住み慣れた拠点を飛び出し、沖永良部島での新しいプロジェクトを始動させた川西さん。
2027年度の「地域みらい留学」参画に向け、島外の生徒を迎える住まいや募集体制を整える大役を担っています!
実はCPF入職時の担当はマーケティングであり、現場立ち上げを主導するこの役割は自身にとっても大きな挑戦でした。職種の枠を超えて現場へと飛び込んだ理由と、ゼロから仕組みを創り出す面白さに迫ったインタビューです!
沖永良部島で、新しい挑戦が始まった
2026年5月から、鹿児島県の沖永良部島・知名町で働いています。
2027年度から地域みらい留学に参画する沖永良部高校が、島の外から生徒を迎えられるように、生徒募集と住まいなど受け入れ体制づくりを進める仕事です。現場に入り込んで立ち上げに伴走するプロジェクトリーダーの第1号として、沖永良部島と神奈川の二拠点を行き来する生活をしています。
ただ、地域・教育魅力化プラットフォーム(CPF)に入職した当初から、この仕事を担当していたわけではありません。最初の担当はマーケティングでした。
IT企業から、教育スタートアップへ
その前に自身のキャリアの話を少しだけ。新卒で入社したIT企業では、Web接客ツールのカスタマーサクセスと、LINE公式アカウントの配信代行を担当していました。顧客と対話しながら運用方法を考え、オペレーションを整えていく仕事です。
その後、小学生向けオンライン習い事サービスを運営する教育スタートアップへ転職。2人目のカスタマーサクセスとして、CSチームの立ち上げ、お問い合わせ対応、保護者向け相談会・面談、LINEやCRMの運用設計などを担当していました。
子どもや保護者と向き合う仕事には面白さがある一方、一人ひとりの状況が異なり、決まった正解がない難しさもありました。次第に「今後は中学生や高校生が、自分で進路を考え、意思決定する機会に関わりたい」と考えるようになりました。
CPFで最初に担当したのは、マーケティングだった
CPFを初めて知ったのは、大学生だった2017年です。学校の先生を支援する会社で長期インターンをしていた頃、教育関係の表彰プログラムを通じてCPFと代表理事の岩本さんを知りました。
その後、2024年にFacebookでCPFの活動報告会を見つけて参加しました。そこで共同代表の尾田さんと初めて話し、その後も松江でお会いしたり、CPFの職員を紹介してもらったりする中で、関係が続いていきました。
当初は「副業で関わりたい」と相談していました。しかし同じ頃、前職の事業方針と自分が今後取り組みたいこととの間にズレを感じ、本業そのものを変えようと転職活動を始めました。
入職時は地域みらい留学の現場に近い業務(=おためし地域留学)と、これまでの経験を活かせるマーケティングの業務を半分ずつ兼務するイメージでした。ただ実際のところ繁忙期にはマーケティングの業務比重が徐々に大きくなり、8〜9割を占めるようになりました。
最初の半年は、公式LINEの配信設計や、中学生と保護者が外部アドバイザーとの面談を通じて留学先の高校を絞る、エージェント施策の立案・運用を担当しました。でも、正直に言えば期待されていたほどの成果を出せなかったんです。CPFに対して「まだ何も貢献できていないのではないか…」と悩む時期がほとんどでした。
現場に行けば行くほど、もっと現場で働きたくなった
残りもう半年は、首都圏の中学校への営業と地域・高校を紹介するSNS動画の撮影ディレクションを担当しました。
教育委員会や中学校を訪問し、指導主事や校長先生に地域みらい留学を紹介する。高校生へのインタビューや撮影構成を考え、実際に高校の現場に赴く。デスクの前だけでは見えなかった、教員・高校生・地域を支える大人たちの表情に触れる機会が増えていきました。
中学校営業で、校長先生が「こんな高校の選び方もあるんですね」と表情を変える瞬間があります。撮影先では、高校生が自分の言葉で高校や地域での暮らしを語ってくれます。現場に行けば行くほど、「もっと現場に近いところで働きたい」という思いが強くなりました。
ただし、すぐにその仕事ができるわけではありません。自分にも地域や高校の現場で働いた経験が十分にあったわけではありません。
だからこそ葛藤を抱えながらも、まず目の前の業務に向き合いました。その期間があったからこそ、地域みらい留学の入り口で何が起きているのかを知り、理解することができたのだと思います。
なぜ、現地プロジェクトリーダーが必要になったのか
地域みらい留学の参画校が広がっていく中で、次の課題として見えてきたのが「受け入れの質」です。島外から高校生を迎えるには、高校の魅力を発信するだけでは足りません。住まい・食事提供・見守り体制・緊急時の対応など、安心して暮らせる仕組みが必要です。
しかし、高校の先生も役場の担当者も本来の業務だけで多忙です。そこに地域みらい留学のイベント出展、パンフレット制作、問い合わせ対応、住まいの整備といった新しい仕事が加わります。
特にもったいないのは、イベントなどで地域の高校に関心を持ってくれた中学生や保護者へのフォローが途切れてしまうことです。地域と親子をつなぎ続け、現場で役場や高校と一緒に仕組みをつくる「専任の動き手」が必要だったんです。
「自分が挑戦する」と決めるまで
2026年2月、尾田さんとの1on1で「沖永良部島(知名町)に行ってみないか」との提案がありました。
現場に行きたいとは以前から伝えていましたが、最初かなり驚きました。当時は、中学校営業と撮影ディレクションを続けながら、短期出張で現場へ行く働き方をしばらく続けるんだろうなと思っていたからです。
話を聞いた瞬間から「面白そうだ」という直感はありました。ただ、勢いだけでは決めたくなかったので、返事を1週間待ってもらいました。少し時間を置いても、自分の中で前向きな気持ちは変わらなかったので、この提案を引き受けようと決めました。
島へ行くことを決断した理由は2つあります。
1つは、尾田さんからの期待に応えたいと思ったからです。仕事でうまくいっていることだけでなく、成果が出ずに悩んでいることや、自身の弱い部分・今後やっていきたいことも尾田さんに話してきました。葛藤を知る人から「この仕事を任せたい」と言ってもらえたことは、大きな意味がありました。
もう1つは、高校や役場の人たちと一緒に動いていくという仕事が、以前から伝えてきた意思と重なっていたことです。
自分のやっていきたいことは、口にしなければ周囲には伝わりません。目の前の仕事に向き合いながら、何に悩み、将来どんなことをしたいのかを伝え続けてきた。その積み重ねと、CPFが新しい伴走モデルの検証をスタートするタイミングが偶然重なったんです。
そして、沖永良部島へ
こうして2026年5月、沖永良部島・知名町での仕事が始まりました。
マーケティングを担当していた頃は、地域みらい留学と親子が出会う「入り口」をつくることが仕事でした。現在は、その入り口の先で、生徒たちの日々を支える仕組みをつくっています。
ただ、現場へ行ったからといって、すぐに全てがうまく進んだわけではありません。
高校の「生徒募集」の仕事だと思っていたら、実際には高校生の「暮らし」をつくる仕事でもありました。
後編は、沖永良部島でどんな奮闘をしているのか、私の挑戦と試行錯誤をお伝えしたいと思います!