当時、嬉しさも楽しさも、しんどさも、外に向けて感情を出すことができなかった。本当にしんどいことであればあるほど、誰にも相談できず、作った笑顔で「何でもない」と言うことが習慣になった。家族にも友達にも、誰にもSOSが出せなかった。
それほど自分を出せなかった私が、教育の未来をつくりたいと思うようになるまでの葛藤と挑戦を記しています。
1.自分を出さなくなった子ども時代
私が生まれ育った家はお寺でした。小さい頃からお寺に訪れる人の対応をし、「さすがお寺の子だ」と言われるような振る舞いを自然と求められていました。
勉強したいという気持ちもずっとありました。しかし、定期テスト期間や受験勉強の時期であっても、お寺の行事や来客があれば、家を手伝いなさいと言われ、それでも成績は下げてはいけないという状況。昼間は家の手伝いを、勉強は寝る時間を削ってという18年間を過ごしました。
気づけば私は、自分の気持ちよりも、期待される自分の姿を優先することを覚えていました。
2.学び場を渡り歩いた4年間:自分の“やりたい”を取り戻す
大学進学後は一人暮らしをスタート。家庭の事情を気にせず勉強できる環境が本当に嬉しく、専門の数学と教職課程の勉強に打ち込みました。
そこで知ったのが、「フリースクール」という言葉でした。“さすがお寺の子” “親の言う通りに”といった価値観の中で育った私は、学校に行かないという選択肢が、非常に奇妙に感じました。
「これは言葉だけで知った気になってはいけない、自分の目で見たい」
そう思い、地域のフリースクールに「通わせてください」とメールを送りました。
フリースクール、家庭教師、集団塾、通信制高校、中学校研究発表会、夜間中学校…
私は、授業やアルバイトで忙しい中でも、残った時間を限りなく使って、様々な学び場に足を運びました。勇気を出して自分の“やりたい”を追い続ける中で、私は少しずつ、自分を出せるようになってきました。
3.自分の仕事が、誰かを幸せにできた瞬間
NIJINのインターンは、新しいことばかり。SNSを使いこなす、新しいアイデアを出せるなど、一般的にいう「若い力」というものを持っている自覚はなく、ここでの私の存在意義は何だろうと悩んだ時期がありました。
そんなある日、NIJINに入ってから2回目の、メタバース空間での授業を行いました。選んだのは理科の天気の授業。授業が終わった時、ある子がチャットを送ってくれました。
「こんなに集中して聞いた授業は初めてです。自分でも天気を勉強してみようと思いました!」
マーケもSNSも知らない。でも、様々な学び場をまわって、その場所で最適な授業を考え抜いてきた経験はあった。私らしさで届けられる価値があるのかもしれない。しんどかった過去を、そこから変わろうとし続けた大学4年間を、NIJINで誰かを幸せにする力にできると実感できました。
4.教育に新しい価値をつくりたい
全ての人が多様な選択肢を持てる世界を、学ぶ人が未来をあきらめない世界を、つくりたい。そのために、NIJINで挑戦を続けていく。
そして、困難なことに直面しても、以前のように自分を押さえつけることをせず、これからはもっと、自分らしさを出せる人になっていこうと決めています。
「NIJINには、あなたの“色”を否定せず、共に面白がってくれる最高の仲間がいます。新しい教育の形を、私たちと一緒に創りませんか?」