こんにちは。株式会社シンシア・ハート代表取締役の堀内猛志(takenoko1220)です。
僕は前職で、50名から4000名まで成長した企業の人事役員を務め、節目ごとに生まれる“人”と“組織”の課題に向き合ってきました。
現在は、成長企業向けの戦略人事コンサルティングと、ミドル・ハイレイヤーに特化した人材紹介に取り組んでいます。
このシリーズでは、僕の経験をもとにしながら、40代からの「キャリア中盤」の戦い方をお伝えしていきます。
第5回のテーマは「開発職を目指すための“足し算”と“掛け算”」です。
目次
はじめに
営業の推進層からスタートしたキャリア
ベンチャーで「3倍成長できる」の本当の意味
急成長に隠されたリスク
経験を“方程式”にできるかが分かれ道
感覚のままでは再現できない
事業企画という仕事との出会い
売る力を仕組みに変える
事業企画で見えた「人」という課題
人事で再び推進層へ
インターン“だけ”をブランド化する
おわりに
はじめに
前回は、「あらゆる職種から“開発職”を目指す方法」をテーマに、営業、マーケティング、人事、技術職という代表的な4つの職種の成長パスを見ながら、どんな職種からでも開発職を目指せるという話をしました。
では、40代から開発職を目指すには、具体的に何をすればよいのでしょうか。
結論から言うと、これまで「足し算」で積み上げてきた経験を、「掛け算」によって発展させていくことです。
そう言われても、具体的にはイメージしにくいかもしれません。そこで今回は、僕自身を例に、積み上げてきた経験を掛け合わせ、開発職へ近づいていくキャリアの考え方についてお伝えしたいと思います。
営業の推進層からスタートしたキャリア
現在は「人事のプロ」という印象を持っていただくことが多い僕ですが、キャリアの始まりは営業職でした。
まずは、前回お伝えした営業職のキャリアレイヤーを振り返ってみましょう。
Layer 1:支援層
ルート営業・既存深耕
↓ 既存顧客で信頼を築く
Layer 2:推進層
新規開拓営業
↓ 提案力・交渉力を磨く
Layer 3:戦略層
営業戦略・営業企画・セールスイネーブルメント
↓ 営業の勝ち筋を設計する
Layer 4:創造層
新市場開拓営業
↓ 0→1で市場を創る
キャリアの中盤戦略 Vol.4|あらゆる職種から「開発職」を目指す方法
僕自身も、最初は営業として、地道な活動からキャリアをスタートしました。ただし、上記のレイヤーでいうと、先輩の顧客を引き継ぐルート営業から始まったわけではありません。
僕が新卒で入社したのは、当時まだ小さなベンチャー企業だった株式会社ネオキャリアです。大手企業であれば、先輩が担当してきた顧客を引き継ぎ、営業の基礎を学びながら少しずつ自分の担当を持っていく、という流れもあるでしょう。
しかし、当時のネオキャリアには、そこまでの余裕はありませんでした。入社したばかりでも、「自分でお客さんを取ってこい」という世界です。つまり僕は、支援層をすっ飛ばして、いきなり推進層からキャリアを始めたことになります。
ベンチャーで「3倍成長できる」の本当の意味
推進層からスタートできることは、厳しさでもあり、良さでもあります。
実際、スタートアップやベンチャーでは、「3倍速で成長できる」といわれることがあります。その理由は大きく分けて二つです。
一つは、人数が足りないため、一人で複数人分の役割を担うことになるから。もう一つは、時間的にも長く働くことになりやすいからです。
役割的にも時間的にも多く働けば、その分、経験値は増えます。だからこそ、短期間で大きく伸びる人はいます。20代前半で役員になったり、事業責任者を任されたり、自分で独立したりする人が出てくるのも、こうした環境を乗り越え、糧にしているからだといえるでしょう。
急成長に隠されたリスク
一方で、これは危険と隣り合わせでもあります。
本来、支援層から始める環境であれば、先輩の仕事を見ながら学び、営業のいろはや仕事の型を少しずつ身につけていくことができます。人員が潤沢な大手企業であれば、オペレーションやマニュアル、教育制度が整っていることも多いでしょう。
しかし、スタートアップやベンチャーでは、そういったものが十分に整っていないことも少なくありません。基本的に、考えながら走ることが求められるため、創造層と推進層が一体化していることもあります。
こうした環境の中で、型を学ばないまま走り続けてしまうと、その会社、その業界、その商材でしか成果を出せない人になってしまう危険性があります。経験量は増えているのに、再現性のあるスキルになっていない状態です。
経験を“方程式”にできるかが分かれ道
だからこそ、自分を成長させるために大事になるのは、ただ量をこなすことだけではありません。自分が経験したことを、別の場所でも使える「方程式」にしていくことです。
自分なりの方程式を持っていれば、その考え方を別の会社に持ち込むこともできます。ほかの方程式と組み合わせることもできます。職種が変わっても、「これって考え方は一緒じゃん」と応用できるようになるわけです。いわゆる考え方の構造化ですね。
コンサルタントがフレームワークやテンプレートにこだわるのも、そこに意味があります。人が言葉だけでやり取りしていると、どうしても受け取り方にズレが出ます。自分が伝えたつもりのことと、相手が理解したことが、少しずつズレていくわけです。そのズレをできるだけ減らして、一定の品質を保持するためには、枠や型に当てはめるのが最もヘルシーなんです。
感覚のままでは再現できない
センスのいい人は、そういうことを頭の中で自然にやっています。自分の中で構造化して、自分なりの方程式を作っているんです。一方で、多くの人は、そこまで構造化せずに、体で覚えてしまいます。感覚ではできても、人に言語化できるほどのレベルにはなっていない状態です。
いわゆる、巨人の長嶋監督の教え方みたいなものです。「バッとやって、ズバッといって、ゴー」と言われても、普通の人は「は?」となってしまいます。受け取る側が松井秀喜さんのような天才だから成立するのであって、誰にでも再現できる方程式にはなっていません。
スタートアップやベンチャーに打って出るということは、基本的には、こうしたフレームがない場所に飛び込むということです。大手企業のように、1から順番に教えてくれるカリキュラムがあるわけではありません。
ちなみに僕は、入社1年目の頃から、先輩が作っていないような提案書や、お客様に届ける資料を自分で作っていました。お客様を構造的に分解し、どこに課題があって、何をどう提案すれば価値が届くのかを考えることが、比較的得意だったんです。
手前味噌ですが、そこにはセンスがある方だったと思っています。僕の場合、こうした営業時代の提案書作りや顧客理解が、方程式作りの入口になりました。
事業企画という仕事との出会い
営業から事業企画へ移るきっかけは、ある大手企業から自社にやって来た役員の方に「事業企画をやってみたら?」と勧められたことでした。
当時の会社には、そもそも企画と呼ばれる人がいませんでした。だから僕からすると、「企画って何をするんですか?」という感じでした。もっと言えば、「企画だけやって給料もらえるんですか?」くらいに思っていました。創造も、計画も、推進も、全部セットでやるものだと思っていたからです。
しかし、その方は「創造するメンバーは時間が足りていない。そして、推進するメンバーは、武器を持たされないまま『行ってこい』と走らされている。企画が機能すれば、現場はもっと走りやすくなるはずだ」と、僕に言いました。
その言葉で、僕は「自分が事業企画を担うことで、どんな価値を生み出せるか」をはっきりとイメージすることができました。
売る力を仕組みに変える
実際、当時の会社は、ターゲットや戦い方がかなりざっくりしていました。戦略が明確ではないまま、各メンバーがひたすら走っているような状況です。そのため、適切な振り返りや反省ができず、「なんかうまくいかなかった」で終わってしまうことも多くありました。
それが、事業企画を新設してからは、何が正しくて、何が間違っていたのかを検証できるようになりました。メンバーからも「前よりワクワクしています!」「仕事がすごく楽になりました」という声がありました。
営業として自分が成果を出すために作っていた方程式を、今度は戦略として、組織全体が使える仕組みにしていく。それが、僕にとっての事業企画でした。振り返ると、ここで、営業の推進層から事業企画の戦略層へと、仕事のレイヤーが一段上がったのだと思います。
事業企画で見えた「人」という課題
事業企画を進めていく中で、ぶち当たった壁があります。それは、いくら戦略を立てても、推進層のメンバーがそれを実行できなければ意味がないということです。
「鬼に金棒」ということわざで例えるなら、「金棒を持てない人に金棒を持たせてもしょうがない」という感じです。であれば、事業企画としては、持ちやすい金棒を作ってあげなければいけません。
そこで僕は、今いるメンバーが売れる商材は何なのか、どういう武器であれば現場が使いこなせるのかを問い直し、新規事業開発としていろいろな商材を作りました。
一方で、もう一つの課題意識も生まれました。それは、「金棒を使いこなせる人を採用しなければいけない」ということです。会社として高い目標を達成していくためには、持ちやすい武器を作るだけではなく、その武器を使いこなせる強い人も必要になります。事業企画をやりながら、僕の関心は少しずつ「人」の方にも向かっていきました。
ちょうどその頃、経営から採用責任者への異動の打診がありました。自分の中でも、このまま事業開発に振り切るのか、それとも人事に行くのか、どちらかが必要だと感じていました。そんなタイミングでオファーをもらったので、「これは一つ、ありかもしれない」と思い、人事に移ることにしたんです。
人事で再び推進層へ
人事では、もう一度推進層の仕事からスタートしました。なぜなら、やはり人手が足りなかったからです。与えられた目標は「前年80人採用だったところを、今年は120人採用する」というもの。それに対して、採用チームは僕とアルバイトのメンバー1人だけ。「これ、あとは俺がやれってことだよね?」という状況でした。
ただ、事業企画で戦略を考える経験はしていたので、ここでも「どうすれば採用で勝てるのか」を考えることから始めました。とはいえ、戦略を作っても、推進する人は僕ともう一人しかいません。結局のところ、推進も、企画も、創造も、自分で担う必要がありました。
しかも、当時の会社は、採用においてかなり厳しい状況にありました。前職を悪く言いたいわけではありませんが、働き方は相当ハードでしたし、離職率も高い状況でした。
さらに、掲示板や口コミサイトでの評判もひどい有様です。新卒採用では、先輩・後輩のつながりも強いので、「あの会社を受けようと思っている」と相談したら、「やめておけ」と言われてしまうような状態でした。そのため、普通に採用活動をしていては、なかなか他社と戦えなかったんです。
インターン“だけ”をブランド化する
そこで考えたのが、当時は採用力のある企業しか取り組んでいなかった「インターン」でした。
正直、知名度や企業イメージが強くない会社がインターンを実施しても、ただリソースを取られて終わってしまう可能性があります。インターンから直接採用につながるとも限りません。
でも僕は、そこであえてインターンに打って出ようと考えました。狙ったのは、会社そのものではなく、インターンだけをブランド化することです。
つまり、「ネオキャリアに入社したい」と最初から思ってもらうのではなく、「ネオキャリアでインターンをしたい」と思ってもらう。
会えなければノーチャンスですが、逆を言えば、会うことさえできれば、そこから会社の魅力を伝えるチャンスは生まれます。
結果として、「ネオキャリアのインターンが面白いらしい」という噂は広がっていきました。そこから、エントリー数は大きく伸び、友人紹介、いわゆるリファラルで受けに来る学生も一気に増えていきました。
インターンの設計について興味がある方は個別にご連絡ください。
採用活動を、ただ目標人数を追う仕事として見るのではなく、学生との最初の接点を設計する仕事として捉え直す。この設計は、僕にとって、人事における最初の創造層の仕事だったと思います。
おわりに
僕は、20代はとにかく経験量を増やす「足し算」の時期でいいと思っています。営業を任されたら営業をやり切る。企画を任されたら企画をやり切る。採用を任されたら採用で成果を出す。まずは目の前の仕事に向き合い、量をこなし、自分の中に材料を増やしていくことが大事です。
しかし、30代以降、特に40代からは、ただ新しい経験を足し続けるだけでは足りません。これまで積み上げてきたものを、どう掛け合わせるかが大事になります。
実際、僕のキャリアも、営業、事業企画、人事がバラバラに積み上がってきたわけではありません。営業で身につけた推進力を事業企画で戦略に変え、事業企画で得た構造化する力を人事や採用の設計に持ち込み、人事で得た人と組織を見る力をさらに重ねてきました。そうやって、自分の経験を方程式にしながら、別の領域へ持ち込んできた感覚があります。
40代から開発職を目指す人も、新しい何かをゼロから始めなければいけない、と重く考える必要はありません。まずは、自分がこれまで積み上げてきた経験を見直すことです。
その中に、別の領域でも使える方程式はないか。ほかの経験と掛け合わせられるものはないか。そこを考えることが、開発職に近づく一歩になります。
そして、この掛け合わせは、時にセレンディピティ、つまり「幸せな偶然」をもたらすことがあります。次回は、このあたりをもう少し掘り下げながら、どうやってキャリアにレバレッジを効かせていくのかについて書いていきたいと思います。