先日、大村市で始まる「Stanford e-Omura ~GOKOKAN~」のプレ講座に登壇した。
Stanford e-Omuraは、大村市がスタンフォード大学の国際教育プログラムSPICEと連携して実施する、市内高校生向けの全10回のプログラムである。英語を「習う」というよりも、英語を使って考え、発言し、対話することに重きが置かれている。地方都市に暮らす高校生が、地元にいながらこうしたプログラムに参加できること自体、とても意義のある取り組みだと思う。
私は大村市の未来都市構想アドバイザーとして、これまで6年ほど市に関わってきた。その縁もあり、本講座が始まる前のプレ講座で、高校生たちにプログラムへの臨み方や心構えを話してほしいと依頼を受けた。
自分の経験から伝えたかったこと
私自身の講話では、アメリカで起業し、海外で25年近く暮らしてきた私も、彼らと同じ地方の出身で、英語もゼロから学んだことを話した。英語が得意だったから海外に出たわけではない。大学生になるまでパスポートすら持っておらず、社会人になって初めて中国に赴任し、その後、30代になってからアメリカに移った。
海外で生活し、さまざまな国の人たちと仕事をする中で感じたのは、英語そのもの以上に、前提の異なる相手に自分の考えを言葉にして伝えることの大切さだった。今回のプログラムでも、正しい英語を話すことばかりを気にするのではなく、分からなくてもまず反応すること、自分なりの問いや意見を出すことを大事にしてほしいと伝えた。
ただ、私一人の経験を話すだけでは、今の高校生には伝えきれないだろうとも思った。今はWebでさまざまな進路や生き方を調べられるが、高校生が自分一人で必要な情報や人にたどり着くのは簡単ではない。特に地方都市では、自分とは異なる進路を選んだ人と直接話す機会も限られやすい。
どの話が誰に響くかは分からない。それでも、「自分にも、こんな選択肢があるかもしれない」と思えるきっかけを、どうすればつくれるだろうか。そう考えた。
少し年上の先輩たちとの車座
そこで、海外の大学で学んでいる人、留学を経験した人、海外で働いた経験のある人など、異なる経験を持つ4人に参加してもらった。そのうちの一人は私の息子だった。
高校生にとって、自分たちより少し年上の先輩たちの話を聞くことには意味があると思った。大学生活の実際、留学中に感じたこと、日本と海外の大学の違い、英語の勉強方法などを、近い距離で直接聞くことができるからである。
4人にはそれぞれ車座に入ってもらい、高校生たちが順番に移動しながら話す形式を提案した。車座というアイデア自体は私から出したが、20分ごとにグループを移動することや、最後に「今日持ち帰りたいこと」を共有することなど、当日の細かな進行は市の担当者が丁寧に組み立ててくれた。
高校生たちの反応
最初は、高校生にも登壇者にも少し緊張があるようだった。それでも、グループを重ねるにつれて、質問するだけでなく、自分の夢や考えを積極的に話す高校生が増えていった。こちらから見ていると、表情も明るくなり、目が輝いているように感じられた。
後日、市の担当者からも、「モチベーションが上がった」と話していた参加者がいたと聞いた。車座を担当した息子も、3グループ目、4グループ目になるほど、高校生たちが積極的になっていたと感じたという。少なくとも、その場で何かが動き始めた手応えはあった。
心構えを伝える以上の時間になった
市から依頼されたのは、本講座の全10回にどう臨むかを伝えることだった。車座を加えたことで、市の担当者には当初の想定以上の準備や調整をお願いすることになったと思う。
それでも、大学生活や留学の実際、英語との向き合い方を、少し年上の先輩から生の言葉で聞く時間は、単に「これからの講座を頑張ろう」と思うこと以上の意味があったのではないか。高校生たちが、今まで知らなかった進路や生き方を少し具体的にイメージできれば、それが学ぶ意欲にもつながるかもしれない。当初の依頼から少し広げてでも、この時間をつくってよかったと思っている。
自分にとっても、意味のある時間だった
私が大村に関わっている背景には、地方にいても多様な機会に出会える社会になってほしいという思いがある。長く暮らしたカリフォルニアや、仕事を通じて接してきたヨーロッパでは、首都や最大都市に行かなくても、さまざまな進路や仕事の機会があった。日本でも、何かに挑戦するために東京へ行くことだけが選択肢になるのではなく、それぞれの地域にいながら、自分の可能性を広げられるようになってほしいと思っている。
今回、その問題意識に基づく取り組みが、高校生たちに直接届くところを見ることができた。それは、自分にとっても大きなフィードバックだった。
そして、登壇者の一人として参加した息子が、少し年上の先輩として高校生たちに話す姿を見ることができた。父親として頼もしく感じたのと同時に、私がなぜ大村でこうした取り組みをしているのかも、こちらから説明するのではなく、その場を通じて少し感じてもらえたように思う。
高校生たちのためにつくった場だったが、私自身にとっても、大村に関わる理由を改めて確かめる機会になった。どの話が、誰のきっかけになるかは分からない。それでも、「自分にも、こんな選択肢があるかもしれない」と思える機会を、地域の中につくっていくことには意味があるのだと思う。