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【森の国住人インタビュー】SELVAGGIO料理長のゆうだいさんにインタビューしました!

幼少期から料理人を目指し、料理人一筋で生きて来たSELVAGGIO料理長の北久裕大(きたくゆうだい)さん。1年前に松野町へやって来て、生産者さんや地元の方々みんなから愛される料理長。地元の美味しい食材について理解を深めながら、お客様に届けるために、今も生産者さんの元へ毎週のように足を運ぶ。

彼の料理人としての半生について、インタビューをしました!


幼稚園の頃から料理人になりたかったと聞きましたが、どんなことがきっかけだったのですか?

最初は、パン屋さんになりたかったんですよね。小さい子供にとって、深夜の時間、寝てる時間って未知数じゃないですか。どこかでパン屋さんは夜中の2時に起きて、仕事に行って3時頃からパンを焼いているということを知って、なんでそんな夜中に仕事をしているんだ?と思って。
そんな面白い時間に仕事ができるなんてやってみたい、パン屋さんになりたいと幼稚園年長の時から言っていたんです。

そこから料理人を目指し始めたのはどうしてですか?

父が料理人なんですけど、父は毎日朝6時に家出て、帰ってくるのが夜12時過ぎ。家出る時間も帰る時間も遅かったんです。休みの日も小学校から帰ってきて遊んでもらいたくても疲れて寝ちゃっていたりして。子供と遊んでる余裕がないくらい仕事漬けの人で、色々なことをやって構ってもらおうをしたんですけど、なかなか構ってもらえず。

「俺この人にどうやって振り向いてもらえるかな」って考えていて。

そんな時、「料理人になる、っていったらこの人見てくれるかもしれない」と思い、料理人になると言ったんです。それでちょっと親父に振り向いてもらって。

だから最初は料理人になりたかったというよりかは、親父に振り向いて欲しかっただけだったんです。

片思いみたいな感じですね。涙

そうそう。笑 それが小学校低学年の頃で、それからずーっと料理人志望。野球をやっていたんですけど、プロ野球選手になりたいと思ったことは一度もなかったんです。笑

で、高校は調理科で調理師免許を取れるところに通ったのですが、もうちょっと勉強したくて、卒業後実習メインの調理師学校に1年間通ったんです。そこはイタリア料理とフランス料理の実習がメインの学校で、外部から有名シェフをお招きして、ひたすらイタリア料理とフランス料理を学び、料理の技術を習得しました。イタリアンかフレンチの2択の中で、性格的にフレンチではなく、みんなで楽しく大皿を食べるような、イタリアンに向いていると感じていたので、イタリアンの道に進みました。

だからもうずっと、料理以外でやりたいこともなくて、料理一本で生きてきたんですよね。どこで自分が料理を好きになったのかというのは分からないんです。

作るのは楽しかったので、小学生の時も朝早く起きて、鼻にティッシュ詰めてゴーグルつけて玉ねぎのみじん切りをして、親が起きてくるまでにチャーハン作ったりとかして。笑

すごい小学生ですね。笑 高校卒業後は?

新卒で都内のレストランにピッツァイオーロ(ピッツァ職人)という枠で就職したんです。

就職活動をしている時に、ピッツァイオーロという職種を見つけて、何これ?ってなって実際に食べに行ってみたんです。そしたら窯の前で、すっごい原始的にピッツァを焼いていて。温度計もなく、自分の肌感覚だけで窯の温度を確かめる。鉄の棒1本だけでピッツァを焼く。もう「ザ・職人」というのがすごくカッコよくて。
当時、コックはたくさんいるんですけど、ピッツァイオーロという職種はまだ普及していなかったんですよね。

ピッツァ職人と料理人は別枠なのですね。

料理人とピッツァ職人って全然土俵が違うんです。窯の前はピッツァ職人だけ、厨房は料理人、と完全に分かれていて。だから自分は就職してから鍋も振らないしパスタも作ったことない、ピッツァの専門でやっていました。

都内のレストランを3年くらい勤めた時、父が実家の福岡の方に帰ることになって、会社も退職してそこでお店を開くことになったんです。その時に「裕大もやる?」と誘われて、親父と2人で店を始めたんです。

えぇ、そうだったんですか!!

はい、自分がピッツァやって親父が料理するのを5年弱やっていました。途中から喧嘩ばっかりでしたけどね。それでも、結構黒字で経営できていて、親父が引退するってなった時に、自分が店を切り盛りしていくことも考えたのですが、父が作ってくれたお店でぬくぬくやっていくのも嫌だな、という気持ちもあって、やるならもう一度厳しい環境に入って料理を学びたいと思い、店をしめて東京に帰ってきたんです。

そこで一から料理人を学び直そうとしたわけですね?

実は、料理以外の道を一瞬考えたこともあったんです。料理のことしか考えてこなかったから、料理が無くなったら自分には何が残るんだろう?と思って視野を広げてみたりもしたんですけどね。食材運ぶドライバーとかになればいろんなお店見れるし食材も知れるしいいな〜とかね。笑

都内では結構良い条件、良い待遇で自分を受け入れてくれる会社は何社かあったんですよね。店舗管理責任者とか、料理長とか、上の役職ばかりで。

その時に、オップラ(フィリッポの2号店)の店長さんから急に連絡が来て。全然知り合いでもなかったのですが、もう急に。笑
フィリッポって、ピッツェリア業界でも知らない人はいないくらい有名なお店なので、まさかそこから自分に声がかかるなんて想像もしていなかったんでびっくりしたんです。けど、せっかく直接お声かけいただいたので、断るのも失礼だと思い、まず話を聞きにいったんですよね。最初は話を聞きながら、お店の取り組みのすごさとレベルの高さに圧倒されていてここで働くイメージはつかなくて。

それで、フィリッポで働く時の条件が、下っ端の皿洗いのポジションだったんですよね。それを聞いて、「良い!!!」と思って。もう1回下っ端でできるって幸せだな、と。

話をしていた最後の方に岩澤正和(SELVAGGIO監修、フィリッポオーナーシェフ)さんがやってきたんですが、自分こういうのあんまり信じないんですけど、岩澤さんがすごく大きく見えたんです。体とかではなく、岩澤さん自身が。器のデカさかな、人として大きく見えて。もうどう表現したらいいかわからないですけど「え!?」ってなって。

その時にはもうここで働きたいと思ってて。その後すぐ働かせてください、と言ってフィリッポの下っ端ポジションで働かせてもらえることになったんです。

そして、実際働いてみて・・・?

地獄でした。笑笑笑

笑笑笑

ずっと福岡のぬるま湯状態で働いていたので、もう急に熱湯に入れられた気分で。

レベルが全然違って、食材に関する知識やイタリア料理の歴史に関する知識とか、そう言ったことに関して自分の知識のなさにびっくりして。毎日怒られながら、周りの社員さんが言っている当たり前のことも理解できないことが本当に悔しくて。入ったの失敗だったなと思うくらい厳しすぎて。

それでも、ここで学んだら自分にとって、すごくプラスになるとわかっていたし、逆にこれだけいろいろ教えてもらえるところって他にないな、と思い、何とか頑張っていました。

どのくらいの期間働いていたのですか?

半年くらいオップラ(2号店)で働いて、その後1年くらいフィリッポにいて、こっちにきた感じです。

SELVAGGIOへの配属というのは、宣告されたのですか?

そうです。突如。SELVAGGIOのオープンが決まった時から、「いきたいな〜すごいな〜」という想いはあったのですが、「まだ全然料理の知識もないし、怒られてばっかりだし、皿洗っているだけのやつが行っても何もできないだろうな〜」と自分が選ばれるとは全く思っていなかったのですが、「ゆうだい3ヶ月行ってこい」と宣告され、2ヶ月で料理を叩き込まれて。お肉の焼き方からパスタの作り方までしごいてもらい、東京の家も解約せず、とりあえず3ヶ月分の荷物をもってこっちに来たんです。

それも、オープンする10日前に来たのですが、想像以上に何も進んでいなくて、厨房はもはや倉庫みたいに荷物がただ積み上げられているだけ、当時は料理人も他にいない状態で、生産者さんとのつながりもなく、業者にも挨拶行けていない。仕込みまで10日で終わらせられるのか!?という感じだったんですけどね。

最初は3ヶ月の予定でしたが、今もう1年経ちますよね。

来る前はその予定だったですけど、来てすぐ3ヶ月じゃ終わらないなということは察しました。笑 当時厨房も2人だったし。でも1年2年でもまだ何もできないなと思いました。

1年経ってやっとここの人に心を開いてきてもらっているのに、もし代わって新しい人がきても、農家さんにも失礼だと思う。

なので、無期限でいさせてください、と自分から岩澤さんに話にいきました。

もう東京の家も解約したので、もっとここで頑張りたいです。



東京に戻ることは考えていないのですか?

よく聞かれるんですけどそこを天秤には今かけられなくて。
こっちはこっちでトップでやらせてもらってて、どこまでできるか挑戦をしてみたい反面、自分もまだまだなので東京帰って鬼のような先輩たちに揉まれてどつき回される環境でもやりたいな、という思いもまだあるんですけど。

東京帰るならもうフィリッポしか考えていないです。気持ち悪いですけど、ずっと岩澤さんのそばにいたいんで笑

でも愛媛でフィリッポの子会社の社長になります〜って偉そうなこと言っちゃったんで頑張るしかないですね。

また恋みたいな・・・。笑

笑。正直岩澤さんの元から抜けるという考えはないですね。岩澤さんと一緒に事業をやって世界をみていきたいと思っています。

岩澤さんの魅力ってなんでしょう?

人ったらしですよね。笑 でもすごく与えてくれる人。お金とかではなくて、こういう環境やきっかけを与えてくれたし、ミスしても気にすんな〜って言って許してくれる。

もう全部がすごいっす。見えてる世界が別次元で、追いつきたくても全然3歩追いかけても10歩くらい先に行ってしまって、追いつけないんです。岩澤さんに「ゆうだいずっとついて来て」と言ってもらえるように頑張ります。笑

都市と田舎で違う点はどんなところでしょう?

まず、人が違うので、料理に対する考え方も合わせて変えなきゃと思います。

東京だとある程度尖った料理でも受け入れてもらえるんですが、田舎だとイタリア語並べて自分しか知らない料理つくっても、お客さんから受け入れてもらえない。なので、見慣れない料理名の表記に関しては気にしなきゃと思います。例えばラグーパスタの隣に括弧で(ミートソースパスタ)と入れたり」

愛媛の食材を使ったイタリアの郷土料理とか、新しいことも挑戦したいので、工夫しながらやって行こうと思っています。


従業員の働き方はどうですか?

やっぱりのんびりしていますね。東京の方がバタバタしている。
ここではここに合った、自分が今できるお店作りをしていけたらと思います。

これからどんなレストランを作っていきたいですか?

地元の人に応援されたいですね。地元の方に、サンクレアが入ってよかったねって思われたい。
東京から来た子が頑張っているから、うちも野菜作るのを頑張るって生産者の方に言ってもらえたら嬉しいです。

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