前回は、これからつくりたい会社のことを書きました。今日は少し、私自身のことを。「なぜ私が、ラグリーフィットネスを日本に根づかせようとしているのか」を書きたいと思います。一緒に登る人を探している今、ここが伝わらないと始まらないと思うからです。
22歳の私が選んだ道
大学では、日本外交・国際政治のゼミに所属していました。「日本を代表して、世界と渡り合いたい」——その思いは、その頃からずっと、私の中にありました。だから新卒で、私は外資ではなく商社を選びました。その後は、コーチングの会社、ヨガ・ピラティスの事業会社と、フィールドを変えながらキャリアを重ねてきました。
一見ばらばらなキャリアに見えるかもしれません。でも私の中では、ずっと変わらない軸がありました。「日本から、世界と対等に」。そして、どの場所でも私は、仕組みをつくり、動かす側にいました。
惚れて、飛び込んだ
ボディーワークの世界に入ったのは、「惚れてしまったから」としか言いようがありません。中高大とダンスをやってきて、体を動かすことは好きでした。解剖学や脳神経学を学ぶうちに、コーチングでは解けなかった人間の謎が、するすると解けていく面白さがあった。そして、人生の逆境の時に私を支えてくれたのも、ワークアウトでした。
「どうせやるなら、海外のワークアウトを日本へ」。そう決めて2019年にカリフォルニアへ行き、10近いスタジオを回って、いちばん自分の体にフィットしたのがラグリーフィットネスでした。
立ち上げは、一人では始められません。創業者セバスチャンの紹介から、一緒にやってくれる仲間にも出会えました。ところが直後にコロナが来て、出資の話は消え、リアルなスタジオを開ける状況ではなくなりました。当時の私は人事コンサルの会社に勤めながら創業準備をしていましたから、いくらでも取りやめることはできました。でも、「今やらなかったら、もう絶対に立ち上げられなくなる」——そう思ったんです。だから、やると決めました。
決め手になったのは、一足先にコロナが広がっていたニューヨークの様子でした。現地でオンラインのレッスンが一気に広がっているのを見て、「これならいける」と。まずは自己資金だけで、オンラインスタジオから小さく始める——そう判断してからシステムを契約するまで、わずか3日でした。英語のシステムを一つひとつ日本語に訳し、ホームページも自作して(人間、やればできるものです・笑)、迎えた4月の無料トライアル初日、12人が入ってきてくれた。あの瞬間のことは、今でも覚えています。
守りの6年、そして第2創業期へ
そこから6年。正直に言えば、ずっと平坦だったわけではありません。何度も、押し返されました。たとえば、初めての実店舗となる北参道を立ち上げた時。タイミングが再びの緊急事態宣言と重なり、クラウドファンディングをしながら1ヶ月を凌いだものの、本オープンの日に、誰も来ませんでした。当時のスタッフと「もう、飲むしかないね」と腹を括って、その日は夜、店を閉めてしまいました。
それでも——北参道から麻布十番へ。日本語版の認定資格コースをつくり、LMSを開発し、自分たちでインストラクターを育てられる体制を整えました。ラグリーフィットネスメソッドの日本代表として認定され、幸いにもインバウンドの波に乗って、麻布十番を、多国籍なクライアントと多言語インストラクターが日常的に行き交うスタジオに育てました。VODシステム、英語版予約システム等の自社システムも開発し、サービスを提供する基盤も着々と整備してきました。
そして今、20年以上前に「世界と渡り合いたい」と思って選んだ道は、まっすぐここに繋がっていたと感じています。海外発のメソッドを日本に根づかせ、世界とつながる場所を、自分の手でつくっている。22歳の選択の先に、いまの私がいます。
守りの時期は、一人でもやってこられました。でも、これから始まる第2創業期——日本全国、そしてアジアへとブランドを広げ、来年こそ3店舗目を立ち上げる挑戦は、一人ではできません。だから今、私が最も力を入れているのは、店舗でもFCでもなく「人」です。
一緒に、頂を目指す人へ
求めているのは、この景色に共鳴し、一緒に登れる人です。フィットネスの経験は問いません——私たちには、人を育てる仕組みがあります。それより大切にしたいのは、「未完成だからこそ、自分の手で形にしたい」と思えるかどうか。前回書いた「相互扶助」——互いの専門性を磨き、プロとして役割を全うしながら、支え合える人と、働きたいと思っています。
22歳の私がそうだったように、選んだ道は、何年も経ってからまっすぐ繋がります。その一歩を、ここで一緒に踏み出せる人と出会えたら——そう願っています。
(一緒に登る仲間を募集しています。詳しくは募集要項から。)