こんにちは、エレファントストーンの採用担当です。
エレファントストーンの創業は2011年4月なんですね。現在は23人のスタッフが働いているものの、2015年まではたった5人だけの会社だったんです。
今回は創業当時のエレファントストーンを知っている1人、エグゼクティブディレクターの【嶺隼樹】にインタビューをしました。
面白い話が盛りだくさんだったので、前編と後編の2回に分けて記事を公開したいと思います。まずは前編として、代表取締役 鶴目との出会いからエレファントストーンの社員になるまで、そしてその当時の仕事に関する話です。
[Profile]
1985年札幌生まれ。中学校・高校では放送部、早稲田大学時代は自主映画サークル、そのまま卒業後フリーランスを経てエレファントストーンのほぼ立ち上げメンバーに。気づけば映像に関わり20年。ドローンパイロットでもあり、操縦時間90時間超。地元の北海道をはじめ、撮影で地方へ行くことが大好き。
2011年、代表取締役 鶴目との出会い
遡ることおよそ8年前、それは2011年の春でした。当時の僕は大学を卒業して2年目くらいですね。フリーランスとは名ばかり、映画館のアルバイトもしてやっと生活していけるような貧乏ディレクターとして、細々と映像の仕事をしていました。
当時、同じような立場で仕事をしていた同年代の友人が何人かいたのですが、そのうちの一人(大学時代の同級生)が「映像制作会社を立ち上げた社長がいるから、是非若い作り手と引き合わせたい」と知り合いからから言われたそうです。で、自分も一緒に誘われて行って、そこで出会ったのが鶴目(代表取締役)だったわけです。
最初は社員としてではなくビジネスパートナーとして、もらってきた仕事を僕らが作るスタイルでやってみよう、と話していました。ただ、当時3.11の震災が起こった直後のタイミングだったんです。最初に僕を誘ってくれた友人は福島出身ということもあり、震災に関する報道の仕事にシフトしていきました。だから、残された僕と鶴目でエレファントストーンとしてやっていくことになったんです。
最初の仕事は五反田のマンションのプロモーションビデオ
撮影には何はともあれ人手が必要だったので、大学の映画サークルの後輩で、当時まだ在学中だった安田瑛己(現エレファントストーンディレクター)を誘ったんです。「こういう仕事があるんだけど、暇ならやってみない?」って。でも最初に言った通り、当時の自分はお金も機材も無い、ペーペーの駆け出しディレクター。
そのプロモーションビデオの撮影で、安田の私物の一眼レフカメラを使わせてもらって撮影しました。しかも複数あるロケ地間の移動は、レンタサイクルで借りた自転車で自転車でしていましたね。2人でキコキコと自転車を漕ぎながら・・・
そんな感じで、半年くらいはあくまでエレファントストーンのビジネスパートナーとして仕事をしていました。その時は、自分は自分でディレクター主体の会社を作りたいなとも思っていたので…。
ただ何回か仕事を重ねるうちに、僕も鶴目も馬が合ったというか、お互い何か感じたんでしょうね。2012年1月に千駄ヶ谷に事務所を借りることになって。そうした中で、「これはもう、一緒にやろう」となりました。
(ちなみに、千駄ヶ谷の事務所には、事務所兼住居として横山(写真右)と一緒に住んでいた時期もあるのだとか)
〜2015年、長く続いた5人の時代
そうして始まったエレファントストーン。どんな仕事でもとにかく必死にやって何とか生き延びていた、という記憶ばかりですが、2013年には初めてTVCMの仕事を頂くことができました。その時初めて「映像業界で今後もやっていけるんじゃないか…」と思えました。それを鶴目としみじみ話したのを覚えています。
とはいえ、2015年まで続いた*5人時代は、どこか突き抜けることが出来ない、次のステップに行くことのできないもやもやを、皆感じていたみんなにあったと思いますよ。
(*5人時代=代表 鶴目、取締役 伊藤、ディレクター 嶺、ディレクター 安田、エディター 横山の5名だった時代)
「この仕事がきっかけになって一気に道が拓けた」っていう、エポックメイキングな出来事や作品があるわけではないけど、2016年以降社員が少しずつ増えていって、手作り感が強かった会社がどんどん「組織」になってきたなっていう実感がありますね。
(後編に続く)