こんにちは!株式会社ギークリー 新卒採用です。
今回は、早稲田大学を卒業後、大手企業の内定を蹴ってギークリーへ新卒入社し、最速でチームマネージャーへと駆け上がった石井さんのインタビューをお届けします!
幼少期の子役経験、高校野球での挫折経験、大手安定志向からの脱却、そして入社後に 突きつけられた「危機感」と「圧倒的成果」へのこだわり。
要領よく立ち回ることで自分を守ってきた彼が、なぜあえて甘えの許されないベンチャーの世界を選び、いかにしてチームを率いるリーダーへ成長したのか。その軌跡と本音に迫ります!
大人の顔色を伺った子役時代、高校野球で突きつけられた現実
|まずは、自己紹介をお願いします!
はじめまして!石井蒼月と申します。生まれも育ちもずっと横浜でして、実家がバッティングセンターという自営業をやっていたので、親戚や年上の大人が常に周りにいる環境で育ちました。一人っ子ということもあって、幼い頃から「大人の顔色や周囲の空気を素早く察する力」が自然と身についていましたね。
実は、幼少期から小学校6年生まで子役として芸能活動をしていたんです。ドラマに出演したり、一人で電車に乗って遠方の撮影現場へ通ったりと、周りの友達とは少し違う刺激的な日々を送っていました。
学校を早退することも多く「レアキャラ」扱いされていましたが、根が極度の目立ちたがり屋だったので 学校にいる時は存在感を示すために学級委員長をやったり、テストで1位を取ったりと、自分なりに周りよりも尖る努力をしていました。
|子役を小学校卒業のタイミングで辞めた理由は何でしょうか。
子役を辞めた理由は、本気で野球をやりたかったからです。中学校で野球部に入るにあたって丸坊主にする必要があったのですが、「坊主にしたら戦時中の子供の役しか来なくなるぞ」と思って辞めました(笑)。
中学校でも相変わらず目立ちたがり屋で、学級委員長を務めたり、卒業式で答辞を読んだりと、学校行事の中心に立つムードメーカーでした。ですが、高校進学で人生最初の大きな壁にぶつかったんです。
|どんな挫折があったのでしょうか?
完全に「モブ(補欠)」に降格してしまったんですよ。
高校は1学年12クラスというマンモス校に進学し、強豪の野球部に入部しました。そこには中学時代から硬式野球をやっていた体格のデカい選手がゴロゴロいて、目立ちたくても目立たない存在になってしまいました。
また、それまではセンスや小手先の技術で誤魔化せていたのですが、フィジカルも体格も根本から違うライバルたちを前にして、自分の限界を突きつけられて…。入部当時はレギュラー争いの土俵にすら乗れず、人生で初めて「大きな壁」にぶつかりました。
|そこから、どのようにしてレギュラーの座を勝ち取ったのですか?
試合に出て目立ちたい、誰かに認められたいという欲求だけは人一倍強かったんです。 だからこそ、学校ではいい加減な態度を装いながら、家では泥臭く「コソ練(隠れた練習)」を徹底的に重ねました。実家のバッティングセンターで、人に見えないところで誰よりもバットを振っていたんです。
体格で真っ向勝負しても勝てないことは分かっていたので、自分の強みを活かせるプレースタイルへ大胆にシフトしました。徹底的に自分の戦い方を工夫した結果、高校2年の秋には背番号をもらい、最終的にはレギュラーとしてグラウンドに立つことができました。
「安全牌」を選び続けた過去。大手内定を捨ててベンチャーへ飛び込んだ葛藤
|大学時代から就職活動にかけての道のりはいかがでしたか?
高校卒業時は現役で第一志望の大学に届かず、どうしても納得がいかなくて一浪を選択しました。1年間猛勉強して無事に早稲田大学に合格できたものの、入学直後にコロナ禍が直撃。1〜2年目はオンライン授業ばかりで人と関わる機会が奪われ、昔から尖りたいと思っていた自分にとっては不完全燃焼で不甲斐ない時期を過ごしました。
大学3年の秋口から就活を始めたのですが、当初の志望は一貫して「大手・有名企業」でした。「有名企業に入って親を安心させたい」「周りから見て誇れるような分かりやすいブランドが欲しい」という想いが強く、自分の人生において常に「安全牌(確実で失敗のない道)」を選ぼうとしていたんです。
|そんな大手志向だった石井さんが、なぜギークリーと出会い、志望度を高めていったのでしょうか?
きっかけは一通のスカウトでした。最初は「IT業界の知識をつけよう」くらいの軽い気持ちで選考を受け始めたのですが、選考や社員面談で出会った先輩たちの熱量に強烈な衝撃を受けたんです。
学生時代に事業を立ち上げていた方や、圧倒的な成長スピードで『攻め』のキャリアを切り拓いている社員の方々と話す中で、自分の胸の奥底にあった「自分の力を試してみたい」「もっと尖った存在になりたい」という想いが強烈に刺激されました。
|大手企業の内定も保持されていた中で、最終的に決断を下した理由は何だったのですか?
相当な葛藤がありました。ずっと安定や世間の目を気にして生きてきたので、知名度のないベンチャーを選ぶのは怖かったんです。
ですが、大手企業の内定をいただきながら自分の将来を想像した時、「このまま安定した環境に入ったら、自分の『尖りたい』という欲求や情熱が押し潰されてしまうのではないか」という強い恐怖を覚えました。
「要領よく安全な道に逃げるのはもうやめよう。一度きりの人生、限界を決めずに自分がどこまで通用するのか試してみたい!自分を一番試せる環境に飛び込もう」と腹を括り、大手企業の内定をすべて辞退して、ギークリーへの入社を決意しました。
省エネな自分への焦りと危機感。昇格を掴んだ「初速」の力
|実際に入社してみて、どのようなギャップや壁がありましたか?
甘さを完全に打ち砕かれ、「社会の厳しさ」を思い知らされましたね(笑)。
入社初期の私は、どこか高校時代の「要領よく最低限の労力で最大の成果を出そう」とする癖が抜け切っていませんでした。新卒研修でも「ポイントだけ押さえて上位をキープすればいい」と考え、要領よく6位あたりに身を置いて満足していたんです。
ですが、周囲の同期を見渡すと、自分の自己成長や組織の成果に対して泥臭く、100%以上の熱量で本気で向き合っているトップ層がいました。上位の席に座り続ける同期たちの圧倒的な姿勢を突きつけられた時、「自分はこの会社で生き残っていけないかもしれない」「このままじゃ何の価値もない人間になってしまう」という強烈な焦りと危機感を抱くようになりました。
|その危機感から、どのようにして行動を変えていったのでしょうか?
大きな転機となったのは、マネージャー昇格がかかった直前のクォーター(四半期)です。最速でのマネージャー昇格を目指していたにもかかわらず、3ヶ月連続で目標未達成という崖っぷちに追い込まれました。
「結果が出なければ、会社からの期待も評価もすべて失う。このまま終わるのは絶対に嫌だ」という危機感が、自分の中に眠っていた想いに本当の火をつけました。要領よく立ち回るのをやめ、泥臭く「結果へのフルコミット」へと完全に舵を切ったんです。
|具体的にどのような戦略と行動で巻き返したのですか?
徹底したのは「初速」と「選択と集中」です。
多くの人は、やっていないことをやるときに時間がかかります。ですが私はまず業務の「初速」を爆発的に上げました。情報の収集や顧客対応など、後回しにしがちなタスクを最初の段階で迅速に終わらせることで、メイン業務の時間を圧倒的に確保したんです。
さらに、自分には無限のスタミナがあるわけではないと自覚していたからこそ、無駄な動きをすべて削ぎ落とし、「勝つために最もインパクトのある業務」だけに全パワーを集中させました。その結果、最終クォーターで目標達成率160%という成果を叩き出し、有言実行でチームマネージャー昇格を果たすことができました。
「成果を出すから、仕事は面白い」
|現在はチームマネージャーとして活躍されていますが、意識していることはありますか?
自分がプレイヤー時代に身につけた「選択と集中」を、部下にも愚直に実践させることです。
新卒で入社した真面目なメンバーほど「出されたタスクをすべて100%の力で頑張ろう」として力尽きてしまいがちです。しかし、マネージャーの本当の役割は、部下が成果を出すために「今、どこにリソースを集中させるべきか」というセンターピンを明確に示し、集中させてあげることだと思っています。
仕事は、成果が出るからこそ心から面白くなります。部下に「勝つ喜び」や「自分の成長」を感じてもらうために、成果に直結するポイントを教え込み、彼らが最大出力を出せる環境を整え続けるのが私の使命です。
|最後に、これから就職活動に挑む学生へメッセージをお願いします!
就活生の皆さんに伝えたいのは、「適切な危機感を敵にするな」ということです。
自分自身に火をつけ、殻を破って成長するためには、現状に対する「このままじゃダメだ」という適度な焦りや危機感が絶対に必要です。ギークリーには、現状に満足せず高い基準で自分を高め続ける環境と仲間が揃っています。
学歴や過去の成功体験、余計なプライドは入社する瞬間にすべて捨ててください。どんなに良い大学を出ていても、社会に出れば全員が同じゼロからのスタートです。大切なのは、入社した最初の瞬間に「プライドを捨てて、圧倒的な成果を出す覚悟」があるかどうか。
「今の安全な環境から脱却したい」「自分の限界を突破して、圧倒的な成果を出したい」と本気で願う熱い覚悟を持った皆さんと働けることを楽しみにしています。覚悟を決めて、一緒に勝ちに行きましょう!
あなたの“成長したい”想いを、ぜひ当社に届けてください。