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【新卒3期生】就職活動の「意味」を見失って辛かった私が見つけた答え

はじめまして!株式会社ヘルスベイシス新卒3期生の大谷心路です。

この記事では、私の人物像、就活の経緯を中心に、最終的にヘルスベイシスに決めた理由をお話しします。

こんな方は、ぜひお読みください。
✔ 就活に「違和感」を感じる方
✔ 自分に合った会社の見つけ方が知りたい方
✔ 自分が何をしたいのか分からない方

最後までお読みいただければ嬉しいです。

<プロフィール>
名前:大谷心路(おおたに こころ)
大学:立教大学
見ていた業界:IT
出身:北海道
趣味:フラ、映画鑑賞、旅行

私は幼い頃から人見知りな性格で、周りからも「大人しい」や「ふんわりした印象」という風に言われることが多かったです。でも、実際には物凄く頑固で、家族には生まれてからずっと反抗期(笑)なんて言われたこともあります。

そのくらい、常に自分が決めたこと・正しいと思ったことを貫き通すような性格なので、今までの人生では「そのせいで...」ということも「そのおかげで」という出来事も両方あったなと思います。

ここからは、過去のいくつかの出来事からおおまかな人物像を知っていただければと思います。

1.強みがほしかった小学生時代

私は、小学生の頃沢山の習い事をしていました。ですが、他の友人が得意といえる何かがある一方で、当時の私は浅く広くの経験で「得意」といえることがないことに引け目を感じていました。

そして、自分の強みが欲しかった私は、もともと海外文化が好きだったこともあり、英語力そして多様な価値観に触れる経験を自分らしさにしたいと考え、地元で唯一短期留学ができる高校に進学することで、自分らしさを身につけたいと考えました。

そんな決意をした小学高学年からは、志望校での生活を夢みて、毎日のように洋楽や海外ドラマに触れたり、入学すれば行くことになる留学のために、毎年英検で級を上げられるように努力しました。

結果、受験までその意志が揺らぐことはなく、無事に志望校に行くことができました。

2.人生で一番後悔していること。中学時代のバスケ部。

一方で、私の性格が大きく裏面に出た経験が中学時代にありました。

入学後、私はバスケットボール部に所属し、毎日部活漬けの日々を送っていました。初心者の多かった私のチームでは、試合をしては負ける日々に何度も悔しい思いをしましたが、チーム全体で切磋琢磨するような環境で、辛くも楽しかったのを覚えています。

しかし、怪我で上手く練習できない時間や監督からの厳しい言葉を当時の私はプラスに変えられず、引退する数ヶ月前にスタートメンバーから外れてしまいました。

そこからは、「部活なんて早く終わればいい」と投げやりな態度で、頑張りきることなく引退を迎えました。

当時は、そういった形で部活動を終えたことに後悔をしていませんでしたが、あの時最後まで頑張っていれば、何か変わっていたんじゃないか...と現在まで思うほど後悔をしています。

この経験は、自分に負けた悔しい経験として忘れられませんが、「後悔しないための選択と行動をすること」を意識するきっかけとなりました。

3、様々なチャレンジをした高校時代

その後高校では、先述した通り、志望校への進学が叶い、とても充実した生活を送ることが出来ました。特に、高校時代で印象的なのは、3か月のニュージーランド留学と生徒会活動です。

NZ留学では、はじめて親元を離れてホストファミリーのもとで暮らし、言葉の障壁がありながら現地生と高校生活を送ったことで、様々な「当たり前」の有難みを知りました。特に、現地での生活を支えてくれたコーディネーターさんは私にとってのロールモデルとも言える人物で、いつも笑顔で、無償の愛を注げる彼女のような人になりたいと考える出会いになりました。

次に、2年次から参加した生徒会は、私にとって大きな挑戦でした。

なぜなら、もともと人前に立つのが苦手だった+共学化を控え、女子校としての最後の年ということで大きな責任があったからです。

それでも、生徒会に入ることを決めた理由は、当時の担任から推薦をもらい、一度断りを入れた後、中学時代での後悔を思い出し、「逃げる選択はもうしたくない!」と強く思ったからです。

結果としては、大変で苦しいこともありましたが、仲間と試行錯誤しながら、女子校最後の行事作りに向き合った時間は達成感と自信に繋がりました。この経験から、苦手でも踏み出し、自分からチャンスを掴むことの大切さを実感しました。

4、今しかできないこと

大学入学後、コロナ禍が加速する中で私は想像とは全く異なる大学生活を送っていました。上京し、アルバイトをしながら、授業やサークルで新しい仲間との出会いを楽しみにしていましたが、同級生と仲良くなる術もなく、右も左もわからない状態下でひたすらパソコンと向き合う日々はものすごく不安で辛かったのを覚えています。

周りには、新しい友人を作り、コミュニティに積極的に参加している子もいて、自分とのギャップにものすごく焦りを感じた時期でもありました。そこで、入学後、限られた環境でも様々なことに挑戦する高校時代の親友に、どうしてそんなに積極的になれるのか質問をすると「今しかできないかもしれないから」という言葉が返ってきました。

その言葉で私は、待っているだけではなく、自分から動き出さなくてはいけないんだと背中を押され、春学期の終わり少しコロナが落ち着いてきたのをきっかけに上京することにしました。その後、「今しかできないこと」×「コンフォートゾーンから抜け出す」ということを目標に立て、フラダンスサークルへ入会することを決めました。

ダンスも人前に立つことも苦手、かつ知り合いもいない新たな環境に飛び込むことは当時の私にとって大きなチャレンジでした。

ですが、上記の目標を達成したいという思い、そして同じく初心者から始めた先輩方が楽しそうに笑顔で踊っている姿に少しでも追い付きたいという気持ちが何よりも強く、毎日のように自主練をしていたのを覚えています。その後、コロナが落ち着き、様々なハワイアンイベントや大会に参加したり、また代表となったこともありチームづくりやスケジュール管理など、引退までサークル漬けの生活でした。

苦手に連続して向き合う時間や、サークルの方向性が一致せず苦しい時期もありましたが、サークルに入り経験したすべての事が必然だったと思えるほど自分を強く豊かにしてくれる経験でした。胸を張って充実していたといえる活動を大学生活で出来たことは私にとって誇りです。

5、私の就活

(立教大学の先輩の小屋さんとハワイアンカフェにて)

私が、本格的に就職活動を始めたのは、3年生の11月でした。夏から少しずつ就活を始めている同期もいましたが、代表という立場でもあったことから、サークル活動に最後まで本気で打ち込みたく、早くからの就職活動はしませんでした。

一方で、就職活動が早期化しているというのは聞いていたため、就活のおおまかなスケジュール感だけは把握するようにしていました。そこで、徐々に興味を持った複数のIT企業が参加しているオンライン説明会を聞いたり、いくつかの1dayインターンに参加したこともありました。

しかし、就職活動を進めるにつれ違和感を感じるようにもなりました。これは、個人的な感覚でしかありませんが、就職活動ではどこかしらで自分を偽ることが必要なのではないかと思うようになったんです…。面接で必須と言ってもいいガクチカ・自己PRなど、就活生であれば誰もが当たり前のように準備し、すらすらと話す必要のあるもの。過去を振り返り、何が強みで、入った先に何をしたいのか。そういうことを考える事自体は重要で必要な過程だと分かってはいたんです。

ですが、就活ロジックでいわれる「過去と今と未来」といったことを完璧に結びつけようと必死だった当時、ありのままの自分を語るのみで果たして企業とマッチできるのか。また、大手内定や早期内定など「就活での成功」で競うような空気にプレッシャーを感じずにはいられませんでした。

そして、面接で本当には思っていないことを格好の付く理由として発言することが増え、その後の罪悪感や居心地の悪さが就職活動の苦手意識をさらに強くする原因になっていきました。こうして就活という土俵で戦うための「自分づくり」に疲れ、ある時、就職活動の意味を完全に見失ってしまいました。

そんな時に、登録していた就活プラットフォームで面談オファーを頂き、出会ったのがヘルスベイシスでした。正直、企業名を聞いたこともなければ、事業内容に関しても見ていた業界とは異なっていたため、オファー承諾に迷いました。しかし、全く見ていなかった業界・領域の話を聞く経験も今後の糧になるかもしれないと考え、面談の予約をしました。

面談前は、企業情報もあまり知らない中で大丈夫だろうかと不安と緊張でいっぱいでした。しかし、面談が始まると会社に関する話よりも、私の就活や悩みに寄り添いながら、自分の中に渦巻いていた思考の言語化をサポートすることに多くの時間を割いてもらう、他の企業ではない対話的面談をして頂きました。

そんな面談を複数回重ね、気付けたことがいくつかありました。

①自分を偽らなくてもいいこと
②「やりたいこと」よりも「自分のありたい姿」から考えること

これは、就活軸や志望動機でなく、ありのままの自分を見つめてくれる面談のおかげでした。私が就活において、自分を偽らなくてはいけないと思っていた原因は「やりたいこと」に執着し、それが実際には「ありたい姿」に乖離する選択になっていたからでした。

つまり、その当時の私の「やりたいこと」と「ありたい姿」はイコールにならなかったんです。そこからは、ありたい姿に近づける環境を選択することこそが、私にとっての就職活動の答えなのだと認識しました。

6、私のありたい姿

そんな答えに辿り着いた私がありたい姿は「自分が誇れる自分でいる」ことでした。

具体的には...

1、等身大のいまを全力で生きて、必要とされること
2、他者基準を脱した自分であること
3、選択肢を持った人であること

この三点を満たす時、私は自分を誇りに思うことができると考えました。

私は、志望高校を決めた時のように、自分にとって引け目や劣等感になっていることを変えたいという思いが人生の原動力になることが多いです。

そして、常に何かが欠けているという自己認識を手放すことは出来ません。自信のなさがついて回る人です...笑そのため、そんな自分でありながらも全力を尽くすことで、誰かに必要とされる。そんな風に働くことが出来れば幸せだと感じました。

また、自分史を振り返り、何かの「岐路」に立った時、自分にとっての大切な価値基準は、いつも自分の気持ちに正直であるかどうかでした。他人と違ってもいい、ありのままの自分が選択した道を信じ、前に進みたいと思いました。

そして最後に、私は悩みながらでも多くの収穫がありそうだと感じる道に進むことを意識してきたことに気が付きました。いつかやりたい!挑戦したい!という時に、どれだけ多くの選択肢を持てているかで、自分の可能性が大きく変化すると思うからです。自分を誇りに思い続けるためにも、選択肢を増やせる環境で、将来を柔軟に開拓できる力をつけたいと思いました。

7、ヘルスベイシスを選んだ理由

私がヘルスベイシスを選んだ理由は、主に2つあります。

まず一つ目は、上記の「自分が誇れる自分でいる」というありたい姿に近づけると感じたからです。

どんなに言葉に詰まっても、考えがまとまるまで待ち続けてくださった面談の時間。そんな時間が等身大の自分でもいいんだ、そんな人たちのいる中で頑張りたいと思わせてくれました。

また、自分の選択を正解にするために全力でチャレンジしている先輩方や同期がいること

そして、ヘルスベイシスにおいてのこれから!という時期に入社することで得られる他社では経験出来ないであろう業務。

苦しいことはあるかもしれませんが、上記で挙げた3箇条を全て満たすことのできる環境だと感じました。

そして、2つ目は、ヘルスベイシスのvisionである「可能性」を社会に提供し続けるということが、私のやりたいことそのものだったからです。

就職活動の意味を見失っていた時、私の「やりたいこと」は「ありたい姿」に結びつかなかったとお話しました。

しかし、自分のありたい姿をしっかりと確立した今、わたしがやりたいことは「可能性」を社会に提供し続けることなのだと確信しています。

「自分らしさ」を肯定し、社会や個人の可能性を解放するような事業を社会に浸透できるよう活躍したいです。

8、就活生へのメッセージ

就活をしていると、壁にぶつかる事や不安になることが少なからずあると思います。

ですが、就職活動は競争ではないと思いますし、就活のやり方やその正解も人それぞれだと感じます。

なので沢山の人の声や経験に耳を傾けつつ、でも他人の価値観に惑わされないことを大切に、自分の気持ちに真っ直ぐに...!そんな就職活動になることを願っています。

この記事が少しでもどなたかの就職活動の力になると嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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