キャリアとは一本の線だった。 その一本の線が折れるとは、出産を機に退職することであり、定年退職を機に蕎麦屋を始めることであった。
入口があり、出口があり、その間をブレずに結ぶことが「正しさ」とされた。 レールという言葉が、それをよく表している。
敷かれた線の上を、脱線せずに走り抜けることが王道。転職が当たり前の時代であっても、前職と連続性のない仕事を目指すことを「脈絡がない」と眉をひそめる向きもあった。それは異端であり、計画性のなさの証明であり、信用ならないとまで言う人がいた。
なぜ、まっすぐな線が美しいとされたのか。 直線とは、二点間を結ぶ最短距離のことだ。それが最適であるためには前提がいる——出発点と到達点の、両方があらかじめ分かっていること。終わりの位置が見えているからこそ、そこへ一直線に向かうことに意味が生まれる。線形のキャリアとは、つまり「ゴールが動かない世界」を前提にした最適化だったのだ。
その前提は2026年的にはどうだろう?
私たちが立っているのはVUCA(ブーカ)と呼ばれて久しい世界だ。そして最近言われるBANI(バニ※)という概念は、もっと踏み込んで時代の輪郭をなぞっている。Brittle(脆い)、Anxious(不安)、Nonlinear(非線形)、Incomprehensible(不可解)。
注目したいのは、三つ目だ。この時代を名指す言葉そのものの中に、すでに「非線形」が刻まれている。
非線形とは、原因と結果が比例しない、ということだ。何でもないことが予想もしなかった結果を生み、あるいは膨大な努力が何も生まないまま消える。昨日まで通用したやり方が、ある日を境に、まったく効かなくなる。そういう世界では、ゴールは動く。動くどころか、走っている最中に消えたり、まったく別の場所に現れたりする。
そんなゴールが動く時代に地図はなく、心のコンパスだけがゴールを示しているのかもしれない。迷ったら、ワクワクする方へ。 バラバラに見える点は、まだ線で結ばれていないだけだ。
非線形に生きるとは、流されて漂うとか、行き当たりばったりでフラフラすることではない。 むしろ逆だ。動くゴールに目を凝らし、現れた偶然に手を伸ばし、散らばった点に自分の意味を編み込んでいく——そういう、絶え間ない能動性のことを言う。だからこそ、それは難しいし、不安を伴う。BANIの「A」が不安(Anxious)であることを、私たちは忘れてはいけない。非線形な道には、直線が与えてくれていた安心が、ない。 それでも、と私は思う。
まっすぐに引かれた運河は美しい。行き先が動かないなら、これほど速く確かな道はない。けれど私たちが立っているのは、地形そのものが動く世界だ。蛇行する川は遠回りに見えて、その曲がりくねりこそが、地形が変わってもなお海へとたどり着く力になる。蛇行は、失敗ではない。それは、変わりゆく世界の中で、それでも前に進み続けるための、しなやかさの形だ。
まっすぐ進めと言われてもどこか納得できない、そんな時代に曲がりながらも遠くまで行く人たちを、私は心から称えたい。
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※ BANI(バニ)と聞くと、つい好きなグループのファンネームを思い出してしまう。