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3.11 私が思うこと。10年経ったあの日を思い出す。私の一つのキッカケになったこと。

2011年3月11日
大きな地震と大津波が東日本大震災を襲う。

当時、私は高校3年になる前、部活(水泳)をしており、大きく揺れ、何事やろうって思った。
東北で地震が起きたみたいだと
まだこの時は何もわかっていなくて・・

でも、家に帰ると見たことのない映像が映っていて、
大きな衝撃を受けたのを今でも思い出す。

大変なことが日本で起こっている・・・

今できることは何かを考えて、校長先生のもとへ。

『募金活動をさせてください』と。

校長先生が了承してくれて、1人で校門の前に立ち、募金活動を行った

3日間で30万円をあつめることができた。

日本赤十字社を通して寄付をした。

まだ未成年だった私は現地にいくことができなかった。
受け入れ体制もまだだった。


大学生になり、ようやく東北へ。

初めての東北はボランティアのバスツアーでいった。

1年と半年が過ぎていた頃で、街の様子を見て言葉を失った
まだまだがれきがあちらこちらに、壊れた車が山積みに
街であったところがもうなにもない。

あの光景が今でも鮮明によみがえってくる。

ことばがでてこない。
ただ涙だけが止まらなかった

そこからサークルでボランティア企画を立て仲間を連れていったり、
実際に空いた仮説住宅で寝泊まりしてボランティア活動を行ったり、一人でも行ったり、大阪で東北大震災の写真展などを企画開催したりと様々な形で携わることができた。

がれき撤去から様々ものがでてくる。
この写真はこのCDは、このランドセルは・・・
仮説住宅のリアル・・・人の悲しみ、子どもたちの心・・・
とてつもない避難生活、震災自殺、地震当日のこと

テレビや新聞からは教えてくれないリアルな東北も知った。

出会う被災された方々、ひとりひとりが

”命は大切。
自分の命大事にしてください、
大事な人に想っていることがあるのであれば
伝えてください。ありがとう、ごめんなさい、愛している。
別れるときは思いっきりばいばいしてください。
津波があったらとにかく、高いところに逃げてください。”

これを心の中で大事にしている。

出会うひとりひとりがあたたかい。

ボランティア活動をする中で、やはり国から大きなところから動かすのは無理だと気づき、
そこから、まずは地域や人、コミュニティへの想いがますます強くなった私。

生きる希望を失った人たち
子どもたちや大人たちの心にとてつもなく空いた大きな穴
一つの光となれるようになりたいとまた思った。

10年経った今、
当たり前なことだと思っていても実は当たり前ではない。
何が起きるか分からないからこそ、1日1日を大切にして
生きて、感謝を大切に、命を大切にして、

自分の夢である「たくさんの人に勇気と希望を与えられる人になる」
そのために「子どもたちの将来の可能性のトビラを創ってあげたり、
生きる希望を失った人たちの光になれるよう」
精一杯、私も生きたいと思う。
必ず夢を叶える。

まだまだ書きたいことがあるけど、この辺で・・・


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