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新入社員?そんな意識でこの場にいない。

プロ1年目として。

新卒、新入社員、研修期間。どの言葉も自分たちを甘やかすには十分すぎる言葉だ。

だけど、私たちにはそんな肩書は必要ありません。

給料をもらって価値を生み出すのではなく、価値を生み出すその対価として給料を得ることができる。
それがプロだと思っています。

村田 直映の決意

私は、堅実な父と自由奔放な母のもとに生まれました。

幼い頃はとにかく自由人だった私は、友達との喧嘩や怪我をして帰ってくることは日常茶飯事でした。また、あらゆる面で他とは違う子どもであったため、周りから浮く状況も多々あったのですが、その際にも周りの子に合わせるのではなく、「人と違う事はむしろ良いこと」と言い聞かせてくれました。この時、精神的に大変助かったことを今でも覚えています。このような様々なことから両親には多くの心配もかけていたことと思います。

小学校に入ると、弟(双子)が生まれ、家族全体が明るくなった反面、両親には負担が大きくかかっていたと思います。そんな時でも、共働きをしながら、家事をし、子ども達の面倒もしっかりと見てくれました。

また、私の自由人は変わらずであったため、やりたいことが次々と出てきていたのですが、それに対しても一つ一つしっかりとやらせてもらい、失敗すると分かっていても暖かく見守ってくれていました。この事があったため、あらゆる事をとりあえずやってみる精神であったり、興味のあることを熱心に勉強する姿勢が身についたと思っています。

中学校に入ると、2011年3月11日に東日本大震災が起こりました。

宮城県に住んでいたため、電気や水道、ガスなどのインフラが全て止まり相当に大変な状況でした。幸いなことに親族内での犠牲者はいなかったものの、食料調達や子どもたちの面倒などをみながら、不安を与えずに様々なことをしてくれました。この時の辛い時でも明るく振る舞う姿勢には力強さを感じました。しかし、負担は相当だったと思います。

高校に入ると、両親には、部活動に関してや毎日のお昼のお弁当など様々なサポートをしてもらいました。

また、部活動では、100人規模のサッカー部に所属しており、1年目から試合のメンバーに選ばれたことによる過度な期待に押し潰されそうになった時には、親身になって、話を聞いてくれ、メンタル面でのサポートでも大変助けられました。

大学・大学院に入ると、高い学費やころころ変わる学びたい分野に対しても文句一つも言わず、サポートしてくれました。特に大学院に行くことについては、ほとんどの人が就職する中で、他とは異なった選択をすることにも「やりたいことなら言うことない」と言って、快く応援してくれました。

私が、今5体満足で健康的になおかつ好きな事を学び、やりたい道を進めていることは、両親がいてくれたからであり、大きな器で常に見守ってくれていたからだと思っています。

今回初めて親元を離れることになるので、おそらく心配していることと思います。しかし、これまで受けてきた恩を返すためにも、自立し、成長していくことが必要であるため、今は仕事に専念をしていきたいと思っています。

そして、必ず大きくなって恩返しをしたいと思います。


原田 恭平の決意


上京する前に、父がお世話になっていた居酒屋へ家族と行きこれまで育ててくれた、産んでくれた感謝を父母、祖父母に。これまでたくさん喧嘩もしましたが、なんだかんだで仲良く男3兄弟でやってこれたことに心から感謝しています。

まず父母に対して。母には、これまでたくさんの愛情を注いでくれて自分が落ち込んでいる時などは一番初めに気付いてくれて気遣ってくれた。母が居たから、自分は自信を持って沢山のことに挑戦をできてきました。

父は自分の中で一番怖い存在で、中学生の頃までたくさん怒られてきました。特に礼儀や人として筋を通す事を厳しく教わってきました。中学生の頃まではそれが嫌で嫌で仕方がありませんでしたが、高校生になり周りが礼儀や人に対する筋を通すことが出来ていない事を見ると、感謝の気持ちが芽生えてきました。

しかしこれまで、恥ずかしく感謝の気持ちを面と向かって「ありがとう」を伝えたことがありませんでした。

父母に対しては、厳しくも優しく育ててくれた感謝を述べました。

祖父母に対して。祖父は小さい頃たくさん色々な所へ連れて行ってくれました。自分のアイデンティティが自然を中心に在るのは、祖父が小さい頃釣りをしに海へ、山で山菜を取りに、山登りをしにとたくさん連れて行ってもらいました。自分の原点はここにあります。

祖母は自分のわがままを全て聞いてくれました。わがままを何一つ嫌な顔せずわがままを叶えてくれました。愛情表現を毎日のようにしてくれた祖母に今日、自分も愛情を伝えることができ、大号泣してくれました。

自分は私立の大学へ行き、突然休学してスペインへ1年間留学に行き、たくさん迷惑をかけたと思います。やりたい事をやってきて、家に居ない時間も徐々に増えていきました。その中でもこまめに連絡をしてくれて、世界中の誰よりも自分の事を気にして大切にしてくれた家族に今回このような形で感謝を述べ、それを面と向かって話を聞いてくれた家族に感謝しかありません。

祖父母、父母がいなければ今の自分は存在していません。自分の体、精神は全てこの家族によって形成されたものです。この体、精神はこれからも誇りを持って「自分は自分」そして「自分は原田家のもの」この気持ちを忘れずに東京へ行っても、細かに現状を伝える。年に数回は家族と会える時間を作り元気に楽しく働いている姿を見せることが1番の恩返しだと思います。

プロ1年目として会社にぶら下がるのではなく会社の底上げができる人間になります!

松永 蒼の決意

中学を卒業して親元を離れてから、7年経ちました。7年ぶりに3か月ほど実家に戻ったのですが、明日実家をでるので、両親に感謝を伝えてきました。

若くして僕を産んでから、厳しく育ててくれたことに感謝してます。厳しいの限度を超えているレベルでしたが、本当にそこは感謝しています。そして中学卒業後、僕を外に出してくれたと、野球を大学までさせてもらったこと感謝しています。

親父はビジネスマンとして、母は人として尊敬してます。「22年間ありがとうございました。一人前の男になってきます。」とだけ伝えました。

僕自身はなにも才能はないのですが、誰よりも周りの人に恵まれてると思います。その運だけは最強だと自負してます。これからも周りの人への感謝、当たり前への感謝をし、感じることのできる人間でありたいと思います。

同期同士で明確な基準を設定できていないため、ひとつの出来事に対して、何を求め、相手にどんな価値を与えるかまで考えて行く癖をつけたいと思います。また、コストという観点でも意識を上げていきたいと思います。

出だしは上々のスタートを切れなかったのですが、挑み続け、やり切ることは同期同士で決めたことなので、今あるさまざまな環境に感謝し、成長していきます。

言葉ではなく姿で示すのみです。一本筋の通った男になります。

無限の可能性を秘めた彼らの未来に乞うご期待!


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