登場人物
株式会社C4C/山岡嵩裕輝
商社での営業経験を持ちながら30歳でプログラミングを独学し、エンジニアへと転身した異色の経歴。
C4Cに入社後、一度スタートアップへ転職するが、代表・亀山の直接オファーを受け再びC4Cへ。
現在はAWSクラウド移行案件の現場リーダーを務めながら、AX戦略室の室長として社内のAI駆動開発を牽引しています。
「敷かれた道ではなく、自分でつくる道を選んできた」
その一貫したスタンスの根っこにある思いとキャリアの軌跡を、インタビューを通して聞きました!
畑違いから、飛び込んだ世界
──もともと商社で営業をされていたとのことですが、なぜエンジニアに転身しようと思ったんですか?
きっかけは大きく言うと2つあって、小さい原体験と、もっと根っこの動機がありました。
まず小さい原体験の方からお話しすると、営業時代にExcelでのExcel業務効率化を、割と本気でやっていた時期があるんです。
北米向けに部品を供給する案件を担当していて、複雑なサプライチェーンの運用を1人で回していました。
それを、関数とマクロを駆使して管理ツールごと自作して、専属アシスタントが1人ついていないと回らないレベルの業務量を、自分1人で片手間でこなせるようにしたんです。そのとき初めて、「自分は作る側の方が向いてるんじゃないか?」と思ったんですよね。
──それが転身に直接つながったんですか?
いえ、そこから一段、もっと根っこの動機があって。
当時の会社が新規事業の創出を推奨していて、自分も本気で動いていた時期があったんですが、あるとき気づいたんです。
思いつくアイデアが、ほぼ全部IT絡みだ、と。
ところが自分はITに関しては完全に無知。
知識不足で、そもそも相手にされなかった。
介在価値が見いだせない、というのを痛感する時期でした...。
それで、一度は諦めかけたんですけど、ちょうど30歳という節目を迎える間際で、「本当に、このままでいいのか」と自問自答が始まってしまって。
「遅いかもしれない、でもまだ間に合う」と思って、思い切って会社を辞めました。
そこから半年間、独学でプログラミングを0から学んで、最終的にC4Cに拾ってもらったという流れです。
(約5年前、エンジニア初期の山岡さん)
──未経験からのスタートで、半年で就職までいくのって相当だと思うんですが、どうやってスキルを身につけたんですか?
1番こだわったのは、「人の1.5倍の時間を投下することを、当たり前として習慣化する」ことでした。
30歳スタートなので、周りより圧倒的に遅れてるという自覚があって。
具体的には、モチベーションに頼らないことを徹底しましたね。
早起きして出勤前にカフェで勉強、業務が終わったらまたカフェで勉強、と日々の生活にルーティンとして組み込んでしまう。
やる気じゃなくて、ルーティンで回す感覚です。
──「これは効いたな」みたいな振り返りはありますか?
振り返って思うのは、最短距離じゃない学び方にこそ、意味があったな、ということですね。
途中で寄り道もしたし、無駄に終わったように見える勉強もありました。
でもエンジニアとして6年経って思うのは、そういう一見遠回りな部分が、今の自分の引き出しになっていること。
寄り道も、無駄も、後から効いてくるというのが、当時の自分が経験から学んだことかもしれません。
エンジニアという仕事の面白さ
──実際にエンジニアになってみて、どんなところにやりがいを感じていますか?
1番大きいのは、自分の手で価値を生み出せるということですね。
営業をやっていた頃は、構造的に「自分の手で価値を作り出せない」仕事だと感じていたんです。
エンジニアになってからは、自分が手を動かしたものが、そのまま価値になって誰かに届く。
これが、シンプルだけどものすごく大きな違いでした。
もう1つ大きいのは、業務外の自己研鑽が、業務に直接結びつくことですね。
営業時代は、たとえば英語を学んだとしても、英語が必要な案件に巡り合わない限り、その勉強は仕事には直結しない。
エンジニアの仕事は、昨日学んだ技術が、今日のコードに直接活きる。
自己研鑽の積み重ねが、そのままダイレクトに自分の戦力になっていく。
これが、結構おもしろいポイントだなと思っています。
──AX戦略室の室長も務めるようになって、エンジニアとしての自分が以前とどう変わったか、教えてください。
1番変わったのは、「自分が描ける範囲」が、一気に広がったことですね。
AIを本格的に使うようになって、「考えること」と「試すこと」の間にあった摩擦が、ほぼゼロになった。
何かアイデアが浮かんだら、その日のうちに動くものを作って、結果を見ながら次を考えられるようになり、手を動かす前に諦めていたアイデアが、片っ端から検証できるようになったんです。
営業時代は、「自分の手で解決策を当てる側」になれず、悔しい思いをしました。
今、AX戦略室でAIを前提にした開発に取り組んでいると、「困りごとに、自分の手で解決策を当てに行ける」感覚がはっきりあるんです。
当時は「5年後だろうな」と思っていた景色が、AIの登場で、目指していた景色が一気に前倒しで来た感覚があります。
──室長として「組織」を見る視点としては、何か変化はありましたか?
これまでは「自分が何を作れるか」だけを見ていたのが、「人と組織がどう育っていくか」という、より大きなスコープで物事を考えるようになりました。
いいエンジニアであることと、いいリーダーであることって、必要な筋肉が結構違うんですよ。
今はその両方を、行ったり来たりしながら鍛えている感じです。
外を知って、もう一度選んだ場所
──C4Cを一度離れた後、戻ってこようと思ったきっかけを聞かせてください。
そもそも一度外に出た理由は、当時の自分の志向と、会社の方向性の間にギャップを感じていたからなんです。
自分の市場価値を上げるために、もう一段厳しい環境に身を置きたいという思いが強くなって、スタートアップへの転職を選びました。
──転職先のスタートアップではどんな経験を?
一言で言うと、やれることの幅が一気に広がった1年でした。
PMとして顧客折衝をしながら、設計・実装・テスト・インフラまで、案件の全フェーズを一人で何でも見ないと回らない環境だったので、大変ではあったんですが、今振り返ると濃い1年だったなと感じます。
結果として、転職先のスタートアップが経営不振に直面して。
次どうしようかと考えていたタイミングで、C4Cで動きがあるという話が耳に入ってきたんですよ。
それで「戻るのもありかも」と感じて、C4Cのメンバーにポロッと漏らしたんです。
そうしたら、亀山(代表)から、直接声を掛けてくれて。「戻ってこないか」と。
──戻ろうと決めたとき、迷いはなかったですか?
正直に言うと、戻った時点で35歳で、そこそこの大手企業に転職するなら、たぶんラストチャンスだったと思っています。
安定を取るなら、別の選択肢もあった。
その意味で、C4Cに戻るというのは、あらゆる選択肢の中で、いちばんの茨の道になるという自覚はありました。
1番大きかったのは、「面白い」と思ったことです。
組織が立て直しに入っているタイミングで、自分が関わって動かせる余地が大きい。
この環境を、自分の理想の形にしていけるかどうかは、自分次第。
「敷かれた道を歩く」より、「自分でつくる道を選んだ」感覚です。
──戻ってきて、約半年。今振り返ってみてどうですか?
判断は、間違っていなかったと思っています。
もちろん、自分の力だけでは超えられない壁はたくさんあります。
だからこそ、他のメンバーと一緒に、強い組織を作っていきたい。
これが、戻ってきた今の正直な気持ちです。
──「やっぱり帰ってきてよかった」と感じた瞬間って、ありましたか?
1つの瞬間というより、「自分が動けば、会社が動く感覚」が、日常の中で何度もあるんですよね。
外にいた頃にはなかった、「自分の意志が、組織の方向に直接乗っかる手応え」のようなもの。
スタートアップで得た「何でも自分でやる」感覚と、C4Cで得られる「組織を動かす」感覚が、自分の中で噛み合い始めている、そんな感触があります。
これが、戻ってきてよかったと思える、1番の理由かもしれません。
C4Cの「らしさ」とは
──山岡さんが感じる「C4Cらしさ」って、どんなところですか?
いくつかありますが、経営層と社員の距離が、ちゃんと近いことは、間違いなくC4Cらしさの一つだと思います。
自分が「戻ろうかな」とポロッと漏らしただけで、代表の亀山が直接声を掛けに来てくれる。
これって、規模の大きい会社だとなかなか起きにくいことなんですよね。
1人ひとりの存在が、ちゃんと経営者からも見えているというか。
もう1つ強く感じているのが、人間性をちゃんと見る文化です。
技術がある、結果を出している、それももちろん大事なんですが、C4Cの場合、「人としてどうか」もしっかり評価軸に入っている。
技術だけで評価されるエンジニア集団じゃなくて、人間性も含めて評価される集団でありたい。
そういう温度感が、組織の中に流れていると感じます。
──離れて戻ってきたからこそ見えた、C4Cの伸びしろはありますか?
ありますね。むしろ、伸びしろがすごく大きい段階にいる会社だと思っています。
AIを中心とした新しい時代の開発・ビジネスの形に、これから本格的に踏み込んでいくフェーズで、AX戦略室を立ち上げて取り組み始めたばかり。
完成された組織に入るんじゃなくて、これから新しい型を一緒に作りに行ける。
これが、いまのC4Cの一番の魅力だと思っています。
次に作りたい景色
──個人として、どんなエンジニアでありたいですか?
一言で言うと、「自分の手で、誰かの困りごとに解決策を当てに行ける」エンジニアでありたい、ですね。
営業時代に諦めかけていたものに対する答えが、自分にとってはエンジニアという仕事だったので。
個として戦えるエンジニアであると同時に、組織として戦える環境を作れるリーダーでもありたいと思います。
エンジニアという枠だけにこだわらず、ビジネスパーソンとして、組織を動かす側に立つ。
営業出身でエンジニアに転身し、今は室長としてもチームを見ている。
この複数の役割を行き来できる強みを、組織の進化のために使いたいです。
──最後に、C4Cに興味を持っている方へ、一言お願いします!
C4Cは今、組織として新しい型を作っていく途中にあります。
完成された会社じゃない、これから一緒に作っていける会社なので、変化を作る側に立ちたい人にとっては、たぶんかなり面白い場所になると思います。
自分自身、営業からエンジニアになって、外を見て、戻ってきました。
いろんな枠を行き来する選択をしてきた人間なので、経歴で枠にはめず、挑戦したい意思のある人を歓迎したいです。
エンジニア出身じゃない方でも、これからAIを前提にした開発・ビジネスに踏み込みたい意志があるなら、大歓迎です!
「敷かれた道を歩く」より、「自分でつくる道を選びたい」人に、ぜひ来ていただきたいと思っています!
取材を通じて印象的だったのは、山岡さんが「面白いと思ったから動いた」という言葉を、何度も自然に使っていたことです。
危機感でも義務感でもなく、純粋な知的好奇心が行動の起点にある。
営業からエンジニアへ、大手の安定を捨ててC4Cへの返り咲きを選んだ選択も、すべてその延長線上にありました。
「変化を作る側に立つ」という言葉は、彼にとってスローガンではなく、すでに生き方そのものになっているようでした!
記事を通して興味を持ってくださった方!ぜひエントリーお待ちしています✨️