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自己紹介

まずは初めてということで自分という人間を知ってもらう必要がある。そのため、小学校時代から大学3年の今までどのように過ごしてきたのか、どのような変化があったのかを書いていく。


〜小学生時代〜


小学生の低学年の頃、私はかなりおとなしめの人間であった。友達は少なく、狭く深くという付き合い方でありクラスの中でも中心的な立ち位置になったことはない。大体クラスの端っこで決まった友達と話しているという感じだった。仲の良い人たちとは毎日遊んでおり、鬼ごっこやサッカーなど外遊びしかしてこなかった。そのおかげでマラソン大会はいつも一桁で体力には自信があり、動くことがとにかく好きだった。勉強は得意であり、特に100マス計算は担任の先生よりも10秒以上速く解くことができ、いつもクラスで上位だった。しかし、発表は苦手であり、恥ずかしいという気持ちがあったため積極的にみんなに意見を伝えるタイプではなかった。


4年生になった時に二つの小学校が合併し、クラスでできた新しい友達と遊ぶようになり、性格は変わらなかったものの今までより多くの人と付き合うようになった。そこで出会った友達の影響で野球を始めることになった。結局大学まで10年以上続けることになる。ここで判明したのが自分には継続力があり、負けず嫌いであること。素振りや長距離は自分の決めた日は実行できていたし、負けると悔しくて自主練の時間を増やしたりした。野球ではすごい成果を上げることはできなかったが、長距離はいつもチームで一番だった。野球では自分のおかげで勝てた試合が6年生になると増え、ますます楽しめるようになった。


小学生時代に苦手だったことは人間関係。なれていない人間関係だとノリというものがあまりわからず、1人取り残されるということがしばしばあった。自分から意見をあまり言わなかったこともあり、相手から話してくれる人といるのが心地よいと感じるタイプだった。


〜中学生時代〜


中学生になっても性格面で変わったことは特になかった。野球部の決まったメンバーで一緒にいることが多く、毎日部活をしてそのあと遊ぶ日々だった。中学生になって遊ぶことで変化が生じた。自分から遊びを提案するようになり、自転車で30キロくらい遠出をしてみたりするなど工夫して楽しむことを覚えていった。


この頃の自分の挑戦としては駅伝を始めたことである。これは同学年の陸上部の長距離の人数が足りなかったから助っ人で初めは参加したのだが、3年の夏は学年で1人だけ参加した。チームスポーツとはいえど、1人で苦しい練習を乗り越えることができ、メンバー外から最終的にギリギリではあるものメンバー入りして順位を上げることができたのは良い経験になった。


勉強は2年の夏までは全くやっていなかったが、近所の高校で黒土のグランドを持っているところがあり、そこで野球をしたいと思い、そこから巻き返した。質とかは考えず、ひたすら量をこなすことで学力を向上させ無事第一志望に通ることができた。目標を立てることさえできれば自分で努力を最大限してゴールに近づいていけることがわかり、これは人生の後でも役に立った。


中学生時代でも人間関係は相変わらず苦手だった。小学生の時より自分を出すようになり、色々提案するようになったのだが、そこで調子に乗っていると言われて無視されたり遊びに急に誘われなくなるなどの軽いイジメを受けた。そこで初めて相手の気持ちを考えるということを学び、相手が嫌がることを絶対に自分からしてはいけないということを実感して学ぶことができた。それと同時にいじめられているときに一緒にいてくれた友達には感謝の気持ちができ、自分の周りで困っている人がいれば進んで助けるようになったのはこの頃からだと記憶している。感謝は相手も自分も幸せになれるので生きていくなで必須なものだと知れてよかったといじめてきた人にも感謝している。


〜高校生時代〜


高校時代は本当に野球と勉強しかしていない。3年夏まではひたすら野球、それ以降は勉強という感じだ。正直、高校時代は失敗から得たものが多い。野球も勉強もである。どちらも質よりも量を求めてしまったことだ。


まずは野球から。野球では人生で初めてレギュラーから外れるという経験をした。シンプルに実力が足りていなかった。その時に自分がとった行動はとにかく練習量を増やすということ。高校受験と同じような考えで3年の春まで来てしまった。とある時、ミーティングで自分だけの強みを考える時間があった。その時に二つの気づきを得た。自分はチームの少ない左打ちであり、サイドスローが得意だった。そこに気づき、ピッチャーが投げる位置をずらしてもらったり、横投げの人にバッティングピッチャーを頼んだりしてチームに必要なピースになれるように努力を始めた。また、野球をプレイヤーの視点だけでなく、コーチなどの視点から見ることが得意だったので試合や練習中に他選手にアドバイスをしてヒットを打つプレイヤーだけでなく、チームメイトにヒットを撃たせるマネージャーを兼任するようになった。この二つの視点を得て努力のやり方を変えたことでレギュラーになれることはできなかったもののベンチ入りし、代打としてグランドに立つことができた。技術が足りなくても、工夫によればチームの力になる方法はいくらでもあるということを身をもって実感できる野球人生であった。


次に勉強。こちらも部活が終わってから一日10時間以上毎日勉強すると決めて実際にセンター試験や前期試験までやり通した。途中の模試でも結果が少しずつしか出なかった時点で気付くべきではあったが勉強のやり方を振り返ることはなく、自分が正しいと思い込んで悪い継続をしてしまった。しかし、国公立の前期試験を受けた当日にこれは確実に落ちただろうと思ったので後期試験まではやり方を変えようと量をこなすだけでなく、間違えた根本原因や昨日と今日で何ができるようになったかや、1日何を得ることに時間を使うか、細かい計画に時間を使うようにした。そうすると短期間にも関わらず、成長の幅が大きくなっていることを実感し、実際に後期の二次試験では8割を取るといった圧倒的な成績を残し合格を勝ち取ることができた。自分を信じるのは根拠がある時だけで、疑うことも時には必要であることを学ぶことができた。質の良い継続を続けないと努力の時間が無駄になるということも理解でき、長時間継続して成果を上げることに対してプラスのイメージを持てるようになった。


高校時代も相変わらず野球部といういつも同じメンバーで行動していた。特にクラスの行事で積極的に取り組むことはなく、教室にいる間は自分のすべきことだけをしていた。性格は少し変わり、今までより自分の意見を通すことが多くなった。部活では自分の考えを周りに伝える必要があり、その影響が強かったのだろう。相変わらず人間関係には自信のないまま大学生を迎える。


〜大学一年生〜


大学に入ってとある先輩と出会ってから人生が目まぐるしく変わっていった。その先輩に面白い人が来るセミナーがあるからといって誘われ、そこで今まで考えた子もない世界を知ることができた。まず一つ目は挑戦することの大事さ。考えることは誰でもできるが行動に移す人は少ない。実際に行動しないとわからないことも多いから色々やってみるべきときいて、何事にも新しいことに消極的だった自分が変わった。未知の世界があるたびにそこに飛び込み、新しい価値観に触れることができ、面白い人たちに出会い、生きるってこんなに楽しいことなんだって気づかせてもらった。特に、多くの人に出会うことで人間に対する興味が強くなり、今までは身の回りの人しか話さなかったけれど積極的にいろんな人に話しかけるようになった。話しかけるとそこで新しい発見をすることが増え、楽しみのサイクルができていった。


二つ目は海外に目を向けることができたこと。高校生の時までは地理の時間に勉強するだけで十分だし、安全な日本をわざわざ離れる必要なんてないと思っていた。しかし、海外には自分の知らない世界が広がっていることがわかったし、貧困の状況などは頭ではわかっていても実際に行ってみないと感じることもできないだろうと考え方が変わり、行ってみたいと思うようになった。実際に春休みにタイ、ベトナム、カンボジアに訪れることができ、多様な考え方や、自分の無力さを知ることができた。海外ではその日を生きるのに精一杯の人たちがいて、子供の頃から働かないといけない人がたくさんいるのに自分は子供の頃から良い経験をたくさんさせてもらった。自分の持っている悩みなんてとても幸せであり、悩む前に行動していくようにしようと今を生きる原動力になった。また、初めて会う人たちとコミュニケーションを取ることが上手くいかず、自分は伝える力が乏しく面白くない人間だということを嫌というほど実感させられ、日本に帰ってから少しづつ改善していこうと心を動かしてくれた。これらは日本にいれば経験できなかっただろうから、コロナが流行り出しそうな時だったがいって本当に良かったと振り返っている。


もう一つ、自分の考え方が変わったことがある。個別塾の講師のアルバイトをしているときに、ただ教えるだけでは自分ならではの魅力が出ないと気づいた。その時に、生徒一人ひとり持っている性格が異なるのでその人に合わせて積極的に教えていくのか、質問するまで待つのか、雑談を挟んでから勉強の話をするのかなど工夫して生徒と向き合うようにした。そうすることでタイプの異なる生徒からも私の授業が良い、ずっと担当してほしいと言われるようになり、他人と違うやり方で人に向き合うことで価値が出てくるということがわかった。これは日常生活でも相手の期待値を超えるようにプラスアルファを取り入れるということにつながり、生きていると実感する。


〜大学2年生〜

2年生になる春からコロナで一斉休校になった。その時に自分は何かしらの活動をしたかったため、学生団体を立ち上げ、オンラインで教育について考えるイベント運営やSDGsの視点から今ある問題を考えることに挑戦した。ここではオンラインでのチャットでの人間との関わり方やオンラインイベントの企画、運営、実施まで学生だけで完結し、多くの学生を巻き込むことができた。その中で、中学生や高校生でも社会に関心があって起業している人や活動している人はたくさんいることを知れた。普通の大学生活では会うことのできない人たちとオンラインを通じて話すことができ、スマホやパソコンだけで繋がれる世界は果てしなく広く、勉強も大学以外でもできるという現実を見れた。


学生団体もそうであるが、この頃から個人的に色々挑戦するようになった。本を読んでブログやYouTubeでアウトプットするようになったり、毎週議題を持ち込んで語り合う会を開いたり、投資について学んだりと大学への通学時間がなくなった分新しい勉強をすることができた。コロナが落ち着いた夏には旅行の計画を自分がやるようになり、どう計画すればみんなが楽しめるだろうとかどうすればコスパが良くなるかを追求することにも注力し、社会に出た時に役立つ節約力を身につけることができた。


そして、1番の挑戦はマラソンである。半年前にエントリーし、目標を3.5時間に定め、そこからほとんど毎日マラソンのトレーニングを積んだのである。冬場は寒かったし、10キロ以上走るのはしんどかったが、持ち前の継続力で仕上げることができた。本番は風速7メートルの暴風雨で経験したことのないようなキツさで危険しようか迷ったが、自分に負けることなく走り切ることができ、タイムも目標をきることができた。1人でトレーニングをして目標を達成することができたのは自信になったし、これからも自分に負けずに鍛錬を積むことができるだろう。


このような感じで私の人生は続いている。もっと細かい出来事はいくらでもあるが、人生が変わるきっかけとなったのはこれらの出来事がターニングポイントになっていたからだろう。挑戦し、そこから学び続けるという心を忘れず、これからの人生も進んでいきたい。