事業所は、どうして閉じてしまうのだろう
前回、「閉じない事業者でありたい」ということを書いた。
制度に閉じない。
正しさに閉じない。
「ちゃんと」に閉じない。
そんなことを書いたのだけれど。
そもそも、事業所はどうして閉じてしまうんだろう。
別に、最初から閉じようとしているわけではないはずだ。
利用者さんが安心して過ごせるように。
事故が起きないように。
職員が困らないように。
制度上の間違いがないように。
ちゃんと支援できるように。
たぶん、多くの場合、その始まりは善意だ。
守りたい。
支えたい。
きちんとやりたい。
それは、とても大事なこと。
障害福祉サービス事業所は、実際に誰かの暮らしや人生の一部を預かっている。
だから、安全も必要だし、専門性も必要だし、守るべきルールもある。
でも。
「守ること」が強くなりすぎると、いつの間にか、外とのつながりを細くしてしまうことがある。
失敗しないように。
トラブルにならないように。
無理をさせないように。
傷つかないように。
その積み重ねが、ときどき、
社会とのあいだに、静かに壁をつくる。
たぶん、事業所が閉じるというのは、扉に鍵をかけることではない。
地域交流をしていない、というだけでもない。
もっと静かに起きることだと思う。
日々の活動が、事業所の中だけで完結していく。
利用者さんの関係が、職員や家族や福祉関係者だけになっていく。
本人の「できること」や「やってみたいこと」が、支援上の都合の中でしか語られなくなっていく。
気づけば、
本人の人生より、事業所の予定表の方が大きくなっている。
そういうことなのかもしれない。
もちろん、事業所の中に安心できる居場所があることは大切だ。
外の世界でたくさん傷ついてきた人にとって、安心して過ごせる場所は、本当に必要だと思う。
だから、「外に出ればいい」とか、「もっと社会参加させればいい」とか、そんな単純な話をしたいわけじゃない。
開くことは、無理に外へ連れ出すことではない。
本人の準備も気持ちも置き去りにして、地域との接点をつくればいいというものでもない。
でも、安心できる場所であることと、閉じた場所であることは、同じではないはずだ。
安心して戻ってこられる場所だからこそ、少しずつ外とつながれることもある。
守られているからこそ、もう一度、誰かの役に立ってみようと思えることもある。
僕は、相談支援専門員として人の暮らしを見ることがある。
そうすると、当たり前だけれど、誰の人生も事業所の中だけでは終わらない。
家で過ごす時間がある。
家族との関係がある。
病院に行く日がある。
買い物に出ることがある。
近所を歩くことがある。
好きなことや、苦手なことや、これからどうしたいのかという思いがある。
事業所で過ごす時間は、その人の人生のすべてではない。
大事な一部ではあるけれど、すべてではない。
だから支援も、本当は事業所の中だけで答えを出してはいけないのかもしれない。
その人が、どんな地域で、どんな人と関わり、どんなふうに暮らしていきたいのか。
そこで、事業所は何ができるのか。
そんなふうに考えていくと、支援は少しだけ外へ向いていく。
僕たちの会社では、「三右衛門本舗(さんえもんほんぽ)」という小さなお店を営んでいる。
駄菓子があって、ちょっとした商品があって、子どもたちが放課後にふらっと立ち寄ることがある。
「今日、ブタメンある?」
みたいな声が聞こえてくることもある。
宿題をしている子がいたり、友だち同士でお菓子を選んでいたり、何気ない雑談が始まったりする。
とても小さな場所だ。
大きな社会課題を解決しているなんて、簡単には言えない。
でも、あの風景を見ていると、少し思うことがある。
福祉事業者は、地域に理解してもらうだけの存在ではないのかもしれない。
地域に受け入れてもらうだけの存在でもない。
僕たちの側からも、地域に差し出せるものがある。
子どもが立ち寄れる場所。
誰かがちょっと笑える商品。
働く機会。
人と人がほどよく混ざる時間。
何かあったときに、思い出してもらえる関係。
そういうものを、少しずつ地域に返していけるのかもしれない。
これは、僕たちが「社会企業」でありたいと考えていることにもつながっている。
福祉サービスを提供する会社。
もちろん、それは僕たちの大事な役割だ。
でも、それだけではなくて。
地域の中で、働く機会をつくる。
人が役割を持てる場をつくる。
子どもが安心して立ち寄れる場所をつくる。
誰かの暮らしの中に、小さな楽しさや安心を増やす。
福祉の内側だけで価値を完結させずに、地域の中へ少しずつ滲ませていく。
それが、僕たちの思う社会企業の姿なのかもしれない。
だから僕たちは、
「半径5kmを幸せにする」
という言葉を大切にしている。
半径5km。
とても小さい。
世界を変える、と言うにはあまりにも小さい。
でも、僕はそれでいいと思っている。
目の前にいる人。
近くに暮らしている子ども。
一緒に働く人。
商品を手に取ってくれる人。
困ったときに顔を思い浮かべてもらえる関係。
そのくらいの距離なら、僕たちにも何かできるかもしれない。
事業所が地域に開かれるというのは、派手なイベントをすることでも、利用者さんの姿を外に見せることでもない。
守るべきプライバシーや尊厳は、きちんと守る。
その上で、
関係まで閉じないこと。
僕たちが地域の一員として、役割を引き受けること。
利用者さんもまた、支援されるだけの存在ではなく、誰かの暮らしや地域の風景に関われる人として、そこにいられること。
たぶん、そういうことなんだと思う。
最近は、こうした実践を、できるだけ言葉に残すようにしている。
Obsidianというノートアプリも使いながら、日々の気づきや、活動の意味づけや、現場で起きた小さな変化を蓄積している。
大げさに言えば、エビデンスを蓄積しているところだ。
もちろん、学術論文のようなものではない。
でも、現場には現場の根拠がある。
この声かけで、少し表情が変わった。
この活動の組み方で、参加しやすくなった。
この環境調整で、摩擦が少し減った。
この商品づくりで、誰かの役割が生まれた。
このお店の風景の中で、地域との関係が少し変わった。
そういう小さな出来事を、ただの「なんとなく良かった」で終わらせない。
あとから振り返れるようにする。
職員同士で共有できるようにする。
次の実践につなげられるようにする。
それもまた、閉じないための営みなのかもしれない。
事業所の中で起きたことを、事業所の中だけの感覚にしない。
言葉にして、記録して、問い直して、少しずつ開いていく。
僕たちは今、その途中にいる。
事業所は、閉じようとして閉じるわけではない。
真面目にやろうとする中で。
守ろうとする中で。
失敗しないようにする中で。
少しずつ、内側だけを向いてしまう。
だからこそ、ときどき問い直さなければならない。
僕たちの支援は、外の世界とつながっているだろうか。
僕たちの仕事は、本人の人生にちゃんと続いているだろうか。
僕たちは、地域に何かを差し出せているだろうか。
記録していることは、怒られないためだけの記録になっていないだろうか。
僕たちの言葉は、ちゃんと次の実践につながっているだろうか。
そんなことを考えながら、僕たちはまだ、小さく試しているところだ。
うまくいくことばかりではない。
迷うし、立ち止まるし、やってみて違ったと気づくこともある。
でも、場は変わる。
人も変わる。
関係も、きっと変わっていく。
少しだけ扉が開いて、そこから誰かの声が聞こえてくる。
こちらからも、何かを手渡せるようになる。
そんな小さな往復が増えていった先に、障害福祉のもう少しあたたかな未来があるのかもしれない。
半径5kmの中から。
僕たちは、そんなふうに、閉じない事業者でありたいと思っている。
※次回は、「閉じない事業者論③」として、支援される人から、地域に価値を届ける人へ。山の畑の活動や、働く機会づくりについて、もう少し考えてみたい。