こんにちは!インクグロウ株式会社の採用チームです。 こちらは、プロスキージャンパー葛西紀明氏の経営者向けセミナーレポートの【後編】です。(ぜひ前編からご覧ください!)
前編では、葛西氏の極貧の幼少期から、恐怖を乗り越えて19歳で初の世界一に輝くまでのストーリーをお届けしました。しかし、栄光の直後、葛西氏の人生には想像を絶する悲劇と挫折が待ち受けていました。
4. 家族を襲った相次ぐ悲劇。そして、人生で一番悔しかった「長野の夜」
1994年のリレハンメル五輪。難病で闘病中だった妹から「金メダルを取ってきて」と託されるも、団体戦は目前で逆転され銀メダル。さらに葛西氏自身も骨折により、ジャンパーとして致命的な「ジャンプへの恐怖心」を抱え込みます。
悲劇は続き、実家の火事により母親が大火傷を負い、壮絶な闘病の末に亡くなってしまいます。 不自由な手で母が書き残した手紙には、こう綴られていました。
「どん底から這い上がってきた息子を頼もしく思っています。2度とない人生だから、一生懸命生きていきたい」
この手紙は、現在でも大きな試合の前に必ず読み返す、葛西氏の折れない心の原点となっています。
母への想いを胸に挑んだ1998年長野五輪。しかし不調だった葛西氏は、直前で団体戦メンバーから外されます。日本中が劇的な金メダルに狂喜乱舞する中、葛西氏は一人、ホテルまでの雪道を号泣しながら歩いて帰りました。
「今振り返ってみても僕の54年の人生の中で、あの長野五輪の夜ほど悔しかった日はありません。でも、もしあそこで一緒に金メダルをもらっていたら、僕はそこで満足して引退していたと思います。あの死ぬほどの悔しさがあったからこそ、『絶対に個人の力で金を取るまでは辞めない』という執念が生まれました。まさに、あの絶望こそが、天が僕にくれた最大のチャンスだったんです」
5. 「レジェンド」としての誇りと、65歳まで終わらない夢
絶望から16年が流れた2014年ソチ五輪。葛西氏は41歳という異例の年齢で2つのメダルを獲得し、世界中から「レジェンド」と称賛されるようになります。
現在54歳。サッカーのキングカズ(三浦知良選手)に刺激を受け、「カズさんが65歳まで現役を続けるなら、僕も65歳までプロとして飛び続ける」と宣言。 座右の銘である「自分の夢は、努力でかなえる」を胸に、未だ手にしていない金メダル獲得に向けて走り続ける決意を語り、講演は幕を閉じました。
経営者の「人生」と「企業の未来」を包括的に支える
葛西氏の不屈のストーリーは、全国の経営者様に深い感動をお届けしました。
事業の成長、組織の壁、そしていつか向き合う「事業承継」――。経営者は常に孤独と重責を背負っています。 私たちは親族内承継でも、第三者承継でも、目の前の経営者が本当に必要としている最適解をフラットに提示し、企業の未来をあらゆる選択肢から包括的に支える組織でありたいと考えています。