「高校生国際みずフォーラム in 湖国・滋賀(International Water Forum:IWF)」を開催
立命館大学 公式Webサイト。受験情報、学部、学科、大学院、就職、学生生活、研究活動紹介。
http://www.ritsumei.jp/pickup/detail_j/topics/5351/date/02/year/2010
自己紹介がとんでもなく長くなってしまったので、ストーリを作成しました。
私の人生は、生まれた時から始まり、幼少期からの経験一つ一つが今の私を形成しています。
本来は第1章から6章まで読んでいただきたいですが、少々量があります。お時間がない方は各章完結型となっていますので、読みたい章から少しづつを読んでいただければと思います。
(最終更新 2019.06.23)
第1章 幼少期: 慎重派から行動派になるまでの軌跡
第2章 中学時代:リケジョ誕生の理由
第3章 高校時代:バトントワリングとサイエンス部の二刀流 努力は実を結ぶ
第4章 大学時代:組織運営は学びの宝庫 多角的視点は活動の源
第5章 社会人時代:臨床研究で得た課題設定力 ✖ ライターで得た表現力=枠にとらわれない課題解決力
第6章 現在~今後:人生における仕事とは何か 価値を作り出せる人になるための次なる一歩を目指して
同級生4人、現在の総人口29人の山間部に生まれ育つ。
学年は関係なし、誰もが主体性を持たないと成り立たない小学校生活で鍛えられた発言力と行動力の基礎を身につけ、真面目で、素直で、賢い良い子として幼少期を過ごす。
教員一家に生まれ、よき長女でいようという気負いや学校での虐めから、小4で拒食症を発症。これを契機、自分の感情に素直になることの重要性を体感。
自己表現をしたいと、ミュージカルに挑戦し小学生から67歳の37名の団員と一緒に、プロの指導のもと講演をおこなったり、同中学で唯一オーストラリアにショートホームステイに行ったりと、慎重派から行動派に転身。悔しい思いもしながらも、一つずつ活動の場を広げていった。
地元の政所小学校。 イワナを人工授精させて育てるという取り組みもしていたことから、別名イワナの跳ねる学校とも呼ばれている。写真は廃校となったのちに開かれた地域のイベントの時のもの。
ミュージカルカンパニークレムス 東近江創作ミュージカル「給食物語」に関する記事
自然と触れ合ったり、両親の持ち帰ったデモ教材で電気回路を組んだりしたことが功を奏したのか、初めての中学の理科のテストで100点をとる。数字が自信につながり、科学に更にハマる。
初めての科学実験は中学2年生。ペットボトルジュースを凍らせたときの濃度勾配に興味を持ち、かき氷シロップで濃度勾配をつけ自宅の冷蔵庫で凝固時間の差を調べたもの。実験系の質の高さと教えていない概念 (凝固点降下) について直感的に言及していたことで先生を驚かせる。
事象を客観的に観察し、仮説をたて、実験をする。科学によって会得した客観性と分析力は一生の宝物。
実家の車庫から撮った景色。草花の知識なら同年代女子の中でトップ10に入る自信あります。笑
同級生が誰も進学しない高校で、新しい挑戦をしたい、科学や表現をしたいと、第二期生として立命館守山高等学校に進学。
バトントワリング部に所属しながらも、オフの時間帯を活用し、スポットでサイテック部の活動にも参加。高1年のクリスマスは筑波大に向かう新幹線の中で、授業前の生物分野について学習。現地では、遺伝について他校のスーパーサイエンスハイスクールのメンバーと共に実験を行い、科学愛と愛しくシロイヌナズナを分析する姿を褒められる。以降もイギリスの高校生と科学実験をするなど、挑戦する気持ちと努力で機会を増やし、学びと出会いを広げていった。
バトントワリング部ではセンスがない分努力するをモットーに活動。チームの中弛み時期も、コツコツ取り組んでいた姿を、いつも怒られていたコーチに褒めていただき大泣き。努力で全て解決できないこともあるけれど、努力をしないと始まらない。チームへの貢献には多様な方法があると学んだ良い思い出。
科学は独学で学べるからと、高3では文理融合クラスを選択し、苦手な語学の学びを増した。部活動引退後は高校生国際みずフォーラムスタッフとして活動するなど、科学を文脈に国際交流を深める。
高校の卒業式の写真 バトン部のみんなと一緒に撮った思い出の一枚
医療と科学に興味があったことから6年制の薬学部に進学。受験歴のない内部進学者は"あほ"だと言われた新歓。悔しさからより一層猛勉強、首席となる。以降も卒業までトップ5以内の成績を維持した。
自治会の役員として、他学部と一緒に施設課題や新入生に対するピア・サポート活動の統括として活動。食施設解決のためのランチストリート導入などに貢献した。他学部や大学職員さんと活動する中で、日々の雑談を通じた背景理解や効率的ミーティングのための目的の明確化について学ぶことができた。
背景の異なる他学部との意見のすり合わせや大学との交渉は慣れないことが多く、苦労した案件。
立場上、先輩方をまとめることもあり、多少のやりずらさも感じましたが、しっかり仕事をこなしたり、然るべき点では頼ったりすることで比較的スムースに運営はできたと思っています。
学外の世界もみたいと、世界の薬学生との繋がりがある日本薬学生連盟のイベントに参加。関西にも活動拠点を作りたいと、仲間を募り団体初めての支部を設立し、初代関西副支部長となる。国際交流部門メンバーとしても活動し、エジプトで行われた世界会議に参加したり、400人以上が参加した薬学生のアジア会議でグループリーダーや、続いて開催された観光ツアーの統括として活動したりするなど、自治会でえた運営スキルを元に活動の舞台を世界に広げていった。
初の関西支部新歓。一関西地域での知名度を上げるきっかけとなった。 現在、九州や東北にも支部が設立され、会員数は950名程となった。
エジプトでの国際会議の一コマ。糖尿病の啓発に関するワークショップの写真
同一のグループが全員エジプト人で、英語で発言しないとエジプト語で会話が始まるという窮地。
拙い英語で必死で交流し、チームリーダーとして発表をすることになる。その後仲良くなりました。笑
APPSに続いて開催したPost Symposium Tour (PST)の一コマ。
学生団体とコラボすることで、八つ橋作りや盆踊り体験を低予算で実現した。
9カ国80名以上が参加、日本大好き~!!最高と評価いただけた企画。
Asia Pacific Pharmaceutical Symposiumに関する記事
平成 26 年度日本政府観光局(JNTO)国際会議誘致・開催貢献賞をいただくことができました。
微力ながら関われたことに感謝。
P4~8にアジアシンポジウムの記事があり、P8にPSTについて記事を書いています。
活動の幅を広げながらも、真面目で厳密なルールを求める殻を破れなかった頃、興味本位で参加した議論のイベントPrsnTで、ギタリスト、経営者、旅人等おもろくてパッションのある素敵な大人達に出会う。その後、G1カレッジに参加し同年代に刺激を受ける。
自分の視野の狭さと、可能性の大きさ、柔軟な考えの数々に影響を受け、柔軟性が格段に増す。
2017年に開催されたG1カレッジの同窓会 みんないい意味で個性的で、刺激もらいました。
PrsnT Kyotoで出会った数々の人生の先輩方には、女性も学生もほぼいない中、活発に発言したこともありよく可愛がっていただきました。大人や生き方に対する見方が変わったきっかけ。
この後、PrsnT in Shigaも数回主催させていただきました。
5,6年生では大好きな科学に真剣に向き合いたい、成果を上げたいと思い、当時一番厳しくて有名だった有機合成のラボに進む。初めての専門的な研究であり、まずは成功の型を学ぶべく、教授が~have toとおっしゃったことは全てmustと捉え実践すると共に、先行例に遵いながら継続的に実証を行なった。結果、配属後1ヶ月という早期の段階で新規化合物の合成・単離に成功、以降苦戦する時期もありながらも、最終的には100名以上いる同学年の薬学部の学生で唯一英語で卒論を提出、イギリスの雑誌に論文も発表した。
大学院進学しなかったこともあり、セカンドオーサーですが、同期が国試勉強始める中最後まで意地でやりきった思い入れ深い研究の一つです。オーバーナイトで合成するぞ!!と言いながら、多々徹夜したのも良い思い出。笑
細かなデーター処理の方法やプレゼンスキルなど応用の効く技術の基礎を学べた場でもありました。
また卒業間近から社会人一年目にかけては、滋賀県庁の職員さんにお声かけいただき、NPOの方とご一緒に、ペチャクチャナイトというプレゼンテーションイベントの滋賀支部を立ち上げ、運営に関わる。
立場や価値観が異なる方々との団体運営は悔しい思いも多数したが、チームで動く際は、目標の設定とそれに対する思いの程度を合わせておくこと、それぞれのCanを明確にすることが重要だと学んだ良い機会でもあった。運営として数多くのエネルギッシュな方に会えたのも嬉しい思い出。
第二回目の番宣用の写真。第一回で司会をしてくださり、第二回でプレゼンターをしてくださったロバートさんとの一コマ。
薬剤師になるかどうかで悩んだ就活時期。業界最先端の場所をみて、そこで努力した上で判断しようと思い、京都大学医学附属病院薬剤部に就職。初の配属先となった部署で得た、薬物血中濃度を元にした投与設計のスキルを生かし、肺移植分野での研究を開始。医療統計を勉強しながら、過去8年間の患者データーを調べ、適切な免疫抑制剤の血中濃度と血中濃度変動要因のを推測。この成果は学会での優秀演題候補ともなり、現在、一つの知見として京都大学での肺移植後の血中濃度投与設計に活用されている。
第27回医療薬学会年会 口頭発表で最優秀演題候補となり、口頭発表に追加しポスターを展示発表した時の写真。また、翌年の第28回医療薬学会年会でもポスター発表をおこないました。
その後は得られた医療統計と問題を研究課題に落とし込む手法を生かし、継続的に研究活動を実施。医師との交流の機会でチャンスを掴み、現在では新たに配属となった脳外科領域で脳腫瘍に関する共同研究を行なっている。なお、新たな研究課題は国の助成対象にもなっている。
日常業務を通じ、新規性があり切実で興味深い課題を見つけ、定量的で構造化された問いに落とし込み検証していく過程は、難しくもあり実に興味深いものである。
また、プライベートで訪れたカンボジアで、街の薬局に訪問し薬剤師の役割や医療情勢についてお話を伺ったり、台湾からの実習生と交流し、互いの医療情勢の話をしたりしするなど、世界の現場の声を聴く機会も継続中。
カンボジアの薬局。アーンコールワットを見にいったのだが、せっかくの機会だと思い街の薬局を訪ねインタビューをして回った。体制を整えるべきではあるが、地域の薬剤師の医療への参画度は見習うべきものがあるなとも感じた機会。(必要に迫られて行っているという背景が強いとは思うが。)
仕事中心であった2年間を終え、研究を継続しつつも余裕が出てきた3年目では、挑戦と実践テーマに活動した。"科学の魅力を世の中にもっと伝えたい!”という想い・発信に共感いただき、株式会社ロフトワーク様ご協力のもと、"はじめてのバイオハック"というイベントを自身で企画・主催。小学生から社会人まで文理問わず多くの人に科学の魅力を伝えることができた。その後、Discovery Channel Japan担当者様にお声がけいただき、ライターとして執筆活動を開始。慣れない執筆活動に戸惑いながらも、ネタの企画・提案・作成までのプロセスを通じ、伝達力を高めることができたと感じている。また、ライターのスキルアップや表現の幅を広めたいという思いから、フリーペーパー/ZINE作成の塾に通い始める。文章・デザイン・写真などを網羅的に学び単独でフリーペーパー作成し、台湾アートブックフェアや芦屋書店で開催されたZINEフェアに出店した。ライターを通じ、文章や物としての表現の面白さに目覚める。
現在は、スポットでライターを続けつつ表現力・継続力・思考力を高めるべく、毎日noteを開始し、日常で感じたことを日々発信している。
レポートにみなさんのDNAを笑顔で見つめる素晴らし写真が多数あるのでぜひ見てください!! 単なる実験ではなく、考察だったり、ユニークさを追求したところがイベントのポイントです。
毎日note更新中。自分の視点から見た日常の出来事やニュースを、エッセイ調だったり評論調だったり様々な表現で伝えています。人生の先輩で友人の舞踏家日置あつしさんと、舞踏家と理系女子の交換日記も始めました。
挑戦と実践はプライベートの枠を超え、仕事にも良い影響を与えている。薬剤師として、脳の障害をもつ患者さんと触れ合う中で課題であったコミュニケーション手法。そこで、ZINE作成で学んだデザインスキルを生かし、副作用モニタリングや生活で必要な13の表現を、言葉を使わずに示せるように、39種類のオリジナル顔文字カードを作成。実際に術後の小児患者さんで活用し、患者さんと医療者のスムースな交流に貢献することがでた。コミュニケーションは看護師さんや言語療法士さんの仕事だから、脳の障害は難しいからという解決出来ない理由を、医療の枠を超えた解決法を持ちることで突破することができた事例である。
作成したプロダクトをデザインコンペに応募しました。入賞はできませんでしたが、考え方だけではなくデザインの基礎を学ぶきっかけにもなった良い機会でした。デザイナーさん尊敬しかない。
自分でも一定何か作れると、表現の幅は格段に上がることも実感。機会を見てデザインの勉強は続けたいなと思っています。
私にとって仕事は、誇りを持って成し遂げるものであり、苦難はあるが苦痛ではないもの、1つの会社や組織だけでするものではなく、日常の延長線上にある自己成長と自己表現のための活動である。
これは教員として日々仕事をこなしながら、週末に勉強会や専門資格の活動をしつつ、地域の組合の仕事や兼業農家としての農作業をしつつ、プライベートでは趣味のDYI(自宅のベッドと机は父作)やトライアスロンを行なっている父や、専門性を高めようと勉強を続ける母、努力と行動を重ねた方面で活動し生業を生み出している友人の影響が大きい。仕事は人生を豊かにするために不可欠なもだと考えている。
今の仕事はやりがいはあるが、一方で、現在の業界で得られるスキルや、現在の延長線上の自分の将来性に限界を感じている。私は今後のキャリアを考える上で、専門性を持ちながらも、新しい価値を生み出せる人間になりたい。価値を生み出すとは0→1でものを作るだけではなく、今ある良いものをいかに広めていくかであったり、関連する課題を解決するための活動だったりする。このように、自分が誇りを持てるものを独自の視点で伝え広めるためには、戦略的な企画営業や、素材を商品に変えていく商品企画等の、マーケティングの知見が必要であると考えている。
そのために、異なる分野で学びを生かしてきた経験と成長欲・挑戦欲・達成欲という自分の強みを生かし、泥臭いスタートになるかもしれないが、キャリアチェンジをしようと活動を始めている。
薬剤師を辞めるなんてもったいない、大変だ、リスクがあると言われる。確かに困難はあるかもしれないが、むしろ私にとっては変わらない方がリスクであり、変わることで広がる世界があると確信している。
そして挑戦し成し遂げ続けることは、私の自己表現の一つでもある。
それに、今まで培った経験がなくなるわけではない。むしろ掛け算方式で可能性は高まると考えているし、高まるように努力する所存である。
生まれ持った慎重性 ✖ 覚醒した行動力 ✖ 科学を通じて会得した分析力
✖ 部活動や学業で学んだ継続的努力 ✖ 組織を変えながら経験を生かした運営力と実行力
✖ 十人十色人との出会いがもたらした多角的視点 ✖ 組織を変えながら経験を生かした運営力と実行力
✖臨床研究で身につけた課題設定力 ✖ ライターデザインで身につけた表現力
✖ 全てをやり遂げてきた完遂力
今までの27年間をかけて培った素晴らしい能力と素敵な出会いを存分にいかし、次なる一歩を見据え歩き出していきたい。