「美味しいコーヒーをずっと美味しく」という理念を掲げ、サステナビリティを軸に事業活動を推進しているTYPICAは、世界中のコーヒーラバーがともに生産地に木を植えるコミュニティ型の森づくりプロジェクト・OKAGESAMAをはじめとしたソーシャルインパクト事業やコーヒー生産におけるGHG排出量の可視化を推進し、事業利益と環境保全の両立を目指している。
そんなソーシャルインパクト事業を統括をしているのが、先日執行役員Social Impact Community Development Officerに就任した渡辺直樹だ。2013年以来、コミュニティデザインを手がけるstudio-Lで働くこと約10年。地域住民たちと一緒に公共施設や都市計画をデザインしながら、彼ら自身が課題解決力を高め、自分たちで活動を牽引していけるように支援してきた渡辺にとって、グローバル規模でコミュニティでの発展を志すTYPICAは純粋に好奇心が湧いてくる環境でもあった。
2022年にTYPICA Annaul Meeting、TYPICA Lab、そしてTYPICA GUIDEの立ち上げをプロジェクトマネージャーとして業務委託で関わった経験もある渡辺が、入社後約半年経った今思うこととは?
負荷をかけるからこそ成長できる
心理学には「コンフォートゾーン」「ラーニングゾーン」という概念がある。前者は慣れた環境や行動領域にあるため安心感がありストレスが少ない反面、成長は得られにくい一方、後者はストレスを感じるがゆえに、挑戦的であり、成長を得られやすい。
自身が培ってきた経験やスキルに頼りがちで、現状に甘んじている自分がいる。40歳という節目を前に渡辺がそんな自覚を持つようになったのはここ数年のことだ。studio-Lの一員としてコミュニティデザイナーとして働いていた時は、出張で家を不在にすることも多かった。子どもが生まれたことを機に働き方を変えることを決意し、地元・大阪にあるスタッフ20名ほどのデザイン会社に転職した。
同社では社内のマネジメント全般に携わったが、どこか安全圏にとどまっている感覚が芽生えていた。家庭生活に重きを置きながらも、働き方については模索が続いていた。
難易度の高い挑戦をすることで、もう一段階成長できる環境に身を置いた方がいいのかもしれない──。そんな思いを心の片隅に抱いていたとき、旧知の仲である後藤(TYPICA・CEO)から声がかかった。
「TYPICAは、2030年までに達成したい目標をいくつか設定している。それまでの5年間、自分も覚悟を決めて過ごしていきたいと思っている。目標達成に向けて、TYPICAの一員として一緒にフルコミットしませんか?」
思いもよらない提案だったが、心は揺さぶられた。95ヶ国・地域(当時)の生産者/ロースターのネットワークを持つコミュニティが秘めた可能性は果てしない。3年前にTYPICAに業務委託として関わり、そのポテンシャルの大きさを目の当たりにした時の原体験がまざまざと蘇ってきた感覚があった。
とはいえ、断る理由ならいくらでもあった。グローバルでのコミュニティ構築は完全に未知の領域であり、TYPICAのようなスタートアップで働いたこともない。しかし渡辺が求めていたのは、まさにそんな環境だった。
「TYPICAが掲げる目標や行動はすごくレベルが高くて、後藤さんからは予想もしない方向からお題が降ってくることもある。そういう環境に身を置くことで強制的に自分を引っ張り上げ、変容させていこうと思ったんです。怠惰でついつい楽な方に逃げてしまう自分がいることは、重々わかっているからです」
自分の意思なく生きていた
渡辺は幼い頃から塾に通っていた。3〜4歳頃から中学校卒業まで塾に通わなかった時期はない。学校や塾のテストで100点を目指すことに対して、何の疑問も持たない日常だった。
親や学校に用意してもらった環境で、自分の主体性や能動性については考えたことすらなかった。だからといってそれに疑問を感じたこともなく、ただ目の前に用意されたレールに乗って歩いていくだけだった。この先に続く「いい大学に入り、いい会社に就職する」という一本道以外、人生の選択肢はないと思い込んでいたからだ。
そんな渡辺が挫折を味わったのは、高校時代のことだ。大阪府内の公立高校のトップ10に名を連ねる進学校に合格した渡辺は、入学直後のテストで40点台を取り、自己最低記録を大幅に更新した。合格したとたんに気持ちの糸が切れ、学校から与えられた入学前の宿題をおろそかにした報いだった。初っ端の授業から理解が追いつかず、自転車で片道1時間かけての通学による疲労も相まって、授業中に眠りに落ちてしまったのである。
完全に意欲が潰えた渡辺は以来、勉強机に向かわなくなった。大半の科目で赤点をとっていたが、焦りもなければ危機感もなかった。中学時代から始めたバレーボールに集中し、体育大学に進学するという道を思い描けたからだ。だが、ある日の試合で右肩を脱臼し、脱臼癖がついたことで、その未来も徐々に閉ざされていく。
勉強にもスポーツにも取り組む意味を見出せず、友達に会いに行くためだけに学校に通う日々の中で、成績が下降し続けていった。教師からの視線が徐々に厳しくなっていくのを肌で感じていたある日、トラブルを起こした渡辺は1週間の停学処分を言い渡されてしまった。
毎日、自分の部屋にこもっていれば、否が応でも自分自身と向き合わざるを得ない。このまま学校を辞めたらどうなるのかーーと考えてみると、自分に何の仕事ができるのか全く思い浮かばなかった。働くとはどういうことか、何も知らないことに初めて気づいたのだ。親に迷惑をかけている手前、できれば顔を合わせたくもない。極端な話、このまま死んでもいいんじゃないかという希死念慮が浮かぶほど、渡辺は思い詰めていた。
そのとき渡辺を奮い立たせたのが、偶然部屋の片隅にあった乙武洋匡の『五体不満足』だった。手足がない障害を抱えているにもかかわらず前向きに人生を切り開いてきた著者と、五体満足であるにもかかわらず嫌なことから逃げてきた自分。己の不甲斐なさとともに、渡辺は生き方を変える必要性を痛感していた。しかしその手がかりを得るために思いつく方法は大学進学しかなかったため、気が進まないながらも受験勉強に取り組み、同志社大学に一浪で入学したのである。
人生は自分で変えていける
自分には社会で生きていく力が完全に欠落しているから、生き方をがらっと変えなきゃいけない──。そんな覚悟を胸に大学生になった渡辺は、心中ひそかに「これまでの人生で絶対選ばなかったであろうことをあえてやる」という誓いを立てていた。
入学早々に高校まではまるで興味がなかった学園祭の実行委員になり、一度も行ったことがなかった海外に行くため短期留学にも申し込んだ。明確な意志を持ってコンフォートゾーンから飛び出していくなかで出会ったのが、学生によって運営されているNPO法人アイセックだった。
世界100ヶ国以上に支部がある同団体は、「若者のリーダーシップ育成」と「異文化理解の促進」を通じ、 平和で人々の可能性が最大限発揮される社会の実現を目指している。同志社大学委員会に所属していた渡辺は、海外インターンシップの受け入れ先企業の開拓など、初めての経験となる活動にのめり込んでいった。
大学3年時には団体代表を決める選挙に立候補し、マニフェストやビジョンをメンバーに訴求して当選を果たした。それまでリーダーという立場を経験したことがなかったからこそ、チャレンジしようという意欲が湧いたのだ。加えて、より良い組織をつくれそうなイメージも浮かんでいた。
「リーダーになって初めて見えたことが色々ありました。自分の至らない点をたくさん知ることができたのも大きな学びでした。思い出深いのが、ブラジルで開催された団体の国際会議に参加したこと。国の経済成長を志す学生や、領土問題などに対して明確な意見を持っている学生たち。日本をロールモデルとしてリスペクトし、日本人以上に日本に詳しい学生たち……。そういった志の高い他国の人たちから刺激を受ける中で、自分の意識や行動、生き方も少しずつ変わっていったと思います。
現に、自分がコンフォートゾーンを飛び出して経験値を増やせば、知見やスキルが磨かれるし、誰かの役に立てる可能性や貢献度も高まっていく。だからこそ、壮大なビジョンを掲げ、理想を具現化している後藤さんのように、自身が半ば強制的にコンフォートゾーンを飛び出さないといけないような人たちと一緒に仕事をしたいと思っています」
能動性を育み、お互いに高め合う関係に
身を置く環境や出会う人次第で、人は大きく成長できる。アイセックで自分や後輩たちの身に起こった変容を通してコミュニティの可能性を見出した経験は、渡辺の人生を決定づけた。
大学卒業後は3年ほど大企業に勤め、フリーでファシリテーターを務めたのちに出会ったコミュニティデザインは、まさに自分の曖昧なイメージが具現化された取り組みだった。地域住民とともに地域をよりよくしていく仕事を通して、渡辺は人の変容に数多く立ち会ってきた。
「地域のサークル的に始まった活動が本格化して起業する人たちがいたり、最初は参加するだけで十分という温度感だった住民が、いつの間にかプロジェクトの中心メンバーになっていたり。最初は思いだけで参加していた高校生が、経験の中でスキルを身につけてチームの中心になっていったり……。自分がつくるなり、サポートするなりして関わった機会を通して、人が変容していく瞬間に僕は喜びを感じます。
学生時代からずっと思っているのは、どんな人でも何らかの形で機会を得ることができれば、眠っていた可能性が開かれ、生き方や人生が変わっていくということ。そういう機会を最大化できる場としてのコミュニティづくりに参画したいという願いも、TYPICAで働くことを決めた理由のひとつです」
まさに生産者とロースター、コーヒーラバー、つまりコーヒーを愛するすべての人々が、地球一周に広がる森をともに育み合うことで、永続的、発展的なコーヒー文化をつくり、その象徴としての森を将来世代へとつなぐことを目指す「おかげさまの森」づくりは、機会創出の場でもある。森を育てることは、多様な植物や生物が共生する地域の生態系を守り、雇用を創出し、地域全体が将来世代にわたって永続的に発展していく基盤となるからだ。
「2050年問題が懸念されているコーヒー業界において、気候変動は差し迫った問題です。生産者はコーヒーの仕事ができなくなり、生活者も美味しいコーヒーが飲めなくなるかもしれない。要はさまざまな機会が失われてしまいかねない状況において、コミュニティが主体となって自律的に森を守り育む仕組みづくりは欠かせません」
2025年9月28、29日と大阪・関西万博にてTYPICAが主催した「OKAGESAMA COFFEE EXPO 2025」では、その一歩を踏み出した。はるばる来日した5名(1名のみオンライン)のコーヒー生産者および参画企業がそれぞれのビジョンや取り組みをプレゼン。来場者がコーヒーを購入することが森づくりにつながる仕組みで運用した結果、計4,000本、40ha分(推計)のシェードツリーが植えられる見込みとなっている。同イベントでプロジェクトマネージャーを務めた渡辺は、こう語る。
「まずは、成功事例をつくることが大切だと思っています。森づくりに真剣に取り組む生産者やコーヒーが市場で評価されるとわかれば、他の生産者たちも『私たちにもできる、私たちもやってみたい』というモチベーションが生まれる。そのために必須なのは、将来世代の森づくりのために利益が還元されることと、生産者自身が当事者意識を持って取り組むこと。たとえ言語や文化の壁はあったとしても、真摯に向き合って対話すれば、一緒によりよい未来を形作っていけるという希望を持っています」