介護・福祉事業の鞆の浦・さくらホーム(広島県福山市鞆町)では様々なバックグラウンドの社員が働いています。新卒入社のスタッフのキャラクターも多種多様。移住して新卒でさくらホームに働き始めた3人のスタッフを集めて「さくらホームの面白さってなんだろう」を(鍋をつつき、酒を飲みながら)語り合ってみました。
さくらホームの特徴や事業については、ぜひHPをご覧くださいネ!
聞き手と書き手は、広報の高本友子です。
高本:まずは入社の経緯から聞かせてください。
人情が生まれ育ったまちと似ていたから
下畠理沙さん(以下、下畠):
まず、福祉を志したきっかけから。小さい頃からずっと「将来の夢」を聞かれるのが苦手でした。進路に悩んでいた高校3年生の秋、私は東京に住んでいたんですけど、大阪に住んでいた祖母が突然お風呂で脳出血で亡くなったんです。後によくよく聞いたら、祖母は認知症の症状が出ていたんですよね。すごい量のペンを私の家に送ってきていたりとか、ご飯の味付けが全部すき焼きのタレになっていたりとか。祖父がフォローして生活していたみたいなんですけど、電話で話す分には私は祖母の変化が全然分からなくって。そこで介護の仕事に興味を持ちました。学校の先生の助言もあり、東京家政大学に進学。大学では社会福祉士の資格取得の勉強をして、その実習先がさくらホームだったんです。
小規模多機能型居宅介護のスタッフを経て、現在はケアマネジャーとして働く。
下畠:
1ヶ月間、原の家(小規模多機能型居宅介護)で実習しました。クリーニング屋さんが毎日挨拶してくれたり、お祭りでまちのキーパーソンのおじさんに会えたり。人情味あるまちの雰囲気をおじいちゃんおばあちゃんから教えてもらえました。職員さんもすごく楽しそうに働いていて。スタッフに付いて動いていた時、介助を受けていた利用者さんから顔面パンチを喰らったことがあったんですけど。職員さんがそれを見て一緒に笑ってくれたんですよね(笑)。介護そのものを楽しんでいる感じがして「なんかここすごいな」と思いました。東京に戻って、就職活動もしたけど、どこもピンとこなくて。鞆のまちのあたたかさが、9歳まで暮らしていた大阪の下町の雰囲気と似ていたのもあり、就職を決めました。
鷲野太平さん(以下、鷲野):
僕は愛知県出身で、福山市立大への進学を機に福山市にきました。福祉の勉強は全然していなくて、さくらホームで働こうと思っていたわけでもないんです(笑)。
きっかけは、大学3年生の冬に鞆町に移住したこと。それまでは、福山駅近くのアパートに住んでいたんですけど、ふと「このまま小さいアパートに住んでいたら頭がおかしくなる。広い家に住みたい」と思って。バイクで20〜30分で通える距離にいい家はないか探してみたんです。大学に鞆の研究をしている先生がいて、家探しの話をしたら「鞆だったら紹介できるよ」と言われて。それで先生と一緒にまちのキーパーソンの方に会いに行ったんです。色々見させてもらえるのかと思ったら「お前はこの家に住め」って言われて(笑)。それが、広い一軒家だった。今もその家に住み続けてます。
大学生の頃より放課後等デイサービス「さくらんぼ」でアルバイト。入社後はグループホームで介護スタッフを経験後、さくらんぼへ。管理者を経験後、現在は生活介護の立ち上げに携わる。
鷲野:
僕が引っ越しをしたのが大学3年生の1月とか。その頃ってちょうど就職活動の解禁のタイミングなんですよ。周りは合同説明会とか面接とかで忙しくて。僕は明らかに出遅れていました(笑)。でも、就活制度への違和感も多少なりあったし、漠然となんとかなるだろうと思って過ごしていました。その思いの着地点が、鞆だったんですよね。
高本:就活制度へのカウンター行動で、引っ越しって珍しい。
地域に身を投じてみたかった
鷲野:
その時は東日本大震災から3〜4年後とかで、若者の地方への回帰みたいなのが盛り上がっていた時期でもあった。そんな中「自分も地域に身を投じたらどうなるんだろう」っていう思いもありました。都市経営学部で自然地理学を専攻していたんですが、その中で観光の研究もしていたんです。登山の流行で道が崩れて土砂災害を引き起こしてしまうとか、オーバーツーリズムの課題点にも関心がありました。福山市の観光地といったら鞆の浦。自分自身が観光地に住んだらどういう思いをするんだろうという、実験的な気持ちもありました。
鞆に住み始めたら、さくらホームとの縁が生まれて。開設2年目だった放課後等デイサービス「さくらんぼ」でアルバイトを始めました。鞆に住みながら、鞆に関する卒論も書いて、鞆の暮らしにどっぷり浸かって。気づけば卒業の時期。そのまま、さくらホームで働かせてくださいとお願いしました。
居城柚那さん(以下、居城):
私は新潟県の出身です。親が離婚していて母と2人暮らしだったんですけど、母が精神的に不安定な時期もあったんです。小中学生の頃は、学校帰りは祖父母の家に行くという習慣がありました。祖父母宅の隣に住むご夫婦の存在が、私が福祉に興味を持つきっかけでした。ご夫婦にはお子さんがおられなかったんですが、自然に地域の子供たちを見守ってくれる人たちでした。私ともずっと関わってくれていて「ご飯を食べにおいで」と言ってくれたり、箸の持ち方を教えてくれたり。私も居場所に思っていました。
高校生の頃、授業の一環で「子どもの貧困」をテーマに研究したんです。子ども食堂に行ったとき、経済的なもの以上に色々な悩みを抱えている人の存在をたくさん知って「私はなんて幸せなんだろう」と思って。家族じゃない、第3の居場所があったことがすごくラッキーだったんだと気づけました。そこで自然に関わってくれた、あのご夫婦みたいになりたいという漠然とした思いが生まれて。「人を形成する」という意味での幅広い教育を学びたくて、東北大学の教育学部に進学しました。
小規模多機能型居宅介護にて、訪問介護スタッフとして働きながら、人事・総務を兼任する。
地域福祉で働きたい
居城:
大学3年の就活の時に、福祉業界以外の企業面接にもトライしましたが「やりたいことのターゲット(顧客)は誰ですか?」みたいに言われるのがきつくて。私の場合、関心は幅広い人にとっての幸せを考えるみたいなことだったんですよね。
近所のご夫婦の存在が原体験でもあったので、「地域共生」「地域福祉」のキーワードで企業を検索する就活に切り替えました。その時に出会ったのがwantedlyに求人を出していたさくらホーム。インターンに行って職員さんがすごく楽しそうに働いているのをみて、直感的に「ここがいい」と思いました。地域にどっぷり浸かるために、移住して、働き始めました。
高本:それぞれ新卒で入って、ぶち当たった壁とかありましたか。
支援に正解はない
居城:
最初、人事部と兼務で配属されたのが「さくらんぼ」だったんですけど、相当、戸惑いました。支援に正解がないんですよ。さくらんぼって遊びを通じて人間関係を学んでいく場なんですけど、自分自身に遊びの引き出しも少ないし、関係性づくりも難しいし、凹むこともありました。
多分「正解を見出そうとする」こと自体が違ったんですよね。ちょっとずつ関係性をつくって、その先に次第に最適解が見えてくるものなのに。
鷲野:
未経験から入職して、グループホームへの配属だったので介護技術や介護の考え方はイチから教わりました。ある日、認知症の利用者さんがポケットから、ティッシュにくるんだ食べかけのおやつを出したんです。それを、先輩の職員さんは「ありがとう」って言って食べてたんです。「介護ってそういうことじゃん!」とすごい納得して。自分も真似して食べました。だって、あげたものを拒否されるって嫌じゃないですか。他のスタッフには「何してんの。普通食べないよ」って言われたけど(笑)。それくらいまっさらな状態で、働いてましたね。「食べて、寝る」。それを楽しくするのが介護なんだって思いました。
都市経営学部卒なのもあって、周りに介護分野に就職した人は誰もいませんでした。「高齢者の世話してるんでしょ?」という目線とのギャップは感じていたかな。でも自分は人の生活を楽しくしている、(利用者さんと一緒に外に出て、住民の意識を変えていくという)まちづくりをしているっていう自負があった。
高本:認知症の方の介護って、同じことの繰り返しで自分のメンタルが削られていく人もいる。そういう悩みはなかった?
試行錯誤がおもしろい
鷲野:
むしろ何回でも試行錯誤ができておもしろいですよ。さっきはお父さん風に言ってみたから、次は息子風に言ってみようとか。ひたすら試行錯誤ができて楽しい。
僕、お年寄りに対して「かわいい」という言葉を使うことに違和感があるんです。他の人が言う分には気にならないんですけど。尊厳を持って接することと「かわいい」という言葉がマッチングしないというか、僕自身はそこには達してない。確かに利用者さんは側から見たら「問題行動」とされることをすることもある。僕はそれを面白がって関わりますよ。でも何でもかんでも「かわいい」は違うなって思っている。
居城:鷲野さんの中での尊厳ってどういう言葉なんですか?
鷲野:
「その人らしさ」かな。例えば、ガッチリした体型で頼もしい雰囲気の男性が認知症になった時に「かわいい」って言葉をかけられるのは、その人らしさの軸からズレた言葉なんじゃないかと思う。
高本:下畠さんは、逆に福祉の勉強をしてから入職した。さくらホームをどう感じた?
つまずいた先にチームで考える
下畠:
小規模多機能は、訪問先が何十件もあるから、顔と名前と訪問先の仕事内容を全部覚えないといけないのが最初の壁だったかなあ。それがルーティン化してくると、私何のために働いているんだろうってなるんです。迷走していた時に、実習担当もしてくださっていた職員さんに相談しました。そうしたら「一人の利用者のことをしっかり深く考えてみたら?」と助言をもらって。Oさんという方に深く関わることにしました。Oさんは元々社交的で、地域のコーラス活動に参加していた人。脳出血になり麻痺で言葉が出にくくなって、自分の思い通りにならないことがたくさん出てきた人でした。介護されることへの抵抗感が強く、よく手が出る利用者さんだったんです。「今の介護が本当に合っているのか考えたい」って、チームに相談してみました。排泄にしてもパッドは今ので合っているのか、試したいって頼みました。そうしたら「一緒に考えよう」と言ってくれて。通常業務でも忙しいのに、申し送りにオムツの形を書いて、「今日はこれくらいの排泄量だった」「左によっていた」とか細かく記録してくれたんです。新入社員の提案に協力してくれたのはすごく嬉しかったです。つまずいた先に、チームで考える楽しさを知ったかな。
多機能で働く中で、自分の役割がある時のその人の力とか、家の力とか。何度も何度も見せてもらいました。
Oさんに周年のコーラスの発表会に行ってもらったことがあるんです。訪問に行ったとき、Oさんが歌を覚えられるように、スタッフは毎回CDをかけて。コーラスの仲間が、Oさんが衣装を(着着脱しやすいように)前あきに直してくれたり、行きつけの美容師さんが家に来て髪を整えてくれたりして、本番を迎えることができました。準備段階を頑張ったから、私は本番で大号泣しちゃったけど、Oさんは全然泣いてなかったな(笑)。
高本:スタッフのやり切った感覚が大事なんですよね、きっと。
鷲野さんは印象に残っている利用者さんはいますか?
鷲野:
今のさくらんぼの高校生の子たちですね。小学生の頃から関わっているから。さくらんぼはとにかく遊ぶ場所。自分自身の好きなことや思いつきをやる中で、「意外にこれ面白かった」っていう子供が一人でも二人でも出てくればいいなって思いながら関わっていました。
高本:療育という言葉にどんなイメージを抱いてる?
鷲野:
難しいな。僕、よく子供に殴られていたんですけど(笑)。僕を殴るのは最後には笑いに変えてくれるという期待感から殴っているんですよね。友達を殴るなら注意するのが療育だし、その子が「だれでもかれでも、殴るのはいけない」と分かっているなら、殴りたいという気持ちを受け止めてあげるのが療育だと思う。
子供一人一人に思い出もある。それより何より、今の高校生の子たちは10年さくらんぼに来てくれているから。自分というより、さくらんぼとの場との信頼関係をつくってくれているんだなと思うと嬉しいですね。
高本:みなさん、どんな人と働きたいですか?また、育てていきたい?
鞆のまちを好きになってほしい
居城:
結局、鞆のまちを好きだと思ってくれる人かな。人間関係の濃さを楽しめる人。
鷲野:
得意なことを生かして働いてくれる人がいいな。パーソナルな部分の得意を支援に乗っけてくれると嬉しいです。
下畠:
私、入社してすぐ怪我しちゃって。休職したけど暇だったから、利用者さんと一緒にフロア座って過ごすだけの時間があったんです。その時にお茶ひとつ下げてもらうのもすごく気を遣うことだと分かりました。足音が大きいなあとか、あの人は声が大きいなあとか、感じることが多くありました。これって忙しく動いてたら見えなかったことだなって今となっても思います。新入社員さんに対しては、まず利用者さんの気持ちに立てるという時間をゆっくり取ってあげたいかな。
今、新入社員に対しては研修制度があるけど、地域のつながりを体感できる仕組みにしているのがすごくいいなって思う。
居城:
新入社員教育の中で、まちのキーマンと繋げるのことはしていきたいですね。社員にはそれができる人がたくさんいるから。つながりをつくり、繋げていくことがさくらホームらしいケアの根幹になると思うんですよね。
高本:まちに関わってもらうって、3人に共通している考え方ですよね。
鷲野:
まちを好きになってほしい。必ずしもまちの行事に参加する必要はない。でも、まちにコミットすることが楽しいことだということを社内文化として伝えていきたいな。
編集後記
この度の鍋囲み対談は燧冶というさくらホームが運営するお宿で実施しました。偶然、東京からの親子連れと大学院生が宿泊されていたので、実は計7人で鍋を食べながらやいのやいのと話していました。話をじっくり聞いてくれていた小学6年生の女の子が最後に「介護って地味なイメージがあったけど、カラフルなんだって思った」と言ってくれました。その女の子の感想が、全て。
文:高本友子