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楊 沛林
楊 沛林
楊 沛林

楊 沛林

Beija Medical Investment Group / Jasmine Dental Center・Marketing Operational Department Directorヤンゴン

楊 沛林

Beija Medical Investment Group / Jasmine Dental Center・Marketing Operational Department Director

国境を超えやすい時代の良さをもっと

トリリンガルの中国人。ミャンマー在住・赴任中。29歳。マーケター。広告・ブランディング・マーケティング全般経験あり。

この先やってみたいこと

未来

日本に移住して新しい人と出会い、新しい環境を知り、新しいチャレンジしたい。

Beija Medical Investment Group3年間

Jasmine Dental Center・Marketing Operational Department Director現在

- 現在

ミャンマー最大の歯科病院(Jasmine Dental Center)にてデジタルマーケティングにはじめ、後々マーケティング部を任され、マーケティング戦略の立案から営業・広告制作およびチームの人事まで幅広く担当させていただいております。

上海狄雀文化伝媒有限会社1年間

「VtB Project」運営部 SNSオペレーター・インフルエンサーマネージャー

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中国の動画サイトbilibiliにて海外進出したい日本・英語圏タレントをサポートし、bilibiliから手数料を貰うというMCN事業「VtB Project」のスタートアップカンパニーに立ち上げメンバーとして参画。

  • 語るだけなどするな、実現するのだ。

    甘い理想主義者たちの物語だった。 この時期、事業に関わる所謂海外タレントサポートMCNというこの界隈、中国ではほとんどの事務所が双方の情報量の違いと情報収集などが困難だというのを背景にし、利益の分け合いは低いのに、低い程度のサポートしかやってくれない。そんなことが当たり前みたいになりきっていた。 それを気に食わなかった知り合いの数人が、理想論でスタートアップをチャレンジした。 「進出に関する必要の情報を量産的感覚でタレントに配布し、大量のタレントを一気にサポートしたら、タレントへの還元率を高くできるし、プラットフォームからの手数料だけで生きていけるはず。利益を少なくしたら数多く売ればいい。」 で、世界はやっぱり理想論だけで動かせるものではないことを学んだ。 スタートアップ経験した人みんな少なからずこういう体験もあったんじゃないかなとは思うけど、当時の私たちにとって結構なショックを受けた。 出資する人、そのお金は結局その人自分の金じゃなくて詐欺半分で騙し騙し使ったものだし、コロナ禍で会社ごと2ヶ月間動けなくなってメンバーの生活に支障が出てくるし、小さい規模の会社なのでプラットフォームからまともに相手してくれないし。 などなどを経験しながらも、そこに何かを残そうとした。 結果、やっぱり動かせる資金も人もなくなると、会社は潰れてしまうんだなと。 が、うちの進出サポート体制そのものはプラットフォーム直接所属するチームが新しくやってくれた。 為そうとしたことが、他所に為された。それを見たら逆に釈然とした。 やりたいこと自体は問題なかった、問題だったのはやり方だったとわかったから。 結局、理想とか夢とか、どう語っても叶えなかったらただの妄想。 語るだけなどするな、実現するのだ。 と、次からはもっと目先のことを考えようと決めて、振り向かずに前へ進んだ。

  • コロナ感染。

    いよいよ中国全土に広がってくるコロナ、うちにまでお届けしてくれた。 最初は一人、一週間後はもう一人、そのすぐ後の私が三人目だった。そして一ヶ月後は一人除いて全員。 病気以外にも社会的管理政策によって出勤できずなど、ワークロス状態となった。

    -
  • 趣味から仕事へ:トリリンガル初体験。

    中国語(同僚の間) 日本語(タレント・連携する会社) 英語(タレント) いつも三つの言語の間に高い頻度で切り替えしていた。日英タレントコラボをサポートしながらプラットフォームと打ち合わせしたり、同僚にサポート要請したりなど、最初の時、前頭葉が燃えてるような感じで頭の中が大混乱だった。 元々趣味であったのといっぱいやったことのおかげで、苦しい楽しい充実だった。 趣味で仕事の輪が広がっていく。

西安寛来和往文化伝媒有限会社4年間

制作編集部 ライター・制作ディレクターアシスタント

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広告代理店でライターとしての務め。

  • 「理」から「文」へ、弁証法的思考の始まり。

    最初は興味はないけどやってみようって軽い気持ちで始めた仕事。結果、論理性と感性の運用をいいバランスで整わせてくれた。 文字や文章をただ自己表現としていい文を書くためのものより、何がどうやって期待されて、誰に向けてなんの目的を持って、どんな感情でどんな情報を伝えるかという、一種のツールとして利用するマインドが、この4年間でしっかりと叩き込められた。 それからは一見には矛盾してるものをより高い視点から見て、それで得たヒントや洞察を、無理だと軽々しく決められたことに前向きにチャレンジし続けるようになってきた。

Hope College2年間

理学部 一般物理科 中退

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不安障害に診断されたため中退となりました。

  • エリート路線から脱落、そして、世界が広がる。

    両親は教師だった。母は専門学校の先生、父は大学の講師で、二人とも子供の教育にいっぱい専念した。 小学校から高校まで、(日本の県的な)陝西省の一番いい学校で成績良かった私を遂にアメリカの大学まで送り出した。 小さい頃から成績しか知らなかった。 それは別に両親が強引にそうさせたのではなく、自分がそれを選んだのだ。なぜなら勝負マニアだった。 いつも他人と成績の競走してて、「次はどうしたらもっと上がれるのか」はもちろん、他にも「どうしたら最小限の努力で彼奴に勝つのか」など効率脳しか出てこない思考ばかりしていた。 勉強するほど、人間は、血肉の機械だと思い込んでいた。 が、薄々と気がしてきたけど、身体が時々ついてこれなくなってきた。 例えば、中学の時に睡眠を犠牲にしてゲームなどやりたい放題やって、翌日も淡々と登校できるんだけど、大学生になってからやりにくくなってきた。 きっと大丈夫だろうって慢心した。 その結果、急に胸が痛くて呼吸困難となってしまったことが日に日に多くなってきた。 何度も病院に行った結果、重度な不安障害で休んだほうがいいよって先生に言われた。 で、不服である私に、一週間後に登校すら困難となり、大学からのメンタルサポートも受けられず、最終的に中退となった。 科学者に憧れていた小さい頃からの夢は、ふと自分を置いて遠くに行った。未来を失ったと感じたその時、初めて絶望という感情を覚えられた。 人間はそんな時に今までの意味を問う。時間からの答えは実存主義的だった。 意味なんてやっていけば勝手にどこかで生み出すんだろう。なんなら、今まで目を背けたもの、見下ろしたもの、理解しようともしていなかったもの、方向性の全く違ったものでも気軽にやっていこうじゃないか。 過去のすべてを失った自分には、これからやったことすべてがもっと先の「未来」に繋がるんだろう。 と、思った瞬間、目に見える世界が広がった。 ここがスタートラインだと思った。そして、今度は人間の「人間らしい部分」もちゃんと取り扱おうと決心した。


スキルと特徴

  • スペシャリストよりのゼネラリスト

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  • 多言語・異文化対応上位者

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  • 広報・PR(5年 ブランディング実績あり)

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  • SNS運用・動画編集(5年)

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  • 広告運用・マーケティング戦略(2年)

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実績


言語

  • 中国語 - ネイティブレベル
  • 英語 - ビジネス会話レベル
  • 日本語 - ビジネス会話レベル

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