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成果と報酬とは何か?(カルロス・ゴーン氏の事件を受けて)

衝撃の日産ゴーン氏逮捕

2018/11/19何気なくfacebookのタイムラインを眺めていたら衝撃的な記事が流れてきた。 日産カルロス・ゴーン氏逮捕。おそらく日本で最も有名な外国人経営者が起こした事件に日本中が騒然となった。

巨額の報酬の虚偽申告。資金の私的流用。 衝撃的な内容だった。 事件の真相や背景、それに伴ってのルノー・日産グループの問題や日仏両政府間での舞台裏などはこれから色んなメディアで書かれていくと思うのでそこにこの記事で言及はしない。 今回はそこに端を発して新興国を中心に事業経営を行う経営者として改めて考えたことについて書きたいと思う。 「成果と報酬」についてである。

成果と報酬はどうあるべきだろうか?

一経営者として常々、成果と報酬はあらゆるレイヤーで公平であるべきだと考えている。 もちろん公平に評価するということは、多様なものさし、評価する人による誤差など様々な要因があり極めて難しいことだ思う。実際あらゆる視点において公平に評価出来ているという組織など世界に存在しないだろうし、その組織で定義された尺度ですら正確にあてられているという組織はほとんど存在しない。

しかし、今回取り上げたいのはそういうレベルの話ではなくもっと簡単なレベルな話である。つまり出来る出来ないという話ではなくやろうとしているか否かという話である。 公平のモノサシを当てるときに最も重要なことは世界一元、人種一元、性別一元、年齢一元のものさしを当てることが出来るかだと思っている。 補足すると世界一元は物価補正はされるべきだと考える。そして「成果」という尺度で図ることが出来るかこれに尽きると思う。

「成果」という尺度で測る

「成果」という尺度でモノサシを当てるということは、先天的差異に原則補正を入れないということである。 分かりやすい自社の例で言えば、日本の企業に日本人のセールスが、ベトナム人のセールスが売るよりも言語、文化障壁なく容易に売れる。 ベトナム人のPMがラインマネジメントを日本人のPMより言語、文化障壁なく容易に出来る。 例えばそういったことである。 そこに一切の補正を入れる必要はないと考える。

実際に私がグループ運営をするのにずっと拘ってきたのはその原則論の適用を出来る限り高い実現レベルで行おうとすることだった。 もちろん全く現状も理想の状態は出来ていないが、少なくとも3人から始まった組織を7年弱でグループ1500人近くまで拡大させるにいたることが出来た一つの要因だと思えるくらいには実践出来ている。

尺度の補正が行われてはいないか?

その過程において極めて起こりやすいのが、自分を含む特定カテゴリの尺度の補正である。 例えば、ゴーン氏を例に上げるとよくグローバルの経営者としての報酬基準という尺度を持ち出して説明していた。 同規模の同業界他社水準などである。

しかし、であれば日産の社員のグローバルとしての給与基準、世界の日産・ルノー工場、販売会社のグローバルとしての基準という尺度で合わせて比べられなければ公平とは言えない。 同じグループ傘下で自分を始め、人種のカテゴリで言えばルノーのフランス人と日産の日本人、それらが進出している国の社員達に本当に同じモノサシを適用しようと務めていたのか。

日産・ルノーに限らず、本当にあるカテゴリに対して都合のいいものさしを当ててるケースは新興国にいると日本にいたときよりも強烈に感じるし、本気でそこを公平化しようと取組む経営者は数少ないと残念ながら思う。 ともすれば現地法人のトップが自分の生活に大きなプライオリティを置いて執行しているケースもたくさん目にする。 自分や近いカテゴリの人に公平を欠いたモノサシを当てるのを意図的にやっているケースは論外としても、無意識でいると結果そうなってしまっているケースも含めて起こりやすい事象だと痛感する。

そして、それはグローバル化する経済においてもはや弊害の側面の方が大きくなっていると感じる。

そんなことを考えながら経営者としての自分をもう一度省みようと改めて思った。 今でもたまに乗るソルテックベトナム創業時に買って2年間毎日従業員と乗り続けたバスでの通勤車中でこれを書けたのはきっと幸運に違いない。

※現在私はEvolable Asia Co.,Ltd.、Soltec Vietnam Company、Soltec Investment Pte.,Ltd.、C2C Pte.,Ltd.の代表を兼務している。

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