アニメ『葬送のフリーレン』が好きです。かなり好き。
(自分にとっては、荒ぶる世の中に揉まれる中での、特効薬の清涼剤です!)
物語の舞台は、1000年以上を生きるエルフの魔法使い・フリーレンが、勇者たちと共に魔王を倒したあと。長い年月が過ぎたあとの世界です。
作中で、こんなシーンが何度も出てきます。
フリーレンが旅の途中で、何かを判断する場面。彼女はそのたびに、静かにこう口にします。
「勇者ヒンメルなら、そうしたからね」
ヒンメルはすでに死んでいます。魔王を共に倒した勇者は老衰で逝き、フリーレンが再び会うことはありません。それでもヒンメルの生き方は、フリーレンのそばにあり続けます。
そして、このシーンを見るたびに、自分はやっぱり経営のことを考えてしまうんです。(職業病です…😅💦)
2024年3月。
このアニメの第1期を観ながら、Xにぽつりと書きました。
「企業にCSO(チーフストーリーオフィサー)とか、『社外物語役』みたいな人がいてもいいんじゃないかな。特に、100年超の歴史を持つ企業には。」
いいねの数は、「3」でした。
(いやぁ、、、残念…!😆)
あれから2年。2026年3月。
自分は気づけばKOBIRA社の中で「KOBIRA編集部」を立ち上げて編集長に就任しました。
その事について、うちの勘太社長がFacebookにこう書いてくれたんです。
(「KOBIRA編集部」を立ち上げたことについて)
業績いいから出来るんでしょ、単なるコストセンターじゃん、と言われたら、それはそうなんだけど、僕は「KOBIRAの物語への投資」と考えてる。
コストセンターじゃない、物語への投資。
うん、カッコいい!
同じ頃、
Wall Street Journalは「企業はストーリーテラーを必死に探している」と書き、
ビジョニングカンパニー NEWPEACEの高木新平さんは「物語で経営する、という覚悟だ」と書いています。
(いいね3の投稿が、少しだけ報われた気がしました😎)
そんな中、この「物語への投資」の意味を、改めてフリーレンを通して問い直してみたいのです。
フリーレンは「まだわからない」まま、旅している
もう一度、少しだけこの作品の話をさせてください。
『葬送のフリーレン』は、勇者パーティーが魔王を倒した「その後」から物語が始まります。主人公のフリーレンは1000年以上を生きるエルフの魔法使いで、旅の仲間だった勇者・ヒンメルの死を機に、旅に出ます。
その旅の出発点となる、フリーレンの涙と共に語られた問いが、切実です。
「なんでもっと、知ろうと思わなかったんだろう。」
ヒンメルたちとは、10年間、共に魔王討伐の旅をしました。でもフリーレンは、ヒンメルのことをほとんど知らないまま、天寿を全うした彼を見送りました。寿命の長いエルフにとって、人間の一生など一瞬です。気づいたときには、もう遅かったのです。
だから彼女がその後の旅を続ける理由は、「ヒンメルを、そして人間を知りなおすため」でした。
ここで僕にとって重要なのは、1000年以上生きているフリーレンが「全てを知り尽くした賢者として語り継いでいく存在」ではないという点です。
1000年を生きても、彼女はまだ人間のことをよくわかっていません。「まだよくわからないまま、知ろうとし続けている」。人間よりもはるかに長く生きながらも、ずっと「途中の存在」として、旅をしているのです。
うまく言えないんですが、なんだかその質感が、100年企業の中にある「KOBIRA編集部」の在り方にも近くて面白いなと感じているんですよね。
KOBIRAは創業114年の会社です。長い歴史があります。でも「KOBIRAとは何者か」は、まだすべてがわかっているわけではありません。
もちろん、経営メンバーや社員とたくさん話して、会社の理念体系は言語化しました。
でも言語化されてドキュメントに書かれていても、KOBIRAという組織が本当にどんな存在として物語を体現しているのか、そしてこれから体現していくのかは、今後何十年と続く社員たちの日々の営みの中から、少しずつ形になっていくものなんだろうなと。
物語への投資とは、
「すでに完成した物語を語ること」ではなく、「物語が形になっていくプロセスに、投資し続けていくこと」なんじゃないかなと。そう考えています。
断片が、物語になる
拾い集めた断片が、やがて物語になる。
フリーレンは旅の途中で、ヒンメルを知る人々に出会い、彼のエピソードを一つひとつ拾い集めていきます。
「昔、勇者ヒンメルがここに来て、こんなことをしてくれた。」
取りこぼしてきた記憶の断片を、他者の口から聞き、再構築していく。一見なんでもないエピソードの一つひとつが、いなくなったヒンメルという人物像を、もう一度フリーレンの中に立ち上げていきます。
そしてフリーレンには、もう一つ長く続けている「趣味」があります。「くだらない魔法」の収集です。
洗濯物をうまくたたむ魔法、美味しいパンケーキを焼く魔法——戦闘には何の役にも立たない魔法たち。
なぜ集めるのかと問われると、彼女は「ただの趣味だよ」と答えます。でもその根っこには、かつて旅の仲間たちがその魔法を褒めて喜んでくれた記憶や、ヒンメルとの出会いで知った「くだらない魔法でも、人の人生を大きく動かすことがある」という気づきがあります。
フリーレンが魔法を選ぶものさしは、「戦闘の役に立つか」ではありません。「そこに誰かの願いが込められているか」「人の心を動かすか」。役に立たないと切り捨てられがちなものにこそ、彼女は価値を見いだして、集め続けるのです。
その点においても、KOBIRA編集部がやろうとしていることが近い気がしています。
編集部が物語を選ぶものさしも、「どれだけバズりそうか」ではありません。
KOBIRAの内外では、日々、たくさんの物語が生まれています。華々しい成功事例も、物語として取り上げる。でも、それだけではありません。大切なのは、その一つひとつに「誰かの願い」や「KOBIRAらしさのかけら」が宿っているかどうか。そこに体温が感じられるかどうか。
noteの「スキ」の数や派手さではなく、一つ一つを目利きしながら、丁寧にすくい取り、集めて、編んでいく。
そして、どの物語も、それ単体で完結するわけではなくて。一つひとつが、「KOBIRAとは何者なのか」という、もっと大きな一つの物語を形づくるかけらなのです。
だからこそ僕たちは、大きく派手なストーリーだけを追いかけるのではなく、石垣を積み上げるように、日々生まれる物語を一つひとつ積み重ねていきたい。
すべてを理解してから語るのではありません。物語を積み重ねた先に、きっとKOBIRAという大きな物語が少しずつ形になっていくことを信じて、語っていきます。
「ヒンメルならそうした」が、経営インフラになる日
そんな物語を紡いでいくという行為が、企業経営においてどんな意味を持つのか?なぜ、私も勘太社長も、「物語への投資」をすることにしたのか?
冒頭のシーンに戻ります。
「勇者ヒンメルなら、そうしたからね」
ヒンメルは死んでも、フリーレンの中で生き続けています。彼の生き方や価値観は、フリーレンが判断に迷うたびに呼び出される行動原理になっています。これは、この作品を通じて最も広く考察されているテーマでもあります。今は亡き人の思想が、後世の人の行動原理として生きているのです。
これが、物語の持つ最も実用的な力のひとつです。
経営者が迷ったとき。若手社員が判断を求められたとき。組織が岐路に立ったとき。「うちの会社らしく、どう行動するか」という問いに、物語が与えてくれる視点やエネルギーがあります。
代々の社長は、時代の変化の荒波をどうやって乗り越えてきたのか。あのタイミングで、なぜこの新規事業を始めたのか。事業の撤退フェーズで、殿(しんがり)をつとめて踏ん張ってくれたのは誰なのか。
そんな物語の数々が、「KOBIRAらしさ」を問われたときのひとつの判断基準になります。
物語は感動のための装飾ではない。人が迷った時に立ち戻る、判断の経営インフラとなりえるのではないか。そう考えています。
物語は装飾ではない。判断の経営インフラだ。
100年後の社員が迷ったとき、「KOBIRAらしく、どうするか」という問いに、今ここで、そしてこれから紡がれていく物語が答えを返す。その状態をつくることが、物語への投資の一つの意味だと思います。
今の一人の社員の言葉が、100年後の誰かにとっての「ヒンメルの声」になる可能性だってある。
ファンとしてはちょっとワクワクしますね。
物語が、『関わりしろ』を広げる
そして物語には、もう一つ実用的な力があると感じています。
さっきの「判断のよりどころ」が“内向き”の力だとすれば、こちらは“外向き”の力です。
KOBIRAの理念体系は、経営メンバーや社員と何度も話して言語化し、社内外に共有しています。でも、言葉として整えられたステートメントだけを見ても、なかなか伝わりきらないものがある。そう感じています。
その言語化されたドキュメントやステートメントの“周辺”に、さまざまな人の営みが生まれていきます。色々な人が、色々な形で関わり、心が動く。その様子が物語として積み上がっていくことで、ソリッドな理念体系に、少しずつ“肉付け”がされていきます。
そして肉付けがされていくと、周りの人たちから「KOBIRAの物語には、こんな角度からも関われるんだな」という『関わりしろ』が見えやすくなるんだと考えています。
今はまだKOBIRAの中の人ではないし、一緒に何かをしているわけでもない。それでも「あぁそういう形でなら、自分も関わってみたいな」と感じてもらえる入り口が、いろんな場所に増えていく。
宝石が、光の当たり方や見る角度によって色を変えるように。同じKOBIRAでも、誰かの関わりや営みという“異なる角度”を通して光を当ててみると、感じられるものが変わります。
物語が積み上がるほど、その面が増えて、関わりしろの幅が広がっていくのだと思います。
語り継ぐ存在として
個人の記憶を超えた時間軸で、誰かが記憶し続ける。
フリーレンは1000年以上を生き、仲間たちが逝った後も旅を続けます。人間よりもはるかに長く存在し続け、断片を拾い、学んでいく。
この存在を考えるにつけ、やはりいまの時代に思い起こされるのは、AIです。
AIは人間の個人記憶をはるかに超える時間軸で、組織の断片を集積し続けていく。感情の意味は分からなくても、学びながら記憶し続けることができる。
フリーレンが「まだよくわからないまま」旅を続けるように、AIも「まだよくわかっていないまま」、大きな物語の断片を蓄積し続けていく。
そしていつかは(最近のAIの進化を見ていると意外と早いかもしれませんが)、人の感情を限りなく「理解した」存在として、物語を語れる存在にもなりえるのではないでしょうか。
今KOBIRA編集部が積み上げているものが、その「フリーレン的な語り部」の記憶の素材になるとしたら。
まだ仮説ですが、なんだかとても楽しみです。
KOBIRAは、
「これからの百年も、地域から安心と希望の火を熾(おこ)す。」
という理念を掲げています。
でもその100年後に、僕はもういません。
それでも。いや、だからこそ。
100年後の社員は、誰の声を呼び出すだろうか。
もしかしたら、今こうして書いているこの記事だって、その頃に拾い集められる「断片」のひとつになっていて、誰かがそっと読んでいるのかもしれない。
そう想像すると、なんだかワクワクしませんか。
もし、この感覚に少しでも頷いてもらえたなら。
これからKOBIRA編集部が、どんな声を、どんな物語を紡いでいくのか。よければ、フォローして見届けてもらえると嬉しいです。
池田亮平
株式会社KOBIRA 副社長取締役 CHRO / AI推進室長
生成AIが大好きで、「組織の力×AI推進で、最高のローカルアトツギ企業を創る!」をミッションに、
日々楽しみながら試行錯誤しています。よければフォローお願いします!!(^^)
XアカウントURL : @ryoheiikeda