高校・大学の志望校挫折:思い通りにいかない現実との向き合い方
僕の記憶にある原体験のひとつは、ロシアからの帰国です。幼少期を異国の地で過ごし、
日本へ帰国した際に直面したのは、生活環境や言語・文化の大きな壁でした。しかし、そ
の中で僕の心の支えとなったのがラグビーという競技でした。パスを繋ぎ、身体をぶつけ
合い、仲間と泥にまみれて勝利を目指す魅力を知った僕は、高校進学にあたっても「帰国
子女の受け入れ体制が整っていること」と「強豪のラグビー部があること」の 2 つを絶対
条件として掲げ、精力的に学校を探していました。
いくつかの候補校に足を運び、自らの手で将来を切り拓こうと意気込んでいた矢先、最初
の大きな壁が立ちはだかりました。第一志望だった強豪高校のラグビートライアル中、激
しいコンタクトの末に左鎖骨を骨折してしまったのです。
当時の僕にとって、その事故はあまりにも残酷でした。大事なアピールの場で動けなくな
り、目指していた強豪校への道は一瞬で閉ざされました。どれだけ準備を重ね、どれだけ
情熱を注いでいても、たったひとつの事故で努力が結果に結びつかない。15 歳そこそこの
僕にとって、この出来事は強い敗北感と拭いきれない悔しさを刻み込むものとなりまし
た。第一志望を諦めざるを得なくなった僕は、最終的にラグビー界ではまったくの「無名
校」へと進学することになります。
しかし、打ちひしがれている時間はありませんでした。絶望の淵で僕が選んだのは、「思
い通りにいかなかった過去」を嘆くことではなく、「与えられた環境でどう最高の結果を出
すか」へと即座に思考を切り替えることでした。
進学した無名校には、恵まれた施設も目立った実績を持つ選手もいませんでした。だからこそ、自分が誰よりも泥臭く練習に取り組み、背中でチームを引っ張る存在になると心に
決めました。復帰後は怪我の恐怖を跳ね返し、日々のトレーニングに没頭。その結果、1
年生にしてレギュラーの座を獲得することができました。
そこから僕たちの逆転劇が始まりました。「無名校だから」と周囲に与えられた評価を覆
すため、練習の質と量、そしてチームの意識改革に徹底して取り組みました。結果とし
て、僕が在籍した 3 年間で、チームは前評を覆し 3 年連続で全国大会出場という快挙を成
し遂げたのです。
骨折による挫折は、一見すると絶望でしかありませんでした。しかし、この経験を通して
僕は「どんな厳しい状況からでも巻き返す柔軟性」と、「置かれた場所で泥臭く結果を追い
求める強靭な精神力」を手に入れることができました。
大学での決断:頚椎椎間板ヘルニアの試練と、フィジカル改造ノウハウによるチーム貢献
高校時代に全国の舞台を経験した僕は、更なる高みを目指して大学でもラグビーを続ける
道を選びました。しかし、ここで再び高い壁に突き当たります。それは「圧倒的な体格
差」でした。
大学ラグビーのトップレベルにおけるフィジカルの強度は、高校時代とはまるで別次元で
した。当時の僕の体重は 86kg。自分の担当するポジションにおいては非常に軽く、高校ま
で通用していたタックルやフィジカルコンタクトが、大学の舞台では一切歯が立たないと
いう現実に直面したのです。フィールドに立っても相手に押し込まれ、自分の存在価値を
見失いそうになる日々が続きました。
「このままでは終われない」と痛感した僕は、肉体改造を決意しました。ありとあらゆる
食事法、ウエイトトレーニングのプログラム、休養の取り方に至るまで試行錯誤を重ねま
した。時には成果が出ずに伸び悩む時期もありましたが、解剖学や栄養学の視点を取り入れた独自のアプローチを確立したことをきっかけに、僕の身体は劇的な変化を遂げ始めま
す。
結果として、わずか半年間で 20kg の増量に成功。2 年生を迎える頃には、体重 106kg と
いう強靭なフィジカルを作り上げることができました。数値上の変化だけでなく、フィー
ルド上でも上級生や外国人選手相手に正面からぶつかり合える強さを手に入れ、念願だっ
た A チームのジャージ(レギュラーの座)を掴み取ったのです。
努力が実を結び、ここから一気に躍進しようとしていた矢先、悪夢が僕を襲いました。頚
椎椎間板ヘルニアの発症です。
ある日の練習中、首から背中にかけて激痛が走り、腕の痺れで力が入らなくなりました。
医師から突きつけられた診断結果は、これまで情熱のすべてを注いできたラグビーを奪い
去るには十分すぎるほど重いものでした。「もう二度と以前のようにプレーできないかもし
れない」という恐怖と途方もない脱力感が押し寄せ、人生で初めて「ラグビーを辞める」
という選択肢が頭をよぎりました。
病室の天井を見上げながら、激しい葛藤が続きました。しかし、僕の根底にある泥臭いメ
ンタリティが、再び僕を奮い立たせました。「怪我を理由にここで諦めたら、これまでの
努力も、積み上げてきた自分もすべて嘘になってしまう。今の自分にできる貢献は必ずあ
るはずだ」と。
リハビリに打ち込むと同時に、僕が始めたのは「自分自身の知見をチーム全体へ還元する
こと」でした。自分が半年間で 20kg の増量に成功した際に培った知識や食事管理、トレ
ーニングのノウハウを、体重増加に悩む後輩や同級生に徹底的に共有し始めたのです。個
別でのアドバイスや指導を行い、チーム全体のフィジカル底上げに全力を注ぎました。
やがて過酷なリハビリ期間を乗り越えてフィールドへ復帰を果たした時、僕の役割は単なる「一人のプレイヤー」を超えていました。復帰後の泥臭いプレーはもちろんのこと、チ
ームメイトのフィジカル成長を支えるアドバイザーとしても信頼を獲得。知識と経験の共
有を通してチームの組織力を高め、現在ではチームになくてはならない不可欠な存在とし
て貢献を続けています。
大きな試練に直面した時こそ立ち止まらず、いま自分にできる最大限の役割を見出して行
動を起こす。この姿勢こそが、僕の真の強みだと確信した出来事でした。
就活での運命的な出会いと、GF(テレアポ)インターンでの営業スキルの確立
ラグビーでの復帰と並行して始まった就職活動の中で、僕の人生を大きく変える新たな出
会いがありました。大学のキャリアサポートセンターに足を運んだ際に出会った、ケンユ
ウさんという人物です。
当時の僕に強烈なインパクトを与えたのは、ケンユウさんの溢れんばかりの熱量とストイ
ックな姿勢でした。会話を交わす中で、ケンユウさんから「君のその熱量とハングリー精
神は、営業の世界で間違いなく活きる」と、半ば強引とも言えるほどの勢いで長期インタ
ーン(GF でのテレアポ業務)への参加をスカウト(ナンパ)されたのです。
それまでスポーツ一筋で生きてきた僕にとって、ビジネスの世界、ましてやテレアポとい
う領域は未開の地でした。しかし、「誰もが挫折しやすい厳しい環境だからこそ、自分の
培ってきたメンタリティがどこまで通用するか試したい」という好奇心が勝ち、インター
ンへの挑戦を決意。現在に至るまで愚直に業務を継続しています。
テレアポの現場は、想像以上に過酷なものでした。電話をかけても一秒で切られる、厳し
い言葉を浴びせられるといったことは日常茶飯事。「断られることが当たり前」という過
酷な環境の中で、大半の人間がモチベーションを失っていく場所でした。
しかし、僕にとってこの環境は、これまでの人生で味わってきた挫折に比べれば恐れるに
足らないものでした。「断られてからがスタートだ」と捉え、持ち前の折れない心を武器
に泥臭い行動量を維持し続けました。単に電話をかけまくるだけでなく、戦略的なアプロ
ーチの強化にも徹底してこだわりました。断られた理由を 1 件ごとに分析し、トークスク
リプトを改善。相手の声のトーンや言葉の端々から真のニーズを汲み取る技術を磨き、毎日 PDCA サイクルを高速で回し続けました。
結果として、電話越しであっても相手の信頼を獲得し、契約や商談に繋げる確固たる営
業スキルを確立。断られる恐怖を克服し、圧倒的な行動量と戦略思考を両立させたこと
で、インターン先でも上位の成果を収めることができるようになりました。
この長期インターンで培った「圧倒的な行動力」「折れないメンタル」「相手の本質を見極
めるコミュニケーションスキル」は、就職活動においても高く評価されました。面接で
は、飾られた言葉ではなく、これまでの泥臭い実体験と具体的な成果を自分の言葉で語
り、結果として複数の希望企業から内定を獲得することができました。
提示された選択肢の中で、最終的に僕が選んだのは、これまで乗り越えて手に入れてきた
泥臭い営業スキルや強靭なメンタリティに加え、幼少期からの環境で身につけた「4 か国
語」という自身の語学力(バックグラウンド)を最大限に活かせるグローバル企業への入
社でした。自分が持っているすべての武器を解き放ち、世界の舞台で戦う決意を固めた瞬
間でした。
これから目指す未来
「22 年しか生きていない自分」が、人生のすべてを語れるとは思っていません。世の中に
はもっと凄惨な経験をした人や、偉大な実績を残した人がごまんといることも理解してい
ます。しかし、これまでの 22 年間の経験から、僕が確信していることがあります。
人生はいつだってうまくいくことばかりではなく、順調な時ほど長くは続きません。絶
好調の波に乗っていた翌日に、一瞬でどん底へ叩き落とされるような局面は必ず訪れま
す。骨折によって強豪校への道を閉ざされた時も、ヘルニアによって身体が動かなくなっ
た時も、テレアポで何十件と連続で電話を切られた時も、僕の目の前にはいつも「どん
底」がありました。
ですが、どんなに壁が高く、何度突き落とされたとしても、そこから泥臭く立ち上が
り、諦めずに戦い続ける覚悟が僕にはあります。
これを読んでいる人は「自分にはそんな経験はない」「特別なストーリーを持つ人の話
だ」と思うかもしれません。
けれど、これは小山田ロマンという一人の人間が歩んできた物語であり、これからも続いていく物語です。自分の人生は自分だけのもの。他人のストーリーに自分を寄せる必要な
んてありません。この言葉だけは、ぜひ胸に刻んでおいて欲しいと思っています。
人生のどん底に落ちた時、試されるのは「どれだけ美しく生きるか」ではなく、「どれだ
け泥臭く立ち上がれるか」です。僕はこれまで培ってきた強靭なメンタリティ、泥臭い営
業力、そして語学力を武器に、どんなに変化が激しく過酷な環境であっても、言い訳をせ
ず成果を出し続けるビジネスパーソンとして挑戦し続けます。