人材というのはめずらしいですよね?

企画からプログラミング、デザインもできる人間というのはレアかもしれないです(笑)


ー過去と今の繋がりがだんだん見えてきたように思います。続いて、中学校から始められたという音楽活動について教えていただきたいです。

公立中学校に転校して今の役員のメンバーたちに出会いました。

高校生になってからバンドをやるようになり、ホームページ作りやシステム開発から少し離れる時期がありました。再びコンピューターをがっつり触るようになったのは19歳のころですね。次はバンドのホームページを作り始めたんです。

バンド活動をするにあたって、集客のことを常に考えていました。ライブ活動を月に3回ほど行っていたのですが、そのライブとライブの間に、ファンのエンゲージメントをどうやってキープするかということですね。

そのブランクを埋めるためにオンラインでコンテンツを配信しようと思い、ホームページ制作に力を入れていました。メンバーそれぞれの掲示板を作って色々アップできるようにしたりとか。

このころ、ちょうどミクシィが出始めた頃だったので、そういったSNSも活用していました。

この時の経験が、会社のマーケティングやプロモーションの考え方につながっていった気がしますね。



ーその若さでもう集客やビジネスモデルについての考え方がしっかりしているのが凄いですね…!その後、大学を辞められていますが、何か理由があったのでしょうか?

そうですね、英語やコンピュータについて学べる部分のレベルが物足りなくて辞めてしまいました。


ー大学入学前に、すでにかなりハイレベルな人材でしたもんね。大学を辞めた後は、具体的にどのようなことをされていたのですか?

大学を辞めた後は、ライブ活動と並行してモデル活動やラジオパーソナリティもしていました。バンドの認知拡大のためのイベント活動も行っていて、さらに並行してアルバイトもしていました。

アルバイト先は大学生向けのフリーペーパーを扱っていて、高校時代のバイト先で知り合った先輩がそのフリーペーパーの支局長をやっていた繋がりで入りました。僕はその中でWebマガジンやWebコンテンツの取材や飛び込み営業をしていました。

1000部くらいのパンフレットを持って知らない大学に行き、カフェテリアでご飯を食べている人全員に配布したりとか、パンフレットを車に積んで名古屋中の学生さんの家にポスティングしていったりとか…。

その頃に一度スタートアップも経験しています。その支局長が人材派遣の会社を起業して、派遣スタッフの調達や業務効率化のためのシステム開発などを手伝っていました。ちょうど小泉改革があった時代で、労働者派遣に関するが法律が緩和されたり、資本金1円から起業できるようになったタイミングですね。

また、その時代に高校時代から活動してきたバンドがメンバーの就職などの都合で解散したり、その後ソロで所属していた音楽プロダクションも不祥事でなくなったりしました。ラジオパーソナリティとしての活動も、スポンサー企業の組織体制の変更で番組の管轄が変わったのがきっかけで終わりました。


ー怒涛の展開ですね…!そこからどうやってアートリーの起業へと繋がっていくのでしょうか?

バンドが解散してから2年ほどたった後、しばらく会っていなかったメンバーを、僕が買い物に行くときにたまたま誘ったのがきっかけで、ちょっとずつ話が進んでいきます。

買い物に行ったときに一緒に食事をしたのですが、その時に「これからの時代はITだよね」「なんかやりたいね」みたいな話になって…。

僕はコーディングができたので、毎週金曜日にITオールの会と銘打って僕の家に集まってコーディングを教えたりするようになりました。


それと並行して、僕は通販の会社でリモートワークをしていました。音楽プロダクションが解散した後に関係者の繋がりで紹介していただいた会社で、メンバーは2人ほどの組織でした。

仕事内容としては楽天ショップのバナー制作や運営を任されて、家にいながら週5で働いて月に20万円くらいいただくようになりました。


ー当時からリモートワークをされていたというのは先進的ですね。働いてみて、なにかご自身の心境に変化はありましたか?

お金への考え方に変化がありました。それ以前までは、お金にあまり執着がないというか…バンドのスタジオ代金が稼げたらいいや、みたいな感じで。ストレスのない仕事しかしたくなかったので、仕事内容もラジオパーソナリティとモデルしかやっていませんでした。

でも、まとまったお金をいただくことで、稼ぐのって楽しいと思うようになったんです。


ー大きな変化ですね!

その後、通販の会社は辞めてWeb制作会社に移りました。こちらも3人くらいの小規模な会社です。Web制作ビジネスのノウハウを学びながら働きました。稼げるポテンシャルがある業界だということもわかってきたのですが、社長の破天荒さによって会社が傾いてしまって…。

会社を辞めることになり、フリーランスとなって残った社員に技術指導をしながら、この先何をしようかな?ということを考えていました。

そこで色々な人に相談した結果、「起業した方がいいんじゃない?」と言われたんです。幸い、発注するよと言ってくださった方もいましたし、最初からクライアントがいる状態で事業が始められそうでした。


ーまたまた怒涛の展開ですね。最初からクライアントさんがついているというのは強いですね…!バイネームで仕事をしてきた証なのかなと思います。起業までの流れはどのようなものだったのですか?


最初の3〜4ヵ月は完全にフリーランスで活動して、稼いだお金を資本金として会社を立ち上げました。友人は別の会社に勤めながら仕事を手伝ってくれていたのですが、僕の方の業務がものすごく忙しくなってきて、彼はもう寝る間もないみたいな感じになっていたんです(笑)

それで、もう今の会社を辞めて僕の会社に来ないか?と声をかけて友人が入社にいたった、というのがアートリーの創業期にあった出来事になります。


ーすごい、1本のドラマみたいでした!起業するにあたって、葛藤や不安はありませんでしたか?

それでいうと、人生の選択を迫られたシーンはありましたね。

上京してバンド活動を続けるか、それとも東京には行かずに起業するか、という選択です。

実は、東京にもご縁があったので、事務所に所属してバンドを続けるという選択肢も見えていました。でも、その時家庭の経済状況があまりよくなくて、家にお金を入れる必要があったんですね。

家族に今後どうするかの相談をしたとき、東京に行ってバンド活動をしながら家にお金を入れる話もしたのですが、やっぱり放っておけないというところで東京に行くのをやめ、起業の道を選びました。家庭事情もキャリア選択の背景事情の1つかなと思います。


ーそうだったのですね。引く手数多な中で、自分にとってベストな選択を常に考えてきたのが伝わってきます。やはり、起業に至るまでに、色々なスキルを身につけてきたというのが大きい意味を持ったのでしょうか?

そうですね。起業するまでに色々なスキルを得たと思います。バンド活動では音楽を通じてコンテンツの創造力も養われましたし、組織作りについて考える機会もありました。ラジオパーソナリティのお仕事では、毎回初めてお会いする高校生ゲストと生放送で30分の番組を作っていたのですが、トークスキルが磨かれただけでなく、今もその当時の着想からアイデアを作ることがあります。

本当にいろいろな経験をさせてもらったのかなと思いますね。



後編へ続く

このストーリーを読んで

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