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EDUCOM創業の歴史『第一章:すべてはレゴスタから始まった』

今回から全3回にわたりEDUCOM・創業の歴史シリーズを連載していきます!

原文の執筆は会長の柳瀬貴夫。広報の楢木が編集を担当させていただきます。

いまは300名以上の社員を抱え日本全国に拠点を持つEDUCOMですが、どんな歴史をたどっていまに至るのでしょうか? とある教育IT企業の成長の物語を、ぜひ楽しんでいただければ幸いです。

柳瀬貴夫(やなせたかお)1967年生まれ、岐阜県出身。大学卒業後の1990年、レゴスタ(現EDUCOM)に社員として入社、営業、企画開発、サポートを経て、2004-2022年、代表取締役社長を務める。現在は株式会社EDUCOMの会長。趣味はゴルフとドライブ。酒豪。

EDUCOMの前身、レゴスタのはじまり

Let's Go! Start your engines!

現在は校務支援システムを中核に学校支援システムを提供するEDUCOMですが、かつてはキャンプ場を経営していたことも、小学校に生活科の教材を販売していたことも、ほかにもいろんなことをやっていた時代があるのです。

EDUCOMの創業は平成元年。すでに35年が経とうとしています。この35年間には、いまのEDUCOMからは想像できないEDUCOMの歴史がたくさんあります。ぜひ楽しんでください。

まずは「レゴスタ」について言及しておかねばなりませんね。

えっ? おもちゃ? と思われがちなこのレゴスタという名称は、なんとEDUCOMの前身であるエドウェルのさらに前身の会社名なのです。正式には有限会社レゴスタ。

実は、レゴスタ創業時、柳瀬はまだ学生でした。

レゴスタは、当時の社長が一人で立ち上げた会社で、事務所は社長の自宅の一室。彼は補助教材(計算ドリルなど)の制作会社と販売会社の2社を経て、一人独立してレゴスタを立ち上げたのでした。

レゴスタの主な業務は、某教育出版会社の教材ソフトの企画および販売。また、これだけでは会社が成り立たないため、塾の統一テストなどの採点業務、小学校の生活課への教材の販売、岐阜県恵那市と契約をして保古の湖キャンプ場の経営、子どもを対象としたキャンプスクールの運営などをしていました。

ちなみに、「レゴスタ」は、Let's Go! Start your engines! の省略で、さあ始めるぞ! という意味です。

さて、ここからどんなEDUCOMの物語が始まるのでしょうか。

キャンプ場での出会い

柳瀬と当時のレゴスタ社長の出会いは、キャンプ場での偶然の出来事でした。

当時柳瀬は、大学を卒業し映画会社への就職も決まっていました。就職後はなかなか地元に来られなくなると、実家がある岐阜県恵那市に一時帰宅している折、「美しい保古の湖が見たい」と思い立って車で根ノ上高原に向かったのです。駐車場に車を停め、保古の湖を歩いて自然を楽しんでいたところ、山の天気は気まぐれ、突然の大雨のため、保古の湖資料館で雨宿りすることになります。

すると、普段はガラリとした古びた資料館がこの日は大勢の子どもたちでごった返しており、どうやら食事を作っているようにも、ままごと遊びをしているようにも見える。

奥からは何やら男性の怒鳴り声(?)が聞こえ、次の瞬間、目の前に男性が現れました。

「君、暇なら少し手伝ってくれ」

そう、若き日のレゴスタ社長です。

▼この写真は2011年のもの

このときは、30人ほどの小中学生の2泊3日のキャンプスクール真っ最中でした。

キャンプスクールの初日ということもあり、ハイテンションでなかなか言うことを聞かない子どもたち。カレー作りもなかなか進まない。困り果てたところにたまたま居合わせた柳瀬が、食事のヘルプをすることになったのです。

子どもたちと料理に悪戦苦闘し、社長から一緒に食事をしていくように誘われ、さらにお風呂も寝るところもあるからとビールまでいただき、星空を見ながらゆっくりと社長と話をする機会を得ることになります。

そして、実は社長はキャンプマスターをしているのは週末だけで、平日は他のスタッフにキャンプ場を任せ、一人で教育の仕事をしているということを知ったのです。

夜中まで話し込み、社長の話に深く感銘を受けた柳瀬青年。「一緒に仕事をしないか」と話が盛り上がり、レゴスタに入社することを決めました。

偶然実家に戻り、偶然保古の湖に行き、偶然雨宿りをして、偶然声をかけられる。一期一会が柳瀬青年の人生を大きく変え、長いEDUCOM人生が始まったのです。

教育ICTの会社になる前のおはなし

なんでも屋さん時代

EDUCOMの前身であるレゴスタが教育ICTの会社になるのはもう少し先の話。冒頭に書いた通りレゴスタは、キャンプ場の経営や生活科の教材販売を行っていました。

その他にも、レゴスタ社長の趣味で「カフェ・ド・コバン」という名の喫茶店を持とうと、生のコーヒー豆を購入してきて、手動の焙煎機でコーヒー豆を焙煎して、コーヒーを楽しんでいたのです。焙煎時には、びっくりするほどの煙が出るため、一週間に一度マンション中が煙でいっぱいになっていました。なんとも怪しい事務所だったことでしょう。

また、土曜日に近所の子どもを集めて塾をしていました。柳瀬の担当は空手で、土曜日の午後は数名の子どもに空手を教える日々を送りました。

もちろん教育に関することも。現在は授業と学び研究所のフェローでいらっしゃる玉置先生、神戸先生といったメンバーが、パソコンを使った教材作りの研究を、レゴスタの事務所で行っていたのです。この会議は19時ごろに始まって、遅いときには朝5時ごろまで続き、金曜日の夜は不夜城と化していました。熱く、教育の未来について試行錯誤していたのです。

珍・主力商品

その他、レゴスタでは資金集めのためにいろんな商品を販売していました。その主力商品を紹介します。

木っくり君(もっくりくん)

キャンプ場を経営していた当時、山の仕事に関わる様々な人たちとお付き合いがありました。その中の一人に山林の間伐を行い山を守っている人がいました。
その不要となった間伐材を活用してなにか商品が作れないだろうか?

そこで考えられたのが「木っくり君(もっくりくん)」なのです。

40~50年ほど前でしょうか、子どもたちは遊ぶ道具を工夫して作っていたころ、空き缶にひもを通して竹馬のようにして遊ぶ「缶ぽっくり」が流行りました。

その缶を間伐材に代えたものが、「木っくり君」です。

間伐材を15cmほどに切ってひもを通す穴をあけて2つセットで販売する。
子どもたちは自分の身長に合わせてひもの長さを調整して自分のオリジナルの「木っくり君」を制作するのです。

当時、小学校で生活科が始まり、その授業の一環で“自然と親しむ「木っくり君」”というフレーズで販売したのでした。

ザリガニ

ザリガニも、小学校の生活科の教材として販売しました。
「身近な生き物を大切に育てよう」というテーマで、業者から数キロ単位で購入した「アメリカザリガニ」を水槽とセットで販売したのです。

このアメリカザリガニはそれなりに売れましたが、夏休みになると子どもたちは世話をしなくなるため、休みが終わるころには水槽の中にいたザリガニが共食いをしてほぼ全滅状態となってしまいました。それを知った柳瀬らは心を痛め、ザリガニの販売をやめたのでした。

こんなハチャメチャな時代を経て、レゴスタは本格的に教育ICT事業の会社へと変貌していくのでした。

つづく

編集後記

こんにちは。EDUCOM広報担当の楢木です。連載シリーズ・EDUCOM創業の歴史、スタートいたしました。

私自身も2022年12月に入社した新入り。すでに学校支援システムの会社として成長した、現在のEDUCOMしか知りません。「いち社員」として経歴をスタートさせ、「社長」を経てこの連載の原文を執筆した柳瀬は、私が入社したときにはすでに「会長」でした。

そんな彼の口から語られたEDUCOM創業の歴史。会社のルーツを知ることで、いまのEDUCOMのミッション・ビジョンに通じる「なにか」が見えてくるのではないか、そう思い、この連載を始めることとなりました。ぜひ、次回もお楽しみに!

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