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4年伸び悩み、売上と社員の大半を失った。そんな日々が今、ナイモノの挑戦を支えてくれている。

※2019年当時の記事です


2019年、5月に6期目を終え、株式会社ナイモノはおかげさまで、7期目を迎えることができました。

「ナイモノって何?」という方がほとんどだと思いますので、最初にちょっと紹介させてください。ナイモノは企業の新卒・中途採用支援、学生の就活支援を行なっている会社で、2年前からは「ジョーカツ」という新サービスに注力しています。

「ジョーカツ」は、上京就活に挑戦したい地方の就活生と、首都圏の成長優良企業のマッチングサービスです。

ジョーカツのWEBサイト

資金不足や情報不足というハンディを抱えた地方学生に、完全無料のシェアハウスや交通費を支給することにより、首都圏の成長企業との出会いを提供しています。

ジョーカツのサービス開始から2年が経ち、現在、ナイモノらしく日々挑戦することができています。ですが、ジョーカツを始まるまでの道のりは、決して前向きなものではありませんでした。

今振り返ってあらためて思うのは、

くすぶって、失って、本当に始まることができた

ということ。

悶々と伸び悩むだけの日々があり、一歩を踏み出すために失ったものも多くありました。でもそうして進んできたからこそ、今この場所に立つことができています。苦い経験は良薬となり、今の僕とナイモノを力強く支えてくれています。

7期目という節目に感謝を込めて、ナイモノのこれまでを振り返ってみました。


雑居ビルの小さな一室から

ナイモノは2013年、神田のビルの一室から始まりました。

僕にとって起業は高校生の頃からの夢でした。前職の営業コンサルティング会社には育てていただいた恩があり、また「独立するなら必ず誠実なやり方で」と考えていたため、事業譲渡を受ける形で独立しました。(現在では前職の会社に、お客様としてジョーカツを利用いただいています。)

共に仕事をしていたメンバーもついてきてくれ、僕を含め4名でスタートを切りました。創業当時の懐かしい写真です。

うち2名は現在もナイモノで働いてくれていて、もう1名は、地元福島で子育てと仕事を両立し充実した日々を送っていると聞いています。

神田の雑居ビルのこぢんまりとした一室で、今思えば「会社」というよりも、「代表の霜田と愉快な仲間たち」という光景でした。でも当時は喜び半分、不安半分で「僕たち、会社っぽくやれているよね?!」と思いながらやっていました。

当時の仕事風景

既存の採用アウトソーシング業務を粛々とこなしながら、「いつか世の中にまだナイモノ、新しい価値を生み出すような仕事をするんだ」という気持ちを漠然と握りしめていました。


くすぶり

そうして数年が過ぎましたが、実は当初から、「売り上げの多くを顧客のうちの一社に依存している」という問題を抱えていました。前職の会社から事業譲渡を受けた一社の売り上げが、全社売上の65%をも占めていました。
さらにその会社で社員を数名から1,000名に増やす採用拡大に付きっ切りで、新規顧客の開拓や社員の育成ができずにいました。利益は出ていたものの、逆に言えば利益が出ているだけ、という状態が続きました。

また、より本質的な問題として、「世の中にナイモノをつくりたくて会社を始めたのに、アルモノしかやっていない」ということがありました。

新規サービスを生み出すベンチャー企業ではなく、下請けの中小企業になっていました。しかも売り上げの半分以上を1社に依存していたので、実質子会社のような有様でした。

そんな現状を「いつか変えなくては」と、ずっと思っていました。

もともとやっていた採用アウトソーシング分野を伸ばそうと新規メンバーを迎えて奮闘しました。でも、結果は出ませんでした。今考えれば、ナイモノなんていう謎の社名の、知名度のない小さな会社にお客さんが発注する理由はないとわかります。

かと思えば、まったく自分たちの得意分野ではないラーメン屋を出店してみたこともありました。

実際に提供していたラーメン

試行錯誤と迷走の日々が続き、会社として伸び悩んだまま、気づけば3期目を迎えていました。


届かない理想

これは、創業当時のホームページです。

この頃はまだ言葉が漠然としていますが、そもそも「世の中にナイモノを生み出したい」という思いの元を辿ると、

「バクハツ」のそばにいたい

という気持ちがあります。

世の中の商品やサービスが一気に伸び、広がっていくときに生じる、一つの星が誕生するかのようなバクハツ。採用を通じて、そんなバクハツのそばで黒子として働けたら、きっと濃密な時間を過ごせるに違いない。

そして、そんなバクハツを起こすのはいつだって「挑戦者」です。僕は昔から、成功者よりも挑戦者の姿に強く惹かれてきました。今まさに挑戦しようとしている人。挑戦したいのに、何かの障壁に阻まれている人。そんな挑戦者たちに、翼を届けるような事業ができれば素敵だし、わくわくするし、とても嬉しい。

ここまで明確に言語化できるようになったのはここ数年のことですが、そんな思いを昔からずっと抱いています。

現在のホームページ

でも、ナイモノを立ち上げて3年目の僕は、そんな思いとは遠くかけ離れたところにいました。
毎日もどかしさが募るだけで、出口はまったく見えませんでした。


最悪の転機

そんなもやもやを抱えて3期目を迎えてすぐ、売り上げの多くを依存していた取引先の担当責任者が変わりました。ここから、ナイモノの運命は動きはじめました。

言ってしまえば、大変辛い日々でした。
それまでされたことがなかったような要求が重ねられ、サービス利用料の支払いを止められてしまったこともありました。その会社を担当していた社員からは、「もうこれ以上はお応えできる自信がない」と暗い表情で相談されるようになりました。

先方の担当責任者の方にはその方なりの正義があり、その正義に対して、僕たちでは力不足だったのだと思います。
しかし、日に日に疲弊していく社員を見るにつけ、「こんな状態を長引かせてはいけない」ということも明らかでした。

それでも、その会社との取引がなくなれば売上の半分以上を失うこと。その会社の採用をずっと担ってきたという自負や、愛着。社長をはじめ、その会社の方々に育ててもらったという恩。そんな事実や思いに引きずられ、数ヶ月は耐え忍んで仕事を続けました。

取引を続けるべきか、何度も社員と話し合いを重ねました。そのうち僕自身も体調を崩し、僕の精神状態がおかしくなっていることを察知した妻から、取引をやめてくれと泣かれたこともありました。

結局、その年の採用時期が終わるまでは何とか耐えたものの、「来年はもう続けられない」という決断を社員たちと下しました。
そうして4期目の冬にその会社との取引を終了とし、ナイモノは売り上げの65%を失うことになりました。

一歩を踏み出す

取引を終了するまでの数ヶ月間は、売り上げの多くを失ってしまうという事実が重く重くのしかかっていました。しかし不思議と、取引を終えると決めてしまってから気持ちが吹っ切れ、社員たちもほっとして見えました。

社員が疲弊していくのを目の当たりにし、自分自身もギリギリ。そんな数ヶ月を過ごしながらグラグラと心に沸き立っていたのは、「こんな未来を思い描いて会社をつくったわけじゃない」という思いでした。

では本当は、どんな未来を思い描いていたのか。

ナイモノの今のホームページに、「解決策をプロデュースする」という言葉があります。

これは、僕のお節介気質なところを表したものです。目の前に幸せそうでなかったり、何かにつまずいている人がいると、ついつい一緒に解決策を考えたくなってしまう。もっと簡単に言うと、「人に幸せになってほしい」。それに尽きます。

それはもちろんお客さんや社会に対してもそうですし、大前提として、社員に対してもそうです。社員が幸せになれない仕事なら、収益が出るとしてもやる意味はない。収益はもちろん大切ですが、事業をする目的は収益のためだけでなく、関わる人すべてが幸せになるためです。

世の中にナイモノを生み出したい。

バクハツのそばにいたい。

挑戦者に翼を届けるような事業をやりたい。

社員に、お客さんに、関わるすべての人に幸せになってほしい。

伸び悩み続けた4年間と、売り上げの半分以上を手放すに至ったギリギリの数ヶ月。くすぶって、あげく失ってと、けっして楽しい日々ではありませんでした。でもおかげで、はっきりと自分の思いを見つめ直すことができました。

それらの思いが、僕の背中を押してくれました。

自社サービスをやろう。

新規事業を始めて、ナイモノらしく挑戦したい。

ナイモノらしく挑戦することで、世の中に正しく貢献したい。

何か具体的な案があったわけではありませんが、それまでのことに強くうながされ、そう覚悟を決めました。
これが、ジョーカツ立ち上げの1年前のことでした。


急激な変化

そこから半年間、僕の思いや会社理念をもう一度練り直しました。何を、どんなことをやっていきたいのか。どんなメンバーに仲間になってもらいたいのか。ひたすら考え、新規事業の構想のために奔走しました。

一つ幸運だったのは、それまでの4年間で財務基盤をしっかりと整えていたこと。
1社に売り上げを依存しているリスクを自覚していたぶん、会社の純資産は積み上げられていました。売上の半分以上を失って背水の陣ではありましたが、お金を貯めてきたぶん少しばかり、時間という余裕がありました。もちろん、上手くいかなければ確実に減っていくのですが……。
でもこの、財務基盤がしっかりしているという点は、今でもナイモノの強みの一つです。

そして8月のある日、ジョーカツの構想を思いつきます。ジャンプ株式会社代表の増渕さんのお力を借りながらその日に一気にブレストし、そこからは毎週、実現に向け打ち合わせを重ねました。3ヶ月後にはテストサイトをリリースし、翌年2月にはサービス開始に漕ぎ着けました。それはそれは、めまぐるしい変化でした。

当時のテストサイトページ

社員から「霜田さんは周囲の人を巻き込みながら進んでいく台風の目みたい」「ブルドーザーみたい」なんて言われることもありますが、思いつき、考え、実行していく時のスピード感は、僕らしさであり、ナイモノらしさだと思っています。

また、急激な変化はジョーカツ立ち上げだけではなく、同時並行で、オフィス移転も決行しました。売上が大きく減り、次の方針が定まっていない中で移転したのは、「これから本当にナイモノらしく挑戦していくんだ」という覚悟と、予感、そして自分を奮い立たせるための一手でした。

地下1階のオフィススペース

最初はビルの地下1階のみを借りる予定でしたが、ジョーカツの構想を詰めていくにつれイベントスペースや面談スペースが必要だということになり、ビルの1階も借りることになりました。(1階部分は、高校の同級生がデザインしてくれました。)

1階のイベントスペース

こう書くと、すべてが前向きに進んだように見えるかもしれませんが、新しいことを始めようとがむしゃらに一歩目を踏み出した結果、あらたに失ったものもありました。売り上げよりも、ずっとずっと大きなものです。

移転を終え、ジョーカツのサービスが本格的に始まるまでの数ヶ月の間に、古株の2名を残し、それまで一緒にやってきてくれた社員が全員、ナイモノから去っていきました。


失いながら、始まった

「○○さんも辞めなくて大丈夫なんですか?」
後日、辞めていった社員の一人がそう言い残していったことを伝え聞きました。経営者としての至らなさを痛感しました。売り上げを支えていた取引がなくなり、あとに引けない中で、僕の焦りが伝わってしまっていたのでしょう。

この頃のナイモノは会社としてのフェーズが一瞬で変わり、ものすごいスピードで色々なことが起こっていきました。新しいことを手探りで始めたぶん、それまでなかったトラブルや失敗、朝令暮改もありました。僕自身からしてもあまりにめまぐるしい変化で、彼らが乖離を感じたのは当然のことでした。本当に申し訳なかったと思います。
今でも、彼らにとても感謝しています。彼らがいなければ絶対に、あの時期を乗り越えることはできませんでした。彼らを失う結果になってしまったことは、僕にとってひとつの戒めです。

そんな出来事がありつつ、サービス開始に至ったジョーカツ。はじめは、誰も期待していませんでした。
2017年の11月にテストサイトをリリースしても、学生さんの登録がなかなか増えず、社員たちはみんな「本当に学生さん来るの?」と半信半疑。

僕だけが信じていて、「絶対にこれはくる。絶対にくるから」と言い続けていました。これまでお客様の採用支援で地方をずっと回ってきた経験から、このサービスを必要としている層は絶対にいる。学生側も、企業側も、絶対に喜んでくれるはずだ。そう確信していました。

ジョーカツの利用をお願いしに大学を回ったり、アイセックなどの学生団体に積極的にアプローチしたりと、全国を駆けずり回っていました。この時のご縁で、アイセック出身の学生が現在もインターンとして活躍してくれています。

インターン生たち。真ん中がアイセック出身の塩澤くん

そして2月半ば、大学の授業が終わるそのタイミングで、学生さんからの登録が一気に押し寄せました。登録数は日々数十名単位で増えていき、ありがたいことに、その年の学生登録数は4,500人に登りました。


ジョーカツというバクハツ

そこからなだれ込むように、ジョーカツ1年目が始まりました。日々学生の登録が増えていき、でも新たに入社してくれたキャリアアドバイザーは2名。

急遽、経験者3名に業務委託で入ってもらい、体勢を保ちました。現場を彼らに任せ、僕自身は企業開拓のために1日6社を訪問する日々が続きました。

そうこうするうち、次は夏のイベントに向けて慌ててページを立ち上げ、8月には次の年に向けたスタートアップイベントを開催。夏に採用活動をするのは初めてでまったくの手探りでしたが、蓋を開けてみれば優秀な学生さんが各地から集まってきてくれました。

今年のイベントページはこちら

学生さんからは「今ここに集まっている私たちは、地方就活生のうちのほんの一部。なんの情報もなくても飛び込んでくるようなチャレンジ精神にあふれている層です。ジョーカツは情報が少なすぎて、ぶっちゃけ怪しく見えてます」いう声を多数いただきました。それからは、ホームページやSNSなどでの情報充実にも注力しました。社員だけでなく、インターン生もたくさん活躍してくれました。

インターン生たち

自社サービスが出来上がっていくのを実感するとともに、会社が大きくなっていく未来が見え始めました。ならば、中途採用はもちろん、せっかくなので新卒を入れ、思いを共にして組織を大きく育てていきたい。そう考え、4名の新卒一期生の採用に踏み切りました。うち3名は、ジョーカツ利用生でした。
そして10月には内定者やインターン生も一緒に、ナイモノ初の社員旅行石垣島へ。

あっというまにジョーカツ2年目が始まり、4月には新卒4名が入社。昨年は5名だったナイモノのメンバーは、15名ほどに増えました。

そして先日。2019年5月に会社が6期目を終えました。設立後3年間は10社程度だった取引先が300社を超え、売り上げも過去最高となりました。同時に、ジョーカツが0→1に育ちきったことを感じられました。

目まぐるしすぎて、振り返る余裕がないままここまで来ましたが、この2年間は確かに「世の中にナイモノを生み出している」という実感がありました。ナイモノ自身がジョーカツというバクハツに向け、一歩目を踏み出すことができました。上京を志す地方学生や、成長中の優良企業という挑戦者の方々に、翼を届けることができました。忙しさもありつつ、社員たちは生き生きとした顔で仕事をしてくれています。

ようやく、思い描いていた未来の入り口に立つことができました。

ナイモノはここからさらに、
世の中にナイモノを生み出し、
あらゆるバクハツのそばで、
あらゆる挑戦者に翼を届けていきます。

人の幸せを本気で願う愛を持って、解決策をプロデュースしていきます。

(これはちょっと自慢なのですが、ナイモノのロゴには愛―ai―という字が込められています。)


これからのナイモノ

これを書いている今も、つい数日前に弊社の内定を承諾してくれた学生さん数名が、オフィスに来てくれています。今いるナイモノのメンバーたちと、来年入社予定の学生さんが並んでいる光景は、とても嬉しいものです。

長くなりましたが最後に少し、これからの話をさせて下さい。ジョーカツは0→1を終え、次は1→10を目指して、もっとよいサービスにしていきたいと思っています。新たに場所を借りて地方から出てきた学生さんが休めるようなスペースを作ったり、新卒だけでなく中途や第二新卒へのサービス拡大も考えています。

そしてこれまでと大きく違うのは、組織をしっかりと育てていくフェーズに入ったこと。思いを共にしてくれる素敵な仲間を増やすことに、これまで以上に注力したいと思っています。


思えば、取引をやめると決めたあの瞬間が、ナイモノの挑戦の本当の始まりでした。担当責任者が変わり、当時は大変な日々でしたが、今では感謝しています。あのきっかけがなければ、今でもズルズルと受注された仕事だけをやっていたかもしれません。

くすぶっていた数年間に味わった、じりじりとした気持ち。そして、売上を失い、社員を失いました。今思い出しても苦い気持ちになりますが、伸び悩んで始まりもしない状況や、失うことを身をもって知っているからこそ、ナイモノには本気の愛と強さが息づいていると信じています。挑戦について、そして幸せについて、僕を含めた社員それぞれが、それぞれの暖かさで本気になれる。そう信じています。

社員がナイモノの魅力としてよくあげてくれることの一つに、「色々な人がいて、みんなが自由で、なのにアットホーム」というものがあります。
本気で、自由で、あたたかい。
7期を迎えた節目にこれまでのことを長々と書き綴りましたが、そんなナイモノという会社のこれからを、とても楽しみに思っています。

思いの丈がつのって、ついつい長くなってしまいました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

ナイモノでは次の挑戦に向け、思いを共にしてくれる仲間を募集しています。

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