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事業責任者が語る新領域事業「FiKNOTS」ローンチまでの道のり!事業に込めた想いや今後の展望も聞いてみました!【社員インタビュー】

皆さん、こんにちは!ビットバンク採用担当の砂川です。

2023年12月にビットバンクでは初となる非金融領域の事業「FiKNOTS(ファイノッツ)」をローンチいたしました!
そこで今回は、事業責任者の田中さんにFiKNOTSローンチまでの経緯や今後の展望を聞いてみました。

また、番外編では田中さんの人となりに迫るべく、田中さんの人生観を変えたエピソードや社内で呼ばれているあだ名の真相も聞いてみましたので、ぜひ最後までご覧ください

「もっとチャレンジしながら自己成長がしたい」という想いで飛び込んだビットバンク

ーー ビットバンクに入る前のご経歴を教えてください。

大学時代に日本とイスラエルのベンチャー企業でインターンを経験したあと、新卒でHRや販促事業を国内外で展開している企業に入社し法人営業をメインに担当しながら、部署横断的な新規事業プロジェクトにも従事していました。
その後、より裁量を持って新しいことに挑戦しながらキャリアを磨いていきたいという想いから転職を決意し、ビットバンクに入社しました。

ーー ビットバンクへの入社経緯を教えてください。

実はビットバンクのことは入社以前から知っていました。
学生インターン時代に日本のベンチャーで企業の暗号資産記事を書いており、その際にビットバンクのことを知りました。
当時はコールドウォレットで暗号資産を安全に管理している点が評価されており、堅牢で誠実な印象が強かったです。

先述の通り、裁量を持って新しいことをしたいと考えている中で、この業界であれば目指すキャリアを歩めそうだと感じました。
また、チャレンジングな業界で新しい技術に挑戦しながらも、誠実に顧客目線のサービスを展開している点に魅力を感じたことが、ビットバンクに決めた経緯です。

ーー 入社後から現在に至るまでの経緯を教えてください。

2020年10月の入社時は広報として私を含めた2名でポジションの立ち上げからスタートしました。
体制作りや広報業務の構築を行い、プレスリリースの作成や広報活動における企画の立案から実施までを担当していました。
2023年6月末までの間、広報組織の拡大や部署内外との業務連携も行いながら、FiKNOTSのサービス構築も兼任していました。

現在は広報業務から離れ、ビットバンクエンターテインメントの代表として、FiKNOTSの推進をメインに行っています。

「人×人で価値を最大化できるようなサービスを作りたい」という強い想い

ーー FiKNOTSがスタートした経緯を教えてください。

FiKNOTSは2023年12月にローンチしたばかりのサービスで、GameFiにおけるスカラーシップ制度のマッチングサービスです。

現在、FiKNOTSの開発・運用に関わっているのは5名程で少数精鋭の体制で行っています。
私自身は要件定義やプロジェクトの計画立案から進捗管理、BizDevまでサービスに関わる部分は全て担当しています。

ローンチに至るまでにはプロジェクト開始から約1年半を要しました。
FiKNOTSというサービスは「BITBANG!!!」という社内の新規事業ピッチコンテストで企画立案したことが始まりでした。
「BITBANG!!!」は条件に縛りがないため自分がやりたいことを提案しようと思い、入社してからこれまでに4回案を出しました。
その度に全く違うジャンル・アイディアを提案してきた中で、2021年11月のコンテスト内で準優勝をして事業化まで進んだものがFiKNOTSでした。

アイディア自体は私自身が好んでプレイをしていたAxie Infinity(アクシーインフィニティ)という、NFTのモンスターを収集してプレイヤーと対戦するゲームから着想を得て発案しました。
社内にも多くのスカラーを抱えているメンバーがいたため、どのようなサービスがあればより楽しめるか、もっと欲しい要望があるかなどの意見を聞きながら企画に落とし込んでいきました。
その時から現在まで変わらず、より円滑で効率的なマッチングで「人×人で価値を最大化できるサービスを作りたい」という想いがあり、FiKNOTSを企画していきました。

FiKNOTSは新しい金融と多様な人々との結び目を担うサービスとして成長させたい

ーー 「BITBANG!!!」からスタートしたサービスはその後どのように事業化されていったのでしょうか?

プロジェクトとして本格始動したのは、コンテスト数ヶ月後の2022年1月でした。
ビットバンクCTOの野田さんに助けてもらいながら、サービス設計からビジネスやコンプライアンス周りのストラテジーに至るまでを企画し、ロードマップの作成やタスクの洗い出しを行いました。

その後、社内で事業化に向けたプレゼンを行い、ついに承認が下りて正式にサービスの事業化が決定しました。

並行して開発体制を考えていたちょうどそのタイミングで、新しい領域の開発をしたいというエンジニアと出会い、FiKNOTSの開発チームメンバーとしてジョインしてもらいました。

開発時の最初の壁はエンジニアとのコミュニケーションでした。
私自身にエンジニアとサービスを一緒に作った経験がなかったので、どのように伝えれば形になるのか最初は戸惑いました。
フロントの話は直感的にはわかるものの、裏側のデータ構造を理解しきれなかったため、本当に形にしたいことが正しく伝えられているのかという点が難しかったです。
そんな中でCTOの野田さんを始めビットバンクの各部門のメンバーにもサポート頂きながら、エンジニアと試行錯誤を繰り返して、ようやく形にすることができました。

そこからはローンチに向けてSNSでの周知や情報発信、広報への情報連携、ローンチイベントに向けた準備などを行い、目まぐるしい日々が続きました。

そして遂に2023年12月にローンチしました。
サービスのリリースを記念して12月11日に開催したリリースイベントには多くの方が集まってくださり、やっとスタート地点に立ったことを実感しました。

ーー 早速多くの反響があるFiKNOTSですが、サービス名の由来はどこからきているのでしょうか?

最初はサービス内容の分かりやすさを重視して他の候補を挙げていたのですが、サービスの目的やサービスを通じて実現したいことを表したいと思い、サービス名を考え直しました。

Axie Infinityが世界に与えた衝撃は大きく、スカラーシップ制度の活用も相まって、仮想世界の新たな経済活動の一端をゲームを通じて提示しました。
スカラーシップ制度は、GameFi という新しい金融市場に誰でもウォレット1つでアクセスし、ゲームをプレイすることで自らも利益を獲得するということを可能にし、これまでにない切り口で金融包摂への糸口を見出したと考えています。

サービス名にはそういった世界観の実現、すなわち「〜Fi」といった新しい金融と多様な人々との結び目(knot)を担うサービスという意味を込めて FiKNOTS(ファイノッツ)と命名しました。

人生においてそう多くはない経験を逃さず、やり切って形にしていきたい

ーー 今後の展望を教えてください。

まずは「 GameFi のスカラーシップサービスといえばFiKNOTS」と言われるようになりたいと考えています。
GameFiを皮切りに仮想空間での経済圏が展開されていく中で、FiKNOTSで人×人がもたらす価値を最大化し、より健全で効率的なマーケットを創造していきたいです。
そして、より多くのお客様に使ってもらえるサービスにしていくために、ゲームタイトルとの連携も増やしていく予定です。

私自身の今後の展望としてはサービスを推進しながら、社内外のステークホルダーとの調整や折衝、連携などのスキルを磨いて事業責任者としてマネジメント力も高めていきたいと考えています。

また、アイディアを形にできることは人生において多くない経験だと思うので、実践を通して自分も良い意味で変化し続けることが今の目標です。

ーー 最後に、未来の仲間へのメッセージをお願いします!

広報組織の立ち上げからスタートし、今では新規事業の責任者としてサービスを形にすることができています。
私が自分が身を置く業界や企業を考える上で大事にしていることは、CEOの廣末さんがよくおっしゃっている「上りのエスカレータに乗れ」という言葉です。
今ある流れに正しく乗って、より多くの機会を自分で切り開き、業界の成長とともに自分も成長させていくことが重要だと考えています。

ビットバンクでは業界発展のための事業に関わるチャンスがあることや、新たな経験を積むことができることを実感しています。
今後、より新しいことにチャレンジしながらスキルを磨きたいと考えている方はビットバンクのカルチャーにマッチしていると思います。

業界や弊社に少しでも興味をお持ちいただける方はぜひご応募をお待ちしています!

番外編 人生に影響を与えた学生時代の経験!


この番外編では、今回インタビューを実施した田中さんの人となりを知るべく、カジュアルにこれまでの人生で影響の大きかった出来事にフォーカスしてお話を聞いてみようと思います。

学生時代から現在に至るまでに田中さんの人生観に影響を与えた出来事や、社内で呼ばれているあだ名の真相に迫ることにしました!

ーー 田中さんは学生時代からつい最近までラクロスを続けていたと聞いたのですが、ラクロスに魅力を感じたのはなぜですか?

ラクロスを始めたのは大学生の頃でした。
これまでに野球やサッカーも経験していたので他の部活も検討をしていたのですが、ラクロス部だけ他の部活と異なる点がありました。
社会人の監督がおらず、学生主体で練習メニューやスケジュールを組んで、OBから費用を集めるなどの伝統があるということです。
指導者がいなくても学生だけの力で成長していく文化や主体性が培われるところが面白そうだと感じて入部を決めました。

私は上京して一人暮らしだったため大変でした。
部活の練習は、シーズン中だと早朝6時ごろから1日4〜5時間、前後にミーティングが2時間、授業と部活が終わってからアルバイトという日々で今思えばとてもハードでした。

学生主体だからこそお互いに厳しくできなければ成り立たず、ルールを緩めることなくどんなことにも厳しかったです。坊主にもなりました。4年間部活をやり遂げた後、1年で身長が2cm伸びました。

私が所属していたラクロス部は150名ほどの規模で、試合に出られるのも20名程度と競争は激しかったです。
私は3年時から運よく出場でき、チームの結果としてラクロス全日本大学選手権の連覇を果たしました。
また一部戦術面のリーダーも務めましたが、何よりその領域で1番強い組織にいたという経験はかけがえのないものです。

部は創部から40年近くずっと強豪であり続けていて、社会人になってから読んだ「ビジョナリー・カンパニー」で「時を告げるより、時計を作る」という視点の重要性が語られていましたが、部活という小規模ながら代々それを実践し続けているのが強さの秘訣だったのかと今さらながら学んでいます。

その後、社会人になってからは仲間とラクロスチームを立ち上げ、1〜2年前までプレーも続けていました。

ーー ちなみに、田中さんは社内で「ジャッキー」というあだ名で親しまれていますが、いつそのあだ名がついたのでしょうか?

このあだ名は大学生の頃から呼ばれ始めました。
ラクロス部の先輩に同姓と同名のメンバーがそれぞれ在籍しており、名前が一緒だから呼べないと言われ、チームの先輩2名から適当に名付けられました。

そこから「ジャッキー」という誰とも被らないあだ名に愛着が沸くようになり、学生時代のみならず社会人になってからもそのあだ名は色褪せる事なく、今では社内でも定着して呼ばれるようになりました。

その他にもイスラエルでのインターン経験も語りたいことが多くありますが、またの機会にします。

ーー 大学時代の経験が今のジャッキーさんを作っているんですね!お話を聞かせてくださりありがとうございました!

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