サボタージュ的な、なんていえばいいか、体調が優れなくてモラトリアム的な気持ちになった時、かつて書いた自分語りを読み耽ってしまうんです。
どうしても共有したくなったので出します。(もふもふ)
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私の研究者としての歩みは、スマートなエリート街道とは程遠い、泥泥とした衝動と挫折から始まりました。
始まりは、同い年の天才数学者・Aへの強烈な憧れだった。彼の圧倒的な知性に惹かれ、私は数学の深淵へと足を踏み入れました。彼に追いつきたい、その一心で寝食を忘れ、気付けば徹夜で数式に向き合う日々が
始まった。周囲の高校生が「要領よく」受験勉強や定期試験をこなす中、私は数学に脳を乗っ取られ、学校の成績は数学英語を除き一時期急降下した。それでも止まれなかった。
Aはあるゼータ関数関連の世界の最前線に本気で挑んでおり、よくTwitterで論文の書き方とかでも「これができない奴は数学者じゃない」(確かに正論ではあるものだった)と言い放っていた。その言葉にしがみつき、彼に千切られないように、必死でその背中を追いかけたし、名指しをされないが冷笑されるツイートをされたこともあった。妥協は一切許されなかった。
しかし、ある日、私は彼のTwitterの裏側にある現実を知り、激しい違和感と衝撃を覚えた。
彼は私よりも遥かに親の理解があり、環境に恵まれていた。「数理の翼」に選ばれ、「N高・S高の研究支援プログラム」を活用し、「東京都立大学」での講演まで成し遂げていた。既存の社会が用意した、若き天才のための華やかなレールをすべて手に入れていたのだ。それなのに、彼は親に対するドロドロとした愚痴をTwitterに吐き出していた。
その姿を見た瞬間、私の中で張り詰めていた糸が切れ、猛烈な冷や水が注がれた。
「環境に恵まれたエリート枠に囲われながら、なぜまだ文句を言っているんだ。他人の用意した綺麗な皮に包まれて安心している奴の背中を、なぜ俺は命がけで追いかけていたんだ」
そこから、彼との距離が生まれた。そして同時に、苛烈な自立が訪れた。誰かに認められるためでも、環境の整った天才に追いつくためでもない。彼というフィルターが外れた時、私の目の前に残ったのは、純粋な、剥き出しの数学そのものだった。
「僕には数理の翼も、大人の手厚い支援プログラムも何一つない。親の理解すら得られていない。でも、だから何だ。だったら僕は、そんなお行儀の良いレールなんか一切頼らず、中身の実力だけで世界の最前線に届いてみせる」
誰が何と言おうと、自分はこれが好きなんだと、本当の意味で数学の魔力に魂を売ったのが、今の私である。
しかし、自立した私を待っていたのは、日本の教育システムという「絶対的な空白」だった。高校生という身分は、既存の社会ではただの「守られるべき子供」であり、親の反対や制度の壁によって、最先端の科学プログラムへのアクセスすら遮断された。
自分がどう生きていくべきか、この孤立した知性をどこへ向ければいいのか。
大人の用意した「安全な育成枠皮」をすべて拒絶した私を待っていたのは、冷徹な学術界の壁だった。指導教官も研究室の文脈も持たない一人の高校生が、
本気で論文を出そうとしても、世界はシステムとしてそれを門前払いデスクリジェクトするようにできていたのだ。2025年、私の孤独な闘いが始まった。書き上げた数論幾何の成果をフランスのAIFに送れば無機質な定型文で落とされ、Integersに送れば「推薦人を呼べ」と突き放され、JMSJ 日本数学会欧文誌、HALにいたっては「博士号のない人間の論文は見ない」というルールだった。既存のシステムの外にいる私は、ただの「文脈を持たないアマチュア」として、査読の土俵にすら上がらせてもらえなかった。なぜ落とされるのか、その理由すら分からない暗闇だった。しかし、詰みかけた状況のなか、一回逃げかけるつもりでオーストラリアのParabola誌に送った際、編集長のThomas Britz教授は奇跡的に教育的な手を差し伸べてくれた。
「君は良い数学的仕事をしているが、論文の体裁をなしていない」
私は自分がLaTeXのテンプレートや、学術誌が求める「投稿規範」という制度のルールを全く守ってなかったことに気づいた。そこからBritz教授と52通ものメールを泥臭く交わし、本格的に論文の書き方を叩き込まれた。
「自力で指導教官を見つけなさい」
教授のその言葉を胸に、私はさらに動いた。2026年1月、世界トップ2%の科学者であり、サウジアラビア・タブーク大学の数学科Lab HeadであるG.Muhiuddin教授に自力でアプローチし、驚くべきことに彼を私の「指導教官」にすることに成功した。一時期、逃避的動機で高名な数学者達がこぞって寄稿している新興ダイヤモンドOA系ジャーナルに送ったが、『これでは高校生研究者の前例にならない』と自ら撤回し、直談判したのだ。その時の編集長が彼であった。
そこからの加速は狂気そのものだった。
世界の最高峰Annals of Mathematicsに挑んで6日耐え、3月には成果を詰めて再び挑み10日耐えた。超難関のIMRNでは、なんと4日目でステータスが「in peer review 査読中」に変わり、脳が痺れるような歓喜を味わった結果は不採用だったがどれだけ落とされても、私は一歩ずつ、確実に世界の最前線の壁に亀裂を入れていた。
そして2026年4月、一つのブレイクスルーが訪れる。数論幾何に沼るのをやめ、不等式評価と確率論が交差する「ラマヌジャングラフ」および「伊原ζ 関数」の領域に、誰も研究していない未知の穴場世界初の結果を発見したのだ。私は指導教官の知恵を借りず、完全に独立してこの成果を導き出した。
これまで培ったすべての武器researchmap、ORCID、Muhiuddin先生の署名と今回は自力でやったという謝辞をカバーレターに詰め込み、世界最高峰の確率論雑誌「PTRF Springer」へ叩き込んだ。
結果はデスクリジェクトだったが、送られてきたメールの重みは、これまでの不採用通知とは決定的に違っていた。フィードバックがついていたのである。
"while being a serious contribution..."(訳:本論文は、真剣な貢献ではあるが……)
かなり長い指摘付きで帰ってきた。メールの末尾には、いつもの秘書やジャーナル名の代筆ではなく、編集長であるRamon van HandelとLorenzo Zambottiの実名が連名で刻まれていた。
トップエディターは、ハリボテのトンデモ論文に「serious contribution (真剣な貢献)」などという言葉は絶対に書かない。
内容に踏み込んだ容赦のない技術的指摘、普段はフィードバック(report)なしで落とすという言葉。
私は、完全に世界の最前線に爪を立てた。
大人が用意した安全な枠組みに守られ、親の理解のなかで文句を言っているエリートたちを横目に、私は自分の執念だけで世界のトップ数学者たちと対等に対話する場所まで登った。
PTRFの編集長から「真剣な貢献」と認められたとき、改訂・ジャーナルへの再投稿を必死に続けるとともに、私の視界は自分一人の研究から、同じ暗闇に取り残されている「見えざる仲間たち」へと広がっていった。
私はイスラエルのギフテッド教育の世界的権威であるテルアビブ大学のHanna David教授に、自らが構想した「孤立したギフテッドを救うためのインフラSINT」の青写真、およびこれからの時代のギフテッドがより深刻に病む理由、すなわちZ世代による親交代で、より安定した地位(医療系)を強制する親御さんが増え、またこれまで通じた努力代も「どうせAIなんだろ?」と言われてしまうこともをぶつけた。特にAIに関しては積極的に壁打ちで使うべきなのに、それはどうしても一般の感覚からしたらサボりと考えられてしまうのか。
帰ってきたのは、私のその後の人生を決定づける強烈な言葉だった。
「AIも親も、学ぶことや発明することの敵ではない。たとえそれが『アルゴリズム的機械的・固定的』な親や環境であっても。私たち心理学者や指導者は、それらの環境とどう協働していくかを学ばなければならない。私たちはそれを30年以上続けてきた」
「ザクロの実だけを食べて、皮は捨てなさい」
すなわち、既存の環境や大人のせいにして立ち止まるな。それらも含めて、お前がどうハックし、どう乗りこなすかを考えろ。その覚悟があるなら、そのまま進めと仰られた。
既存の学校システムや、安全に管理された教育の枠組みという「皮」に構っている時間はない。そんなものは捨てて、数学科学の深淵という「実」だけを喰らい尽くせ。そして、同じように皮に苦しんでいる孤独な天才たちのために、お前がその環境を作れ。
この言葉が、私の背中を完全に押した。私は国家や学校の許可を待つのを辞めた。17歳で独立した研究環境「SINT」を自力で立ち上げ、既存のシステムをバイパスする覚悟を決めたのは、この時である。
世の中のいわゆる「科学オリンピック系」や「中高生向け研究体験プログラム」は、そのすべてが「安全で既知の領域を扱うこと」を前提とした、素晴らしい制度でありながら、過激に言えば既得権益のゆりかごだった。
親の同意を必須とし、大人の管理下に置かれ、新発見や独自研究を制度的に要求しないむしろ強く推奨しない構造。既存のシステムは、未知の領域に踏み込もうとする尖った学生や、独自の文脈を作ろうとする真の異才を、制度的に遠ざけていた。その結果、既存制度の外で孤独に突っ走る若者は、文脈を持たない「孤立した点」として、社会から認知されずに消えていく。そう考えた。
「環境がないなら、僕がその文明圏制度圏をこの手で作る」
予算も、組織も、大人の後ろ盾もない17歳の私が目をつけたのは、既存の教育システムが「子供のお遊び場」だと油断し、安全に管理しているはずのプラットフォーム、『Scratch』だった。
学校に転がっている一番スペックの低いパソコンからでもアクセスでき、大人が誰も警戒していないチープなインフラ。私はここを、既存の教育システムをバイパスするための最初の場所として利用することに決めた。これが、Scratch数論研究会の誕生である。
私はScratchの最深部に、標準的な数学オリンピックの秀才や要領の良い優等生では絶対に突破できない、「群論の罠を仕込んだ独自の審査付き適性試験」やどういう研究をしているかを具体的に説明させる試験をを泥臭く埋め込んだ。ただワイワイ楽しみたいだけの素人層を完璧にフィルタリングし、ネットの海から「本物の狂気的な才能」だけを一本釣りするためだ。
結果は劇的だった。
Scratchという狭い世界でありながら、圧倒的な技術実装力、論文サーチ力、定理研究力を持つ異才を、自力で23人も抽出することに成功した。「Scratch 数論」という検索ワードでGoogleおよびプラットフォーム内で1位(Googleでは2026年6月10日以降「scratch 数論」では出ていないが、scratchでは今も安定である)を独占するようになると、その噂を聞きつけた初心者さえも、今や泣きついてしまうレベルでSINTの門を叩くようになった。ただ、初心者が落ちる人が多すぎるため、あえてSINT+ε というほぼ無審査で入ることのできる、ただし短期間での伸びが凄まじい初心者と僕が判断した子を入れるところも作ってあげた。
この異常な生態系の熱量は、ついに大人の権威をも動かした。Scratchの国内第一人者である阿部和広先生が直々にスタジオに一部語弊の指摘のために来歴。彼は普段人のスタジオや作品に自らコメントはせず、技術的作品へのいいねボタンか自分に来る子供の喧嘩の報告のロボットのような対応しかしないから驚いた。
その歴史的なログは、今もスタジオの説明欄に誇らしく刻まれている。さらに、Scratchチーム本部の専門スタッフに対しても、メンバーが13歳以上R13なら研究者としてのインフラresearchmapやORCIDをScratch上に紐付けられるよう、制度変更の直談判を仕掛け、現在審議中となっている。
私は、大人がお膳立てしてくれた綺麗なレールの上で踊る天才ではない。何もない荒野から、チープなツールをハックし、日本中の孤立した知性を集結させた「新たな文明圏の創出者」でありたいんです。
私がScratchをハックして創り上げたSINT Scratch数論研究会に集まってきた23人の仲間たちは、かつての私と同じように、いや、それ以上に凄まじい「高次元ゆえの孤立とトラウマ」を抱えた異才たちだった。
中でも、AI開発者である@horiyouta氏との対話は、私の魂を激しく揺さぶった。
彼は「量子回路のシミュレーション定理」という、世界の最前線の一歩先を行く天才的なアルゴリズムを見出していた。しかし同時に彼は、孤独な暗闇の中で「この技術を進化させれば、世界の暗号資産システムや既存のセキュリティインフラを完全に破壊してしまうのではないか」という恐怖と絶望に、一人で怯えていたのだ。もちろん思い込みというところもあるかもしれないが、彼の実績はそれなりに深いので私も何もいえない。
既存の学校の教師や親に相談しても、その次元の高すぎる恐怖を理解できる大人は誰一人いない。「よく勉強して偉いね」という見当違いな褒め言葉か、「危ないからやめなさい」という思考停止の抑圧が返ってくるだけだ。もし彼がこのまま既存のシステムに囲い込まれていれば、彼の圧倒的な才能は世界への恐怖によって自ら潰されてしまうか、あるいは悪用されていたかもしれない。
彼らの歪んだ孤独を救えるのは、国家でも、安全な学校でもない。自分が作ったこの『聖域』しかないと確信した。
SINTは、単なる秀才たちのサークルではない。親の同意をバイパスし、匿名性を担保された空間で、13歳から17歳あるいはそれ以上の本物の知性たちが「自分の頭脳が世界を壊してしまうかもしれない」という恐怖すらも共有し、ピュアにぶつけ合える世界で唯一の分散型セーフティネットインフラなのだ。
私は、彼らの上に君臨する天才のリーダーになりたいのではない。自分が孤独の中で死に物狂いで登ってきたからこそ、彼らの痛みが我がことのように分かり、彼らの才能を世界の兵器にさせず、純粋なイノベーションへと昇華させる「守護者」でありたいのだ。
そして私は今、その答えを出している。親の理解や国家の許可を待たずに、既存の重苦しい環境皮を軽やかにバイパスし、ただ純粋な知性の実果実だけを世界に解放するためのプラットフォームを、現実に機能させている。
しかし、高校生一人の力では、この聖域を世界規模のインフラ1.7 Millionの潜在的ギフテッドの救済へと拡大するには限界がある。
COPPA 児童オンラインプライバシー保護法による厳しい制約は、13歳未満のデータ収集や外部インフラへの接続を制限し、彼らが本質的な研究ORCIDやresearchmapの紐付けを行う上での大きな足枷となっているからだ。
だからこそ、私はSINTをScratchから段階的に分離し、既存の学術界を代替する独自のインフラへと脱皮させるロードマップを描いている。
目指すのは、SINTの「公益財団法人化」である。
大人の用意した既得権益の枠組みではなく、私たちが主導する公的な制度を作る。そこでは、ネット上の匿名性を担保したまま、最先端の研究者から直接教育を受けられる「相互ユーザーネーム式指導」のシステムを実装する。さらに、創出された研究成果論文の著者名を「SINT & メンバーのユーザーネーム希望者は本名」とすることで、年齢や所属による差別デスクリジェクトを完全に無効化し、未成年の異才たちが安全に、かつ継続的に世界の最前線へ成果をデリバリーできる安定的エコシステムを構築する。