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中学3年生の時に筆箱すら持っていなかった私が、コベツバのMgrになるまで


「小さい頃からの仲間はヤンキーも多く、気がつけば自分もいっぱしのヤンキーになっていました。」

マサカツ「まずは、簡単に自己紹介をお願い致します。」

ガンジー「ビジネス総合職で、コンテンツリリースグループとカスタマーサポートグループのMgrを兼務していますガンジーです。2022年12月現在で27歳になります。」

マサカツ「まず、本名は何というのでしょうか?」

ガンジー「笑。渡邉元士(ガンジ)が本名で、昔からガンジーと呼ばれています。」

マサカツ「ありがとうございます。まず、ガンジーの中学校の頃からについて、教えてください。」

ガンジー「はい。尼崎という関西の中でも治安の悪い地域で、生まれ育ちました。小さい頃からの仲間はヤンキーも多く、気がつけば自分もいっぱしのヤンキーになっていました。学校をサボったり、深夜にバイクを走らせたり、万引きしたり、していました。」

マサカツ「なるほど。そんなコミュニティにいたら、そのままギャングの道に入ってく人も多いと思うのですが、どうやってそこから出てきたのでしょうか?」

ガンジー「あるきっかけで、そのコミュニティの仲間のヤンキーとタイマン(1 on 1のケンカのこと)を張ることになりました。結果、高架下でボコボコにされて、歩けないぐらいになりました。その後、コミュニティから完全にハブられる形となり、出て行かざるを得ない状況になりました。その後も自宅まで金属バットを持って来たり、待ち伏せされたりなど、ありました。」

マサカツ「ずっと所属し続けてきたコミュニティから排除された訳ですね。その後、どうなっていったのでしょうか?」

ガンジー「はい。今から思えば、その時には居場所が欲しかったことも動機になっていたのだと思いますが、まずバスケットボールの部活にコミットするようになりました。引退まで残り半年しかなかったものの、人一倍努力して総体ではチームの合意を得て、スタメンで起用されるところまで行きました。」

マサカツ「ヤンキーから足を洗ってすぐにバスケットボール部では受け入れられたのでしょうか?」

ガンジー「いや、そんなことはなく、かなり受け入れられるまで時間はかかりました。私自身も部に受け入れられるように頑張りましたが、部活の顧問の先生が私にかなり協力してくれました。殻に閉じこもっていた自分の心を開いたり、感じ取ったりしてくれました。他にも、ヤンキーの元の仲間がバスケ部に来て嫌がらせにも来ましたが、先生が守ってくれたり、部活後も家まで送り届けてくれたりしてくれました。そんな何もない自分に対して助けてくれたことには、今でも本当に感謝しています。」

「初めて塾に行った時まで自分の筆箱すらありませんでした。」

マサカツ「素晴らしい先生に出会えてましたね。それでは、部活引退後はどう過ごされたのでしょうか?」

ガンジー「はい、部活の引退後は友人の紹介で、生まれて初めて塾というところに行きました。」

マサカツ「それまで勉強らしい勉強はしたことがありましたか?」

ガンジー「全くなかったです。授業中も先生の話をまともに聞くことは小学校の高学年以降なかったですし、テスト勉強もしたことなく、いつも丸腰で受けていました。今から思えば、笑い話ですが、初めて塾に行った時まで自分の筆箱すらありませんでした。笑」

マサカツ「それは買ってもらわなかったとかではなく、使わなかったら勝手にどこか行って失っていたという認識で良いですか?」

ガンジー「はい。小学生ぐらいの頃に母親に買ってもらったものがありましたが、あまりにも使う機会がなかったのでいつの間にかなくなっていました。テストで必要な筆記用具がない場合は、鉛筆を友人に借りるか、ひどい場合は筆記用具なしでテスト時間中、ずっとボーッとしていました。」

「最下位レベルだったところから、たった一ヶ月で200人ぐらい一気に抜いて50番ぐらいまで上がることができました。」

マサカツ「それは、すさまじいですね。。そんな中で例え友人の紹介であっても、いきなり塾に行って継続できたものなのでしょうか?」

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