会社の売上が、突然ゼロになった。
その時、僕には社員が一人いた。
でも、営業のやり方なんて全然わからなかった。
それまでの案件は、たまたま知り合った人から仕事をもらったりしていただけだった。
「案件を取らないとヤバい」となった瞬間、
「……どうやって取るんだ?」となった。
今振り返ると、何も知らなかった。
大企業の案件なんて、一回入ったら一生続くものだと思っていた。
世間知らずだった。
案件が終わって売上はゼロ。
社員には給料を払わないといけない。
でも営業の仕方はわからない。
一緒に働いていた伊藤さんとはバチバチする。
「もっと伊藤さん頑張ってくれよ」
なんて思っていた。
経営の本も営業の本も読んだ。
勉強は昔から得意だった。
東大もでて、公認会計士試験にも合格した。
新卒ではリクルートに入って、AIエンジニアをやっていた。
経歴だけ並べたら、それなりに「優秀そうな人」に見えると思う。
でも、会社の売上を作る方法は、本当に何もわからなかった。
そして今振り返ると、もっと根本的なこともわかっていなかった。
自分は何のために会社をやるのか。
誰と、どういう会社を作りたいのか。
そんなことも、当時は全然考えたことがなかった。。
今回、LeapWellについて何か書こうと思った時に、会社の事業やビジョンを説明するより、まず自分がどういう人間で、なぜこの会社をやっているのかを書いた方がいい気がしました。
なので、少し昔の話から振り返ってみます。
母親に聞いたら「普通の子だった」と言われた
僕は仙台と名古屋で育った。
「子どもの頃、どんな子だった?」
と母親に聞いてみたら、「普通の子だった」と言われた。
どちらかというと引っ込み思案だった。
でも、変なところで好奇心は強かった。
3歳くらいの時に一人でパン屋に行って商品を食べてたり、幼稚園を抜け出してコンビニに行ったこともあったらしい。
小学生になるとバスケを始めた。
最初からバスケがめちゃくちゃ好きだったわけではない。むしろ監督が怖かった。
だから、怒られたくない。
これが結構大きかった。
怒られないためには、うまくなればいい。
うまくなれば試合に出られる。
試合に出て活躍すれば、みんなに認めてもらえる。
気づいたら、めちゃくちゃ練習するようになっていた。
中学では、最初はそこまで強くなかったチームが、最後には名古屋で3位くらいまでいった。
自分が卓越すること。
仲間と一緒に何かを達成すること。
「このチームで勝ちたい」と思うこと。
たぶん僕にとって、最初の青春だった。
「みんなにすごいと思われたい」で東大に行った
小学校の卒業文集には「将来、バスケ選手になりたい」と書いた。
でも、あれは完全に嘘だった。
その頃には、自分がプロのバスケ選手になれるなんて思ってなかった。
じゃあ、なんで書いたのか。
たぶん、みんなにすごいと思われたかった。
勉強もそうだった。
最初から「東大に行って日本を変えたい」とか、そんな立派なビジョンがあったわけでは全然ない。単純に、
どうせ行くなら、一番いいところに行こう。
それくらいだった。
現役の時は京大を目指していた。
でもセンター試験で失敗して、名古屋大学を受けて落ちた。
浪人した。
浪人時代は5人くらいの仲間とずっと勉強していた。
「どうやったら点数が上がるのか」
「この問題のセンターピンはどこなのか」
そんなことをずっと考えていた。
一浪して、東大に入った。
公認会計士には受かった。でも、仕事は面白くなかった
東大は楽しかった。
大学時代には公認会計士の勉強も始めた。
これがめちゃくちゃ面白かった。
会計には原理原則がある。
「なぜこうなるのか」を理解すると、いろんなものがつながっていく。
勉強して、公認会計士試験にも合格した。
その後、監査法人で働いた。
でも、実際に仕事としてやってみると、自分が勉強していた時に感じていた面白さとは少し違った。
もちろん、監査という仕事には大きな役割がある。
ただ、当時の僕は「正確に、間違いなく仕事を進めること」よりも、自分で問いを立てたり、何かを作ったりすることに面白さを感じるタイプだった。
会計が嫌いになったわけではない。
単純に、自分が仕事として夢中になれるものは別にあるんじゃないかと思った。
そんな時に出会ったのがAIだった。
「AIだ、これからは」と思った
AIを知った時は衝撃だった。
これなら世の中に大きなインパクトを出せる。
自分で何かを作れる。
自分のアイデアを形にできる。
「AIだ、これからは」
となった。
そこからエンジニアの勉強を始めた。
大学2〜3年くらいの頃から、いつか起業するんだろうなとは思っていた。
だから新卒ではリクルートに入った。
AIエンジニアとして働き始めた。
でも、意外と馴染めなかった。
リクルートに入った。でも、意外と馴染めなかった
入社したタイミングがコロナだったこともあって、人間関係を作るのが難しかった。
オンライン中心で、直接会う機会も少なかった。
同期の活躍を見て、自分と比較することもあった。
社内で積極的に発信している人を見ながら、
「自分だったら、もっと目の前の成果に集中するかもな」
と思ったりもしていた。
今考えると、見えている世界が狭かったし、短期的だったなと思う。
リクルートがどうこうという話ではなく、単純に当時の自分が未熟でうまく馴染めなかった。
一方で、副業で関わっていた小さなAIスタートアップは楽しかった。
人数が少ない。
距離が近い。
一緒に何かを作っている感覚がある。
僕はこっちの方が好きだった。
結局、リクルートを辞めてフリーランスになった。
自由になった。稼げた。でも、限界を感じた。
AIエンジニアとして仕事を受けた。
ありがたいことに、それなりに稼げた。
自由だった。
嫌な仕事を無理にやる必要もない。
一見、かなり理想的だった。
でも1年半くらいやったら、限界を感じた。
結局、自分一人でできることには限界がある。
自分ができることを提供して、その対価としてお金をもらう。
それはそれで一つの働き方だけど、僕がやりたいこととは少し違った。
もっと、誰かと一緒に大きなものを作りたかった。
クライアントと業務委託という関係ではなく、同じチームとして何かに挑戦したかった。
その時にふと思った。
「そういえば自分って、仲間と青春したいんだな」
だから、大学時代から仲が良かった伊藤さんに声をかけた。
当時の伊藤さんは、エンジニアは未経験だった。
でも、僕が一緒に働きたかった。
最初の仲間選びなんて、それだけだった。
当時、伊藤さんはAIエンジニアとしての経験こそほとんどなかった。
それでも、頭の回転が速くて、物事を構造化して考える力があったし、何より一緒に何かをやるなら伊藤さんだと思っていた。
実際、未経験の領域にもかかわらず、一から技術を身につけながら、僕と一緒に会社の立ち上げを支えてくれた。
今振り返ると、スキルより先に「この人と会社を作りたい」と思える仲間がいたことは、僕にとってかなり大きかったと思う。
そして、会社をちゃんとやろうと思った。
仲間を入れた半年後、売上がゼロになった
ここで冒頭の話に戻る。
伊藤さんを入れて、最初は順調だった。
大企業案件があった。
僕らは何も知らなかったので、
「一回入ったら一生続くもの」
くらいに思っていた。
でも当然、そんなわけはない。
「予算が取れないので、案件継続できません」と言われた。
「え?」
ってなった。
そして売上がゼロになった。
伊藤さんを雇って半年くらいだった。
給料は払わないといけない。
だから営業しないといけない。
でも、案件の取り方がわからない。
営業の本を読んだ。
経営の本も読んだ。
伊藤さんとも、
「営業ってこうじゃない?」
「いや、こうじゃない?」
と話していた。
でも2人とも営業未経験だから、何の意味もない。
今思うと笑えるけど、当時は本当にきつかった。毎晩、夜中に目が覚めていた。
3ヶ月売上ゼロ。
最終的には先輩に頼み込んで会社を紹介してもらい、なんとか案件を取ることができた。
ギリギリだった。
東大を出ても、「仲間と勝つ方法」は知らなかった
経営がうまくいかなかった頃、僕は結構、他責だった。
伊藤さんも一緒になって会社を立ち上げ、慣れないことにも挑戦してくれていた。
それでも当時の僕は余裕がなくて、
「もっと伊藤さんにもやってほしい」
と思っていた。
今振り返れば、問題は伊藤さんの頑張りではなかった。
むしろ、自分が経営者として「何を目指すのか」「誰に何を任せるのか」「どうすれば仲間が力を発揮できるのか」を全く分かっていなかった。
自分は結構頑張っているつもりだった。
勉強もしている。
経営の本も読んでいる。
営業の本も読んでいる。
なのに、うまくいかない。
「なんで他の起業家はうまくいってるのに、自分はうまくいかないんだろう」
そんなことも思っていた。
思考が曇りまくっていた。
でも、ある時気づいた。
全部、自分の実力が足りなかったんだ。
東大受験なら、自分が勉強すればよかった。
会計士試験なら、自分が問題を解けるようになればよかった。
エンジニアなら、自分の技術力を高めればよかった。
でも会社は違った。
自分一人が卓越しても、勝てない。
営業も知らない。
経営も知らない。
組織の作り方も知らない。
何より、仲間とどうやって勝つのかを知らなかった。
そこから、自分の中で少しずつ考え方が変わった。
今でも、目標はかなり追う。
数字も追う。
勝ちたい。
昔からそこはあまり変わっていない。
だからこそ、自分で怖いと思う瞬間もある。
目標を追いすぎて、人を、数字を達成するための道具みたいに見てしまう瞬間。
これは嫌だなと思う。
ただ何が一番怖いかというと仲間を失うことだと思う。
売上が落ちることより、嫌かもしれない。
会社を大きくすることも、数字を伸ばすことも大事だと思っている。
でも、それは目的ではない。
経営を続ける中で、自分が本当に嬉しかったのは、売上が増えた瞬間以上に、一緒に働いた人が成長したり、「ここに来て人生が変わった」と言ってくれた瞬間だった。
「僕と出会って、人生が良くなった」と言ってもらえる人を増やしたい
10年後どうなっていたいか。
もちろん、会社として大きな目標はある。
でも、売上100億とかを考えすぎると、逆に僕はちっちゃくなる感覚がある。
それよりも、
「菊田と出会って、自分の可能性が飛躍した」
と言ってくれる人を、一人でも多く増やしたい。
社員でもいい。
お客さんでもいい。
一緒に仕事をした人でもいい。
LeapWellを卒業して、自分で会社をやる人が出てきてもいい。
その人の可能性が飛躍して、また別の誰かの可能性を飛躍させる。
そういう連鎖を作れたらいいなと思っている。
だから、LeapWellでは「可能性の飛躍」という言葉を大事にしている。
なんて言うと、またちょっと綺麗な話に聞こえる。
でも実際の僕は、そんなに綺麗じゃない。
肩書きだけ並べると、なんか綺麗に見える。
でも実際は、
「一回入った案件は一生続くと思ってた」
とか
「もっと伊藤さん働け」
とか、そんなことを普通に考えていた人間です。
今だって、経営者としてひよっこだ。
目標を追いすぎて、周りが見えなくなることもある。
たぶんこれからも、たくさん間違えると思う。
東大を出ても、会計士試験に受かっても、AIができても、会社を作っても。
そんなに本質は変わらない。
でも、こうやって振り返ってみると、
結構人間だな、僕は。
と思う。