【家電開発の最前線】シャープは中核事業でも若手にチャンスを与え、成長させてくれる会社です | PEOPLE×WORKS
1964年、シャープは世界初のオールトランジスタ電卓を発売致しました。それまで、テレビやラジオ等アナログ分野での応用が中心であった半導体が、デジタルの世界へと一気にその応用領域を拡大するきっかけ...
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創業以来「他社がまねするような商品をつくれ」という精神を掲げ、世の中を驚かせるモノづくりに力を入れてきたシャープ。そこには常に、開発者たちのあくなき挑戦があります。ここで紹介する長田さんも、そのひとり。1998年の入社から、全社プロジェクトを率いる今日まで、どんなモノづくりを手掛けてきたのか、開発時の想いも含めて語ってもらいます。
大学で半導体製造プロセスの条件出しなどを学んでいた頃、「卒業後はテレビの研究開発がしたい」と考えていました。そのことを教授に相談したところ、勧められたのがシャープだったんです。「今度シャープが液晶テレビを出すらしい。面白いから行ってみたらどうだ?」と。とても興味が湧きましたね。1998年に入社し、希望通り当時栃木県にあった『AVシステム事業本部』に配属となり、そこから私の“技術者としての怒涛の日々”が始まりました。
まずは広島県福山市にある半導体関連の事業部で「IC実務研修」を受けました。栃木の工場に戻って来たのが、入社3ヵ月後のことです。そこで私は上司からいきなり「液晶テレビのIC設計を任せる!」と言われ、本当に驚いたのを覚えています。IC設計は、液晶パネルの画面表示に関わる重要な部分。それを任せるというのですから、ただただ夢中で学びました。思い出しても大変な日々でしたが、おかげでテレビ全体の仕組みがわかり、非常に勉強になった時間でした。
2000年を過ぎると、いよいよテレビはブラウン管から液晶の時代に入ります。ちょうどその頃、パソコンを手掛けるメーカーでは、製造を中国や台湾などの海外工場に依頼するという「OEM」が主流になっていました。そこに着目した部長が、「台湾の企業にシャープのテレビをつくってもらおう!」と言い出したんです。まだOEMはパソコン以外に例がない時代にです。思い立ったが吉日と、さっそくプロジェクトが立ち上がり、私もそのメンバーに迎えられました。チームは5名程度の少人数で開発がスタートしました。
大変だったのは、すべての技術を現地の工場に指導しなければならなかったこと。時代はまだアナログ放送でしたから、設計も試験も今とは比べ物にならないほど複雑だったんです。当時の私は知識不足で、新しいことを吸収し続けた日々でした。
その後もチャレンジは続きます。今度は、全社横断的にさまざまな部署からメンバーを集めて社運を賭けた開発を行う、『緊急プロジェクトチーム』に加わることになりました。テーマは、液晶テレビのシステム全体を制御するSoCというメインICを、シャープ独自に開発するというもの。メインICの実力がそのままデバイスの実力となる大仕事です。その中で私はチップの評価を担当し、1ヵ月のレンタル料が1億円というシミュレーター装置を使って、なんとか検証を成し遂げることができました。今思えば、本当に貴重な経験だったと思います。
ここまでは、液晶テレビの開発に技術者として関わってきましたが、ここからは“まだ世に出ていない全く新しい商品を企画開発する”という新しいフェーズに入っていきます。そのきっかけは、「テレビ機能がある、でっかいスマホをつくったら面白いぞ」という、副本部長のひと言からでした。カテゴリーでいうなら、「おふろテレビ」。でも、他社と同じようなものではなく、Androidもテレビもタッチ機能も組み込んだ、シャープらしいものを生み出すことになったのです。私にとって“商品企画”は初めての領域だったので、とにかく新鮮でしたね。結果は大ヒットとまではいきませんでしたが、またひとつ自分のやりたいことと出会えた気がしました。
その後、私はテレビ開発の領域から離れ、オーディオ事業部へと異動。AV機器をメインとした新規商品開発に取り組むこととなりました。ここで技術部長となり、最終的には副事業部長と商品企画部長、BtoB事業推進部長を兼務するほど、多くの経験を積むことになります。
はじまりは、ベテラン開発者の好奇心でした。「狭い家の中でも、耳元で大音量かつ高音質で音楽が聴きたいなぁ。そんなスピーカーがつくれたら面白いよね」。この発案者の好奇心に心を掴まれた仲間たちが、仕事終わりに作業部屋に集まってつくり始めたのが、シャープのネックスピーカー『AQUOSサウンドパートナー』です。どこかからパイプを拾ってきて、手作りでつくるところからのスタートでした。
最初は業務とは別の自主的な活動でしたが、社内の展示会で試作機を見せたことをきっかけに正式な活動として認められ、費用面のバックアップを受けられることになりました。著名なオーディオ・ビジュアル評論家の方からもアドバイスをいただけるようになり、そこからさらに、音質を高めて“音の振動”も体感できる「蛇腹形状の振動ユニット」を開発するなど、さまざまな機能を追加していきました。それまでシャープはウェアラブル機器の開発実績はなく、試行錯誤の連続でしたね。どんな基準でテストをするのか、重さのバランスはどう取るのか、汗をかいても安全な構造にするにはどうすればいいのか、機構設計も回路設計もソフト設計もすべて自分たちでイチから取り組んでいきました。
途中、何度も何度も壁に当たる度に、みんなが知恵を出し合って、一致団結したパワーで乗り越えていく。それがこの仕事の一番の醍醐味かもしれませんね。やるとなったら絶対に妥協はしたくない。発案者の熱い思いが仲間を動かし、世に出るまでに掛かった年数は実に6年!その達成感たるや、説明するまでもないでしょう。
テレビ事業とオーディオ事業での経験をもとに、今私はCTO直轄の全社横断プロジェクト『I-001プロジェクト』を任されています。シャープでは今、これまでの自家用車の概念を変える「EV開発」に挑んでおり、『I-001』はその開発プロジェクトチームなのです。テーマは、「リビングルームの拡張」。止まっている時間にフォーカスし“クルマを家の一部にする”という、何ともシャープらしい発想です。
このプロジェクトのチーフを打診された時、私は二つ返事で受けました。クルマは移動手段であるという、当たり前の常識に捉われず、「家と一体化させる」という新しい見方をしてみる。新しい考え方で新しい文化をつくり、世の中を変えていく。なんだかワクワクしませんか?
これは、シャープが創業以来受け継いできたDNAそのもの。私はこの会社の経営信条である「誠意と創意」がとても好きなんです。特に最後の、「勇気は生き甲斐の源なり、進んで取り組め困難に」という一文は、自分自身の指針になっていますね。いつもこの言葉を思いながら仕事をしてきました。
シャープは、やりたいことを何でもやらせてくれる場所。そして次から次に新しい挑戦が巡ってくる。その全てが自分の糧になったことを今実感しています。この恵まれた環境でこれからも、仲間と一緒に既成概念を打ち破るモノづくりに挑戦していこうと思います。
※記事内の部門名、役職名、内容はインタビュー当時ならびに掲載当時のものです。