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メディア注目の在宅医療PA®の始まりとは? 気になるヒストリーを徹底解剖!

TEAM BLUE広報部の由井です。
今回はやまと診療所黎明期から活躍しているPAの大先輩 西山さんにインタビューしました!

在宅医療PAができるまでのヒストリーや、「PAとして何ができるか」のお話まで。
西山さんがTEAM BLUE内でどう成長していったのか、気になる方はぜひ最後まで読んでください。

在宅医療PA(以降、PAと表記する)とは?
アメリカの国家資格「PA (Physician Assistant) 制度」を参考に、やまと診療所が独自に作り上げた職種です。
コミュニケーションを通して患者さまやご家族の本音を汲み取り、「その人らしい生き方」を一緒に考え、他事業所と協力しながら在宅での生活を支える“医療人”です。


▼西山(にしやま)
2014年に中途入職。やまと診療所の黎明期に事務員として入職し、一週間後には外勤に出ており、いまの在宅医療PAと似たような業務をしていた。現在は認定PAであり、チームマネジャー。KinKi Kidsが好き。趣味は食べること、笑うこと。お笑い番組を見るのが日課。どんなことがあっても笑えば元気が出ます!

ー前職を辞めて、やまと診療所にきた理由は?

私の時期はちょうど就職氷河期でして……。
100枚以上のエントリーシートを送っては落とされて、ようやく内定を貰えたのは電気屋の一般事務でした。仕事は伝票入力とお茶汲み。「やりがい」はなくて「こなす」日々でした。

やまと診療所を知ったのは、認知症についてネットで調べていた時です。
職場の近くに祖母の家があって、よく遊びに行ってたのですが、どうも最近様子が変だな……と認知症を疑いました。
検索に引っかかったのが、やまと診療所でした。ちょうど事務員の募集があったので、地元だし、「医療業界って安定してそうだな~」と思い、面接を受けに行きました。

面接で印象に残っている言葉やシーンはありますか?

すごく緊張していて何を喋ったのか覚えていない(笑)
二次面接は診療同行という、実際の診療の様子を見学する機会があり、患者さんのご自宅を訪問しました。

末期癌の患者さん(癌が表面に露出している方)を訪問する時、安井先生(現TEAM BLUE代表)から「ここは来なくていいよ」と言われたのですが、その言葉の意味が分からず、「え!? いや、行きますよ!」と追いかけたら、安井先生が驚いた表情で私を二度見していたのを覚えています。
診療後に「さっきの、ビックリしなかったの?」と聞かれて、そこでようやく私を気遣っての言葉だったんだなと気づきました。
その患者さんは出血されていたし、見た目のインパクトも強かったので。

同行の途中、安井先生と駐車場で二人きりになる場面があったのですが……。
安井先生は無言で青空を見上げていて、その姿を見て「ん?! 今、何か試されてる!? 何か言わなきゃかな?」 と焦りましたね。とは言え、質問も思いつかず「空が綺麗ですね」と言ったら「……ん」としか返ってこなくて。
もう無理だ! 落ちたな……と諦めて、安井先生と一緒に青空を眺めたのは今でもはっきりと覚えています。

だからこそ、内定の連絡が来たときは驚きました。
後から内定理由を聞くと、素直さが決め手だったみたいです……。

▼素直さが決め手となった話

二次面接時、髪をハーフアップにしていた西山さん。
汗をかいていたのもあり、髪をまとめなさいと看護師のHさんに注意される。
Hさん「その髪型はだめ! お団子にして」
西山(お団子!? だ、団子なんか結べない…!)
西山「お団子できません!」
Hさん「……やってあげようか?」
西山「お願いしまーす!!」
即座に着席してHさんに頭を差し出す。
Hさん(よし、この子は素直だ。採用!)


ーいつ、事務員から在宅医療PAになったのですか?

何故そうなったかのかは覚えていないのですが、事務員として入った1週間後にはPAになっていました。
正しくは、まだ「在宅医療PA」という職が確立していなかった時代なので、いまと似たような仕事ーー訪問診療についていって、医療器具の準備やカバン持ち、運転等をしていましたね。

入職から1年後に、安井先生から「在宅医療PAってものをつくるけど、やるか?」と言われたのが始まりです。
PAの土台も方針も何もかもがまっさらな状態でしたが、「仕事内容はいまと大して変わらないよ。」と言われたのもあって、二つ返事で受けました。
他事業所との連携がもっといっぱい出来るのかな? 楽しいだろうな~とワクワクしてました!

ー他事業所との連携とはどういうものですか?

他事業所は、ケアマネジャー(以降、CMとする)や訪問看護師・リハビリテーションなど、患者さんに介入する事業所の人たちを指しています。

患者さんの状態報告や今後について話し合い、患者さんにあった生活を整えていくのは面白かったし、専門家(その道のプロ)の人たちと会話ができるようになっていく自分ってスゴいなぁとも思いましたね。ただ、その時はまだ、看護師のHさんに言われたままの言葉をそのまま伝えたり、他事業所の人たちの言葉をHさんに伝えているだけでした。

PAになってから暫くして、とあるCMから叱責されたことがあって……

▼とあるCMとのやり取り①

CM「この人の病気はなに? どういう経過をたどるの?」
西山「先生に確認してきます」
CM「そんな伝書鳩じゃダメでしょ! あなたの意見を言わなくちゃ!」

そのCMが結構厳しくて、色々と鍛えられましたね(笑)
「あ、PAってこういうことか」と気づいたのも、そのCMとのやり取りがキッカケで……

▼とあるCMとのやり取り②

CM「先生じゃなくて、あなたの意見を聞いてるの! パーキンソン病の人がどうなっていくか、分かっているの!?」
西山(今朝、先生がパーキンソン病について教えてくれたばかりだ!)
西山「この後は~~になりますよね。だから、~~の対応とか、手すりが必要になっていくと思います。だけど、この方は~~な性格なので丁寧にお話ししていく必要がありそうです」
CM「……分かってるじゃない。」

西山「O先生! いま、○○さんについて聞かれて答えられました!」
O先生「えー! すごい!! やったねー!」

こうして、その道のプロの方たちと一緒に患者さんについて考えさせてもらえる楽しさ・喜びを覚えていきました。
その時にPAとしての感覚を身につけた気がします。

ーーその人を知り、本人が気づかない問題に気づき先回りする。
他事業所の方と一緒に、その人がその人らしく自宅で過ごせるような環境調整をしていくんだ、PAってこういうことか…! と気づいた瞬間でした。


ーキャリアアップに必要なものを教えてください。

PAには、いくつかの研修やテストがあって、それらをクリアすると認定PAという称号をもらえます。

私の時は「理想のPA像」という発表をして、ようやく認定PAになりました。その発表で、初めて安井先生が泣いている所を見ましたよ。あれ以来、安井先生はよく泣くようになった気がします(笑)

認定PAになる前と後で感じている変化は「相手を主語にする」です。
PAとしてある程度の経験を積んでいくと、患者さんの状況を一目見て、この人はこうした方がいいな、とか。私だったらこうするな。こっちの方が楽だろうな、という風に「自分の良かれ」を押し付けてしまいそうになります。

私も「自分の良かれ」を押し付けてしまったことがあります。
それは、奥さまが認知症の旦那さんを1人で介護しており、いわゆる老老介護をしているお宅でした。周りからすると看護師を入れた方がいいと思う状況で、私から奥さまに訪問看護の導入を勧めました。

▼1人で介護をしたい奥さまの話

奥さま「私ひとりで夫をみる!」
西山「でも、看護師さん入れた方がいいよ!」
訪問看護が介入して、しばらく経った後。訪問看護師から「奥様が言うことを聞かない」との連絡が入る。
西山「どうしたの?」
奥さま「あのね、やっぱり看護師さんは入れたくない。自分の夫だから自分でみたいの。でも、看護師さんにも悪くて…。どうしたらいい?」
西山(私が強引に看護師を入れてしまったために、かえって奥さまの負担をつくってしまった。奥さまは自分が介護をしていることを苦に思っていなかったんだ!)
西山「分かりました。訪問看護を入れるのはやめましょう」

後日、奥さまから感謝の手紙と贈り物を頂きました。
「私の願いを聞いてくれてありがとう」と。
ここまで感謝されるだなんて、私たちの良かれを押し付けてしまったばかりにご主人と過ごす大切な時間に大きなストレスを与えてしまった、と深く反省しました。

奥さまはご主人に対してやってきたことをいつも一生懸命に語ってくださっていました。
「自分の夫を見るのは当たり前。誰の手も借りたくない。2人でここまで生きてきたんだから」と。
どんなに大変でも、奥さまは自分でご主人を最期まで看る覚悟をされていたのです。この夫婦の世界観・価値観があります。

この一件があって「相手を主語に」の意味を理解しました
今までは言葉では分かっていたつもりで、まだ自分の中に落とし込めていなかったのです。
そういう意味で「命の現場」から教わるものは多いです。


ー「命の現場」から教わるものとは、何ですか?

PAとして経験を積んで、できる・わかるが増えました。
ただ「見ているだけ(受け身)」だった自分から、自分が「やる(主体的)」に変わりました。

少し経験を積むと「怖い」が増えました。

知識もなく「何も知らない」私は、何も怖くありませんでした。
その分、何もできませんでした。

例えば、目の前に患者さんが居るとして。

その方がこの先どうなっていくのか。
側にいる家族はどんな状態なのか。
いつ・どんな症状が出てどうなるのか。
残された時間はどれくらいあるのか。 

これらが想像できるようになると、今度は患者さんやご家族とどう向き合っていけばいいのか、を考える必要が出てきます。それが怖かったです。

今まで患者さんの状態変化によって、家族がパニックになってしまうケースを何度も見てきました。
私はそれを「先生が家族に説明しないから。先生がやらないから」と先生のせいにしていました。

そんな時、安井先生から言われたある言葉があって。

▼怖かった西山さんが勇気をもらった話

安井「それは医者がやらなきゃいけないのか。西山は家族がパニックになっていたのを見ていたの?」
西山「見てました。だって……」
安井「その人たちがどんな家族なのか、よく知っているのは西山だろ。西山は何をするんだよ」
西山(家族のパニックをどうおさめたらいいのか分からないし、何を話せばいいのかわからない!)
泣き始める西山さん。
西山「私は看護師のHさんみたいにはできません。怖いです」
安井「誰もHみたいになれなんて言ってない。西山ができることをやればいいんだよ

その言葉を聞いてハッとしました。今まで私は何をしていたのだろう……と! 
そこから「私がやる」と覚悟を決めたのを今でも覚えています。

最初の「怖い」は自分ができない、分からないからくるものでした。
少しずつ勝手が分かるようになってくると、私が言わないと・動かないと、家族が気づかないまま終わってしまう、と気づく場面が増えてきました。

例えば、このご家族の特徴を考えると、もう一度、あのことについて説明をしたほうがいいのではないか、と私が思ったら、先生に相談をして、ご家族へのアプローチを一緒に考えていく。
時として、PAが「医者を動かす」のです。

いま思い返すと、私はPAとして患者さん、ご家族の話を聞く・働きかける存在として育てられたのだと思います。


まとめ

在宅医療PAの成り立ちは意外なものでしたね!
西山さんが壁にぶつかる度に考えて、気づいて実践してきたことが、今のPAに繋がってるんですね。

専門家の方と仕事をしてみたい!
無資格・未経験でも人の支えになりたい!
直接、だれかの役に立つ仕事がしたい!
温かい死を実現させたい!

そんな想いを持っている方はぜひ、TEAM BLUEに話を聞きにきてください!

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