はじめまして。
株式会社NATECT 代表の神﨑遼(コウザキ ハルカ)です。
初めてのストーリー投稿は、私たちがなぜ創業したのか、そして何を実現したいのかを正直に書こうと思います。
少し長いですが、よかったら最後まで読んでください(笑)
なぜ創業したのか、何を実現したいのか
人の人生も、企業の未来も、出会いで変わる――。
この想いは、会社を立ち上げた瞬間からずっと変わっていません。
私と根津は、もともと飲食業界にて、共に働いていた仲間です。
私は表参道で飲食店のマネージャー、根津は麻布十番で飲食店の店長。
別々の会社でしたが新宿で一緒に店舗を回したり、海の家を運営したり、現場で一緒に汗をかいてきました。
仕事を通じて強く感じたのは、
「人と人の関係が、人生の分岐点をつくる」ということ。
お客様との会話ひとつで、表情も、選択も、未来も変わっていく。
その瞬間を何度も見てきました。
プライベートでも仲が良く、時間があればカフェでビジネスの壁打ち。
「いつか一緒に何かやろう」
その“ふわっとした夢”が、いつの間にか確信に変わっていきました。
立ち上げ当初 ― 好きなことから始めたアパレル
最初の事業はアパレルでした。
社名の由来は Nature + Protect。
僕らは二人とも自然が大好きで、何度も救われてきた。だから、自然を守る価値観を形にしたかった。
海外で流行していたドローコード(日本では、おばさまがメガネにつけて首にぶら下げているヒモ)を、日本でサスティナブル素材でおしゃれに広めようと、デザイナーと組んでサンプルまで作りました。
でも、正直に言うと…経験が足りなかった。
サンプルはできたのに、リリースの直前で資金が底をつきそうになったんです。
このまま出して“いちかばちか”の勝負に出るか。
撤退して、種をまき直すか。
私たちは後者を選びました。
0→1は“名刺3万円”から始まった
撤退を決めた時、余裕なんてゼロ。
まずは生き延びるために、何でもやろう――。
そんな覚悟で走り出した時、最初にいただいた仕事が名刺作成の3万円でした。
新規営業で何十回会っても成果が出ない中、
「信用の種」として託してもらった3万円。
稼ぐまでの時間は長かった。でも手応えは何より大きかった。
小さな一歩でも、行動は次につながる。
それを体に刻んだのが、あの3万円でした。
たまたま始めた相談が、人生と採用を結びつけた
同じ頃、根津は社労士事務所へ出向してビジネスの基礎を学び、
私は周りの人たちの転職相談を日常的に受け始めました。
「転職したい?」
「履歴書ってどう書く?」
そんな素朴な会話を重ねるうちに、企業と働く人の間にあるギャップが見えはじめました。
表参道時代のお客様には、社長や決裁権者が多かった。
採用の悩みを聞いて改善のヒントを伝えると、
「それ、手伝ってほしい」と返ってくる。
思いがけず、対話が人生と企業成長をつなぐ仕事になっていったんです。
月2万円のシェアオフィスから“青春オフィス”へ
最初の拠点は、月2万円もしない表参道のシェアオフィス。
メンバーは僕と根津、そして業務委託で働いていた祝部(ホリ)の3人だけでした。
そこから少しずつ仲間が増え、
新橋のL字型“部室みたいなオフィス”で男5人が肩を並べて営業を開始。
笑いも、熱い議論も、全部あった。あの時間は間違いなく青春でした。
その後WeWork虎ノ門を経て、いまは新橋の1フロアオフィスへ。
組織は20名規模になり、採用支援だけでなく、個人の市場価値を本気で伸ばす環境へと進化しています。
↑we work虎ノ門一丁目
ラスト出勤時の写真
前編の最後に
こうして僕たちは、自然を守りたいという挑戦から、
「人と企業の選択を変える仕事」へと歩みを進めてきました。
次回の後編では、
なぜ採用支援を“本業”としてやる覚悟を決めたのか、
そして これからどんな未来をつくりたいのか、
さらに どんな仲間と一緒に挑戦したいのか を書きます。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
後編もぜひ読んでもらえたら嬉しいです。