「なんとなく合わない」を、仕方ないで終わらせない。カルチャーリーを立ち上げた理由
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「仕事はできても、ここは自分の居場所じゃない」
そう感じたことがある人は、少なくないと思います。
私にも、今でも忘れられない職場があります。
毎日のように終電前の電車に乗り、「忙しいのは良いことだ」と自分に言い聞かせながら帰る日々が続いていました。
ある日、思い切って定時で帰ったことがありました。
翌日、会議室に呼ばれ、先輩からこう聞かれました。
「人間嫌い?」
一瞬、何を言われているのか分かりませんでした。
ずっと遅くまで働いてきて、たまたま一日だけ定時で帰っただけです。それなのに、なぜ「人としてどうなのか」という話になるのか。
努力が足りないと言われるなら、まだ分かります。
でもその瞬間に感じたのは、仕事の評価以前に、自分という人間そのものが、その場の空気に合っていないような感覚でした。
当時の私は、それを自分の努力不足だと受け止めようとしていました。
でも今振り返ると、あれは「能力がない」という話ではなく、明らかに「文化が合っていない」というサインでした。
文化は、きれいな言葉ではなく、日々の判断に表れる
企業文化という言葉は、少し抽象的に聞こえます。
ビジョン、バリュー、ミッション、行動指針。
多くの会社が、きれいな言葉を掲げています。
でも実際の文化は、もっと日常的なところに出ます。
誰が評価されるのか。
何をしたときに、周りから信頼されるのか。
どこまで自分で判断していいのか。
困ったときに、誰に相談していいのか。
定時で帰ることが、普通なのか、気まずいことなのか。
ミスをしたときに、学びとして扱われるのか、人格の問題として扱われるのか。
そうした一つひとつの判断や反応の積み重ねが、その会社の文化をつくっているのだと思います。
だからこそ、文化が言葉になっていない会社では、すれ違いが起きやすくなります。
採用時には「合いそう」と思ったのに、入社後に噛み合わない。
経営陣は伝えているつもりなのに、現場では違う意味で受け取られている。
「裁量がある」「フラット」「自走できる人」といった言葉が、人によってまったく違う意味で使われている。
こうしたズレは、表面上は採用、人事、マネジメント、オンボーディングの問題に見えます。
でもその奥には、会社の前提が言葉になっていない、という問題があることが多いと感じています。
「居場所」というテーマは、ずっと自分の中にあった
思い返すと、「居場所」というテーマは、子どもの頃から自分の中にありました。
小学生の頃、私はポケモンやスーパー戦隊が大好きでした。
でも、周りの友人たちが少しずつその世界を離れていく中で、話が合う相手が減っていきました。
中学生の頃には、友人関係の中で、自分のいる場所が急に揺らぐような経験もありました。
反対に、「ここにいていいんだ」と思わせてくれる友人ができたとき、人はこんなにも呼吸がしやすくなるのかと感じたこともあります。
今の言葉で言えば、それは心理的安全性だったのかもしれません。
この実感は、大人になってからもずっと残っています。
職場に居場所を感じられると、人は前を向けます。
たとえ今はできないことがあっても、「ここなら成長していける」と思える環境であれば、人は少しずつ力を伸ばしていけます。
逆に、歓迎されていない、信頼されていない、何かあるたびに人格まで否定されるように感じる環境では、どれだけ頑張っても心が削られていきます。
働くことは、人生の大きな時間を占めます。
だからこそ、職場に居場所があるかどうかは、単なる気分の問題ではありません。
その人の力の出し方、生き方、家に帰った後の表情にまで関わるものだと思っています。
二つの文化のあいだで育ったから、見えるものがあった
私は、オーストラリアと日本、2つの社会のあいだで育ってきました。
どちらも好きです。
でも、どちらにも完全に属しているとは言い切れない感覚もありました。
オーストラリアにいるときは、日本人のような振る舞いの自分を意識する。
日本にいるときは、完全には日本人になりきれていない自分を感じる。
長いあいだ、それは自分の弱さや中途半端さのようにも感じていました。
でも今は、その「あいだ」に立ってきた経験が、カルチャーリーの原点になっていると思っています。
文化とは、言葉にされているものだけではありません。
むしろ、言葉にされていない前提や空気のほうが、人の行動に強く影響することがあります。
何を言っていいのか。
どこまで踏み込んでいいのか。
何が失礼で、何が誠実なのか。
何を大切にしている人だと見なされるのか。
文化のあいだに立ってきたからこそ、私はそうした見えにくい前提に敏感になったのだと思います。
そしてそれは、企業の中でも同じです。
会社ごとに、言葉にされていないルールがあります。
その会社では当たり前でも、外から来た人には分からない前提があります。
それを本人の努力不足や相性の一言で片づけてしまうのではなく、もっと丁寧に扱えるはずだと思いました。
なぜカルチャーリーを立ち上げたのか
カルチャーリーの最初のアイデアは、「こういうサービスがあったら便利そうだな」というものでした。
企業文化と人の相性を、もっと見えるようにできないか。
採用時のミスマッチを、入社後に気づく前に減らせないか。
会社が大切にしている価値観を、きれいな言葉ではなく、実際の働き方として伝えられないか。
最初は、1つの事業アイデアにすぎませんでした。
でも考え続けるうちに、これは単なるプロダクトではなく、自分がずっと向き合ってきたテーマそのものだと気づきました。
子どもの頃から続いていた居場所への感度。
オーストラリアと日本のあいだで育った経験。
文化の合わない職場で、力を出しきれないまま離れた記憶。
人が環境によって弱くも強くもなることを、何度も見てきた時間。
それらが1本の線でつながったとき、カルチャーリーは「やってみたいこと」ではなくなりました。
自分がやらなければ、きっと後悔することになりました。
そう思って、株式会社カルチャーリーを立ち上げました。
カルチャーリーがやりたいこと
カルチャーリーは、企業文化を「雰囲気」や「きれいな理念」で終わらせず、採用・オンボーディング・組織づくりに使える形にしていく会社です。
現在は、企業文化の診断と言語化、カルチャーフィットを踏まえた採用支援、働く人の声を起点にした文化発信などに取り組んでいます。
大切にしているのは、Score × Storyという考え方です。
数字だけでは、人の働き方や組織の空気は見えてきません。
一方で、物語だけでは、組織としての意思決定に使いづらいことがあります。
だからこそ、診断や分析によってズレや傾向を見えるようにすること。
そして、働く人の声や日常の風景を、丁寧に言葉にしていくこと。
その両方が必要だと考えています。
私たちがやりたいのは、会社をよく見せるための採用広報ではありません。
形だけのサーベイを増やすことでもありません。
人が本当に「ここが自分の居場所だ」と感じられる会社を増やすこと。
そして企業が、自社の文化を感覚ではなく、扱えるものとして育てていける状態をつくること。
そのために、カルチャーリーを育てています。
まだ、完成された会社ではありません
カルチャーリーは、まだ大きな会社ではありません。
事業の形も、届け方も、営業の型も、これからさらに磨いていく段階です。
だからこそ、今関わってくださる方には、完成された仕組みに乗るというより、一緒に言葉をつくり、型をつくり、市場との接点をつくっていく面白さがあると思っています。
企業文化というテーマは、誰もが大事だと感じていながら、まだ扱い方が定まりきっていない領域です。
だから、簡単ではありません。
相手にすぐ伝わらないこともあります。
抽象的に聞こえてしまうこともあります。
「それは人事の話なのか、採用の話なのか、経営の話なのか」と聞かれることもあります。
でも私は、まさにそこにカルチャーリーの価値があると思っています。
採用の話でもある。
人事の話でもある。
経営の話でもある。
そして何より、人がその会社で力を出せるかどうかの話でもある。
その複雑さから逃げずに、実務で使える形にしていきたい。
こんな人と出会いたい
カルチャーリーでは、いま少しずつ仲間を探しています。
入り口は、営業、編集、リサーチ、採用、組織開発、プロダクトづくりなど、いろいろあると思っています。
ただ、共通して大切にしたいのは、次のような感覚です。
「なんとなく合わない」を、本人のせいだけにしたくない。
企業文化を、雰囲気やきれいごとで終わらせたくない。
人と組織のすれ違いを、もう少し丁寧に扱いたい。
抽象的なテーマを、実務で使える言葉や仕組みにしていきたい。
もしそうした感覚に少しでも近いものがあれば、ぜひ一度お話ししたいです。
カルチャーリーは、まだ始まったばかりです。
でも、見えない文化のズレを見える形にし、人と組織がよりよく噛み合う会社を増やしていくことには、大きな意味があると信じています。
働くことが、ただの我慢や消耗ではなくなるように。
「ここが自分の居場所だ」と思える人が、少しでも増えるように。
そのための会社を、ここからつくっていきます。