現在、コーヒー生豆取引のDXの基盤をつくるプロダクトチームを再構築しているTYPICA。生産者とロースターが真の意味で繋がるマーケットプレイスを創造する同チームのマネージャーとして変革を推進しているのが、2025年8月に入社したオランダ在住の安富正矩(やすとみ・まさのり)だ。
慶應義塾大学を卒業後、大企業向けの基幹業務システム(ERP)を自社開発するITスタートアップ・ワークスアプリケーションズや楽天、双方向・共創型のコミュニティを通じた関係性の強化を目指すプラットフォーム「コミューン」などで、主にプロジェクトマネージャー(PM)、プロダクトマネージャー(PDM)として経験を積んできた安富がTYPICAで実現したいこととは?
トントン拍子に入社が決まった
日本で生まれ育った安富が心機一転、妻と3人の子どもとオランダに移住し、リモートワークを始めたのは2024年6月のことだ。
当時、コーヒーは毎日飲んでいたが、コーヒーラバーと呼べるほど熱量が高かったわけではない。それでも自分たちが暮らす田舎町には、美味しいコーヒーを飲める店がないことには微かな不満があった。所用のついでにスペシャルティコーヒーを扱うロースタリーカフェ・Single Estateに立ち寄ったとき、安富は同社と取引のあるTYPICAの存在を知る。
「TYPICAのサイトを見たとき、おもしろそうだなと感じたんですよね。単にコーヒーを売買するECサイトではなく、生産者とロースターのストーリーを媒介したり、ビジネスを通して貧困や環境問題を解決するためのアクションを取っていたからです」
早速ビズリーチで人材を募集していないか調べたが、自分に合うポストはなかったため、お気に入りに登録。いつかチャンスが巡ってきたらTYPICAで働きたい──という思いが叶えられたのは、約半年後のことだ。オランダで暮らすプロダクトマネージャー(当時)の萩森から連絡があり、萩森、後藤(CEO)と直接会って話す流れになった。そこからはトントン拍子に話が進み、2週間後には入社することが決まったのだ。
「事業内容やビジョンへの共感はベースにありつつ、自分でゼロからチームをつくりたい、世界中どこでも通用するPDMになりたいという願望が叶えられる環境だと感じたからです。前職では、オランダに住んでいるにもかかわらず、部屋にこもって日本人と仕事をしている状態だったので、せっかくの機会をフル活用できていない感覚があったことも理由のひとつ。
あとは、コーヒーを愛するすべての人たちによって育まれるコミュニティをつくろうとしているところにも惹かれました。私にとってコミュニティとは、ただ人とつながるだけでなく、心を通い合わせられる人と出会える場所、安心できる居場所のこと。コミューン時代もSaaSを通して、心のつながりを生み出す仕組みを提供していた私の目指す方向性と一致しているように感じたんです」
形のないものを創り上げる
創業7年目を迎えたTYPICAは現在、コーヒー生豆の新たな流通形態となりうる「ニューモデル」の構築を進めている。従来、マイクロロースターを対象としていた同社のプラットフォームを、中〜大規模ロースターも利用できるようにアップデートする他、ロースターがコーヒー生産者に調達リクエストを公開するウィッシュリスト機能やAIを活用したパーソナライズ機能などを通して、新しい市場を生み出す構想を描いている。
「プラットフォーム上で同じような考え方や価値観、哲学を持つバイヤーと生産者がマッチングすることで、マーケットが成立するイメージです。両者が単なるコーヒーの売買にとどまらないやりとりが可能になれば、物理的な距離や言語、人種を超えた心のつながりが生まれ、継続的な関係性や持続的な取引につながっていく。
現状は、せっかく生産者がクオリティの高いコーヒーをつくっても、その価値を理解して適正価格を支払うバイヤーと出会えず、乱高下する相場に影響された価格で販売しなければならないケースが少なくありません。もしTYPICAのプロダクトによってマッチングを促進できれば、その問題を解決に導けると思います。生産者が需要予測を把握することで、生産計画、投資計画が立てやすくなり、経営の安定につながるからです。
コーヒーは農作物なので、サンプルと商品の品質に違いが出て、顧客からのクレームにつながることもありますが、将来的にはAIで輸送中のコーヒーの品質状態を把握したり、前年との品質の違いを自動で判定できる仕組みを導入できればと考えています。
私自身、AIについての知見や経験はまだ乏しいので、入社したエンジニアと一緒に試行錯誤しながら作っていく形になるのかなと。もちろんスキルや経験はあるに越したことはないけれど、決まった形のないものを創り上げていくプロセスを楽しめる人と一緒に働きたいですね」
その構想を具現化するために、TYPICAに入社したエンジニアは一定期間、オランダで暮らしながら、安富らプロダクトチームのメンバーと直接コミュニケーションを交わしながらプロダクトを創り上げていくことが期待されている。
「いわば“超トキワ荘”です。日本の漫画家が同じ拠点に集まって切磋琢磨し合いながら、漫画の可能性を広げ、文化として押し上げたように、オランダでTYPICAのカルチャーを吸収したメンバーがそれぞれ世界の拠点に飛び立ち、各地でプロダクトチームを立ち上げていく流れをつくりたいと思っています」
道なき道をつくっていく
自分で何かをゼロから創り上げたいという願望は、大学時代から芽生えていた。バックパッカーとして海外を旅した経験をもとにビジネスコンテストに出場し、旅の体験そのものを商品化する事業案をプレゼンしたこともある。だがともに活動しているメンバーも含め、全員が就職先を決めた状況で、起業に踏み切るリスクはとれなかった。
といっても、火種が消えたわけではない。ITスタートアップ・ワークスアプリケーションズへの入社を決めた主な理由は、カリスマ性のある創業社長に惹かれたからだ。「日本の発展のためには、若い人がチャレンジングな環境で成長することが不可欠だ」という彼の考え方に刺激を受けたのだ。
同社でエンジニアとして3年間、開発の経験を積んだのち、保守チームの立ち上げを任された安富は、toB向けのECサイトの運用を担当した。クライアントからの細かい不具合報告や要望に対応しながら、パッチワーク的に補修するのではなく、サイトの設計自体を見直す必要性に着目。自分でECサイトを試作した経験が、転職先でも生かされた。
医療従事者向け人材紹介Webサービスを提供する同社では、社内初となる携帯/スマホアプリの開発を担当。ノウハウを有する者が誰もいない状況で、安富はPM兼PDMとして、エンジニアの採用から開発体制の構築、全体設計、実装までを主導した。道なき道をつくっていくことが自身の性に合っていることを実感したのである。
「3社目となる楽天でPDMをやったときも、状況は似ていましたね。当時はまだPDMが新しい職種で、定義も曖昧でした。正解が示されていないけれど、立場的にもわからないと嘆いていられない。そんな中でも手探りで突き進んだ経験から得たものは大きかった。これまで、大企業とスタートアップの両方に在籍したことで、チームの成長イメージや、どのフェーズでどんな人材が必要になるのかを感覚的に掴めた経験も、TYPICAで活かせると思っています」
つながりに国境はない
SNSの登場以降、世界は驚くほどつながりやすくなった。かつては雲の上の存在だった相手とも、気軽にメッセージをやりとりできる時代である。自分の意志次第でいくらでも出会いを増やし、世界を広げられるが、そのつながりの多さが必ずしも幸せと比例するわけではない。
安富自身、SNSとは距離を置いてきたタイプの人間だ。アカウントは持っているが活用していないのは、「知らない人と何の目的もなくつながるのが苦手だから」である。
「人間関係は狭く深くが基本なので、友達も中学から付き合いがある10人ほどしかいません。なかでも一番信頼できる存在は家族です。日本にいた頃は毎週末、実家に行くなり、兄の家族と会うなり、必ず家族の誰かと顔を合わせていました。今も頻繁にLINEのビデオ通話で話しています。祖父母も含め、家族8人で一つ屋根の下に暮らしていた時期もあるからでしょうか。家族との絆は、僕の人生の基盤になっているんです」
そんな安富にとって、6歳と3歳の子の世話をするために育児休暇を取得したタイミングは人生ではじめて孤独を味わった時期だった。
「たとえば朝5時くらいに起きてジムに行こうと思っても、子どもたちも起き出して行けなくなったり、お皿の色が違うだけできょうだい喧嘩が始まったり……。思い通りにいかないことばかりで自分の時間を確保できず、だんだん余裕がなくなっていきました。特に辛かったのは、同じ経験をしている人や相談できる相手がまわりにいなかったこと。鬱と呼ぶほど深刻ではなかったけれど、気持ちが深く沈んでいったんです」
そんなときに救いの手を差し伸べてくれたのが、楽天時代の上司だった。月に一度、オンラインで1on1をするなかで、少しずつ自分の気持ちを言語化するうちに、心がほどけていったのだ。「思いを共有できる人がいるだけで救われる」と実感した瞬間だった。
「その経験が『コミュニティ=ブランド/企業とユーザーが真に関係を築く場、ユーザー同士が互いに価値を創る場』と定義するコミューンへの転職につながりました。自分にとって大事なのは心が通じ合う人がいること。今の時代はどこにいてもつながれるから、物理的な距離は問題にならない。
それはTYPICAが創り出したい、生産者とロースターの関係性にも通じています。もちろん直接会って話すに越したことはないけれど、誰もが生産国や消費国に行けるわけでもない。時差があってもビデオ通話で顔を見ながら話すことができたりと、テクノロジーにはテクノロジーの良さがある。プロダクトによってどれだけ“つながっている感覚”を作り出せるかが、私たちの腕が試されているところです。
加えてTYPICAが目指すコミュニティは、コーヒーラバー(生活者)も対象にしています。いずれは、コーヒーの感想を直接生産者に伝えられる仕組みや、参画金を支払うことで森づくりに貢献できる「OKAGESAMAの森」に生活者も参加し、森が育っていく様子をリアルタイムで視聴できる仕組みを導入していきたいと思っています。プロダクトを通して、コーヒーを愛するすべての人が同じコミュニティでつながり、溶け合っていく世界を作りたいですね」