前回は、村田憲昭が大手証券会社を離れ、IFAという道を選ぶまでの決断についてお伝えしました。
年収1500万円を手放す不安。
IFAに関する情報がほとんどなかった時代。
「誰と働くか」「何をやるか」を大切にした選択。
そして、正月明けの朝に妻へ伝えた一言。
「今日、言ってくるわ」
しかし、独立は本人だけの決断では終わりません。
家族はどう受け止めたのか。
親戚からはどんな反応があったのか。
大手の看板が外れた時、自分には何が残るのか。
今回は、退職直後に村田が見た現実についてお伝えします。
妻は受け止め、父は「早まるな」と言った
大手金融機関を辞め、フルコミッションに近い世界へ飛び込む。
本人にとっても大きな決断ですが、それ以上に不安になるのが家族です。
村田の場合、妻は当時の働き方を間近で見ていました。
投資銀行部門で深夜2時、3時まで働き、朝6時、7時には家を出る。
そんな生活が続いていた。
このままでは、本当に体が持たないかもしれない。
そう感じるほどの働き方でした。
だからこそ、正月明けの朝に村田が「今日、言ってくるわ」と伝えた時、妻は「いいよ」と受け止めてくれました。
一方で、実家の家族、とくに父親との間では、すぐには分かり合えませんでした。
村田が退職を決めたことを伝えると、母親は驚きながらも受け止めてくれました。
しかし父親からは、「早まるな」という反応がありました。
さらに、親戚からも連絡が入りました。
バリバリ働いてきたキャリアウーマンの親戚からも電話があり、
「考え直しなさい」と心配されたといいます。
大手金融機関を辞める。
安定した収入を手放す。
フルコミッションに近い世界へ飛び込む。
その選択は、本人だけでなく、家族や親戚にとっても大きな出来事でした。
父には父の成功体験があった
村田の父親は、資格を取り、仕事を安定させてきた人でした。
国家資格を持ち、堅実に働くことで人生を安定させてきた。
だからこそ、大手企業を辞め、安定を手放す選択は理解しづらかったのだと思います。
「父には父の成功体験がありました。資格を取って、安定した仕事に就くことで人生が安定した。その感覚からすると、僕の選択は理解しにくかったと思います」
村田は有給消化期間中、実家に帰り、父親に説明しました。
自分の市場価値は確認している。
もしうまくいかなかったとしても、転職の選択肢はある。
考えなしに飛び出しているわけではない。
それでも、完全には理解されませんでした。
夜中の2時頃まで話しても、分かり合えないまま終わったといいます。
親に心配をかけたいわけではない。
家族を不安にさせたいわけでもない。
それでも、自分で決めた道を進むしかない。
独立とは、そういう孤独も含んでいる決断でした。
「明日から来なくていいよ」退職後に始まった有給消化期間
退職の意思を伝えた後、村田はすぐに通常業務から離れることになりました。
引き継ぎがあると思っていたものの、金融機関特有の事情もあり、有給消化とガーデンリーブに入る形になりました。
それまで猛烈に働いていた日々から一転して、急に時間ができる。
最初は不思議な感覚だったといいます。
「意外とのんびりするのもいいなと思いました」
旅行に行く。
元同期や先輩に連絡する。
お世話になった人に挨拶する。
これまで仕事に追われてできなかったことをする時間でもありました。
応援してくれる先輩や同期もいました。
一方で、全員が温かく受け止めてくれたわけではありません。
独立する。
保険も扱う。
フルコミッションに近い世界に行く。
そう聞いて、下に見るような反応をする人もいたといいます。
それもまた、現実でした。
筋だけは通したかった
退職後、村田が意識していたことがあります。
それは、これまでお世話になった人に、できる限り筋を通すことでした。
証券時代にご縁のあった方。
SNSでつながっていた方。
投資銀行部門で知り合った方。
昔のお客様。
会社としてはもう担当できない。
でも、個人的にはきちんと挨拶をしたい。
そう考え、連絡をしたり、直接挨拶に回ったりしました。
「会社としてはもうお付き合いできなくなりましたが、個人的にお世話になったのでご挨拶させてください」
経営者の方からは、「そうか、頑張れよ」と言ってもらえることもありました。
一方で、一般のお客様には距離を感じることもあったといいます。
忙しいからと断られる。
以前のようには会えない。
会社にいた時とは、明らかに反応が違う。
その時、村田は実感しました。
お客様は、自分個人だけではなく、会社の看板も見ていたのだと。
「もちろん自分との関係もあったと思います。でも、やはり会社との関係でもあった。そこは距離を感じましたし、傷ついた部分もありました」
独立するということは、看板を外すということです。
その時、自分という人間に何が残るのか。
誰が応援してくれるのか。
誰が距離を置くのか。
それを知る時間でもありました。
大手の看板が外れた時、自分に何が残るのか
大手金融機関にいると、無意識のうちに会社の信用に支えられています。
名刺を出せば、会ってもらえる。
会社名を伝えれば、話を聞いてもらえる。
お客様も、担当者個人だけではなく、その後ろにある組織を見ている。
それは決して悪いことではありません。
大手企業で働くからこそ得られる信用もあります。
経験もあります。
厳しい環境で鍛えられる力もあります。
村田自身も、野村證券での経験が今の土台になっています。
ただ、独立した瞬間、その看板は外れます。
その時に問われるのは、会社名ではなく、自分自身。
肩書きではなく、これまで積み上げてきた信頼。
組織の信用ではなく、自分の言葉と行動。
村田が退職直後に感じた距離感は、その現実を突きつけるものでもありました。
「大手の看板を外しても、自分はやっていけるのか」
その問いに、これから自分で答えを出していく必要がありました。
父の見方が変わった、地元新聞の記事
独立当初、父親とは完全には分かり合えませんでした。
それでも、村田は自分で選んだ道を進み続けました。
保険営業で成果を出し、IFAとしての経験を積み、少しずつ自分の道を形にしていく。
そして独立から1年半ほど経った頃、地元の新聞に取り上げられる機会がありました。
その記事は、地元でも話題になりました。
小学校時代の友人から連絡が来る。
地元の知人が見てくれる。
家族の周囲にも伝わっていく。
その頃から、父親の見方も少しずつ変わっていったといいます。
母親からは、こんなことを言われました。
「あの記事くらいから、お父さんも変わってきたわよ」
辞める時には理解されなかった。
安定を手放すことを心配された。
親戚からも考え直すように言われた。
それでも、自分で選んだ道で結果を出し、形にしていくことで、少しずつ見え方は変わっていった。
今では、父親から仕事そのものよりも、体調を心配されることが増えたそうです。
「お前は酒が飲めんのやから、無理はするな」
そんな言葉をかけられるようになりました。
選んだ道を、正解にしていく
独立した瞬間に、すべての人が応援してくれるわけではありません。
家族も不安になります。
親も心配します。
親戚から止められることもあります。
大手の看板が外れた現実に傷つくこともあります。
それでも、選んだ道を進み続け、少しずつ結果を積み上げることで、周囲の見方は変わっていく。
村田には、学生時代から大切にしている考え方があります。
正解の道を選ぶのではなく、選んだ道を正解にする。
独立が正解だったかどうかは、辞めた瞬間には分かりませんでした。
父親と分かり合えなかった。
親戚からも心配された。
昔のお客様との距離も感じた。
決して、きれいな話ばかりではありません。
それでも、自分で選んだ道を、自分の行動で正解にしていく。
村田にとってIFAとは、まさにそういう働き方でした。
次回は、実際に0件0円からどのように立ち上がっていったのか。
収入のリアル、保険営業への挑戦、独立初期の苦労についてお伝えします。