◎前編はこちら♪
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一夜明けて、さっそく「お祭りスタイル」に着替えます。初めての「股引き」や「地下足袋」の身に付け方に苦戦しながらも、なんとか完成!
去年は田久保1人(+応援の杉浦・森)だけのちょっと寂しい参加でしたが、今年は高井・田久保・日比野・村山・佐藤・中川(+応援の杉浦親子・森・坂本)の総勢10名での参加!全員キマッてます!
他の町内にサテライトオフィスを出している皆さんともパチリ!徳島県内のサテライトオフィスは、2011年に神山町で第1号が開設されたのを皮切りに、8市町の40社へと広がりを見せています。
お酒をいただきながら、地元の方々と「今日はよろしくお願いします」と乾杯の嵐。(まだ朝9時です。。!)
ホットサンド・おにぎり・おでん・唐揚げ・フライドポテトなどなど・・!地元の皆さんがとっても豪華な朝ごはんを準備してくださっていました!このお祭りは、町全体の協力で成り立っていることを実感した瞬間でした。
日和佐八幡神社の氏子区域14町のうち、いわゆるお神輿のような「ちょうさ」と呼ばれる太鼓屋台は、奥河町・戎町・東町・西新町・本町・桜町・中村町・戎浜の八つ。毎年交代で順番が決まっています。
約1トンの重さがある「ちょうさ」は、50人以上の男性で担ぐのですが、人が足りない町には他の町からサポートが入ります。
「いっさんじゃい(勇んで行け)」の掛け声とともに担ぎ、境内や大浜海岸を練り歩きます。
大浜海岸に出ると、町ごとに設けられた「御旅所」で、宮司さんによるお祓いが行なわれます。
この後は、ついに「お浜出」。「ちょうさ」を担いだまま海に豪快に飛び込んで行きます!
すぐに深くなっているので、ただ前に進むのも必死です。ちょっとでも気を抜いて「ちょうさ」から手を離してしまうと、波にのまれてしまうそうです。。
水を含んだ「ちょうさ」はさらに重くなり、さらに寒さがみんなを苦しめます。。(それはもう見ている側も辛いほどでした。。)
海岸から境内へ戻ってくると、神前に走りながら突っ込んでいき、「さーせーさーせー」の掛け声とともに「ちょうさ」を高く差し上げ神様に敬意を示します。1つ1つの町に向けても、掛け声と共に差し上げて行きます。
朝から夕方まで、何時間もかけてやっとやーっと境内に辿り着きます。みんな海で濡れた身体で寒さに震えながらも、ビールで疲れを癒します!
最後は、またもや乾杯の嵐。(この町の皆さんは、本当にお酒が強い方々ばかり!)真っ白だった地下足袋も泥でグチャグチャになりましたが、これも頑張った証です。
戎町のリーダーを務めていた大城さん兄弟とパチリ。みんなのお兄さんのような存在です。
すべての町の「ちょうさ」が境内に戻ってきた頃には、日も暮れてきて、空が綺麗でした◎
翌日は、朝7〜8時から起き始めて、「おはよう」から始まる1日。お掃除をしたり、荷物をまとめたり、縁側で朝食を食べたり。総勢8人にもなると、たった数日でも一緒に暮らしていると大変でした・・!いつもお世話になっている株式会社あわえの吉田社長も来てくださりました☆
その後、日和佐八幡神社に向かい、後片付けのお手伝いをしました。昨日、海に浸かっているため、すべての紐をほどき、ブルーシートの上に1つ1つ広げて、よく乾かします。
お参りをして、またもや交代交代で運転をしながら、東京に向かいます。
淡路島から兵庫県明石市へ向かう明石海峡大橋は、風がすごくて、6人乗っているハイエースも揺れましたが、瀬戸内海はとっても綺麗でした!
渋谷オフィスに戻ってくると、企画編集部の加藤がピザを準備してくれていて、みんなで3泊4日の旅を振り返りました。ヒトカラメディアが徳島県美波町にサテライトオフィスを設けてから1年ちょっと。だんだんと知り合いも増えてきて、町を歩いていると声をかけていただいたり、地元の皆さんが昔から大切に守り続けてきたお祭りに参加させていただいたり、都市部ではなかなか出来ない体験をたくさんしてきました。特に、去年1人で「ちょうさ」を担いでいた田久保は、今年は5人のメンバーたちと達成感や疲労感を一緒に共有できたことが嬉しそうでした!来年も、また1人でも多くのメンバーとともに、この素晴らしい体験を共有できるように、ヒトカラメンバー一同、頑張ります!